胃もたれ改善委員会!
シークと分かれた俺は、ブラブラとバージル地区を歩いている。今夜はどこに泊まろう。足が赴くままに歩いているけど、あてなんてない。
このバージル地区は、貴族のタウンハウスとやらが並んでいるらしい。どうやら、王都にいる時に滞在する家だそうだ。そこで俺はふと思った。俺がINしてるおっさんは、貴族だ。これって、実家(?)に帰れば、泊まる場所があるじゃないか。体も同じことを考えていたのか、気がつくと俺は、一軒の豪奢な家の前に立っていた。フェミリア伯爵家らしい。
呼び鈴らしきものを動かすと、すぐに扉が開いた。
出てきたのは、記憶を読むまでもなく執事だった。何せ格好が執事だ。
「ゼ、ゼクス様!」
俺と同じくらいの年に見える執事は、リザークというらしい。少し白が髪に入っている。ロマンスグレーという奴だな。俺は禿げるのも嫌だが、白髪の自分もまだうまく想像できない。
それから俺は、客間らしき場所に通された。
白い壁には、金箔で蔦と花の模様が描かれている。ソファは背を深々と預けるのに最適だった。出してもらった紅茶も美味い。俺なら、むさ苦しい城の寮ではなく、ここから出勤するな、確実に。
それからしばらくして、勢い良く扉が開いた。
「ゼクス!」
兄だと一目で分かった。目だけ兄は垂れ目だが、他の顔に造形がそっくりだったからだ。ただ何と無く、おっさんよりもお兄さんの方が、花のある感じだ。四十代半ばらしいが、良い年の取り方をしている。
「仕事仕事仕事で戻ってきてくれないと思ったら、城遣えを辞めたんだって? どうしてこの家に真っ先に戻ってこないんだ!」
詰め寄ってきた兄は、俺にソファの上で覆いかぶさるようにしている。顔が近い。
「俺が想いを堪えきれずに告白なんてしたから、帰ってこないのかとーー」
お兄さんの言葉が終わる前に、反射的に俺は膝蹴りをしていた。兄が吹っ飛ぶ。
同性愛だけじゃなく、近親相姦までとは……おっさんはそんなに魅力的な人物だったのか……?
兄の名はリーマス=フェミリアだそうだ。嫌な予感がしたので記憶をたどると、執事にも告白された過去があるらしい。もうこうなったらプラトニックを前提に、適当に恋人を作っておけば良かっただろうに、余程国王陛下のことが好きだったらしい。おっさんの良さもわからないが、陛下の良さもわからないな。
ただ一つ気がついた。
皆おっさんに抱かれたがっているようだ。
兄だって、今のは押し倒したのではなく、上に乗ろうとしていたらしい。
おっさんも陛下にだかれたいと思っていたのだから、受け身だろうに……要するに下だろうに、ちょっと可哀想だ。世の中うまくいかないものである。確かに、背も高く筋肉もあって顔もまぁいい意味で普通だったら、モテるかもしれない。ただ、なぜ対象が男なのだ! やはりここは生BLの世界だ。
俺はBL嫌いじゃないが、おっさんが不憫だ。
おっさんを押し倒してくれる猛者はいなかったのだろうか。
しかしいたとして、中身が俺となった今じゃ、それを実行されても困るわけだが。
ちょうどそこへ執事さんが戻ってきた。
ガラガラと銀色の台車を引いてきて、その上にはーーおおおおお!
ソーセージが乗っていた。チーズも乗っている。
隣にある赤ワインは別にいらないが、好物が二つも出てきた。
この家に来たのは失敗だったかと考えていたが、大成功じゃん。
嬉しくなりながら俺はそれを食べる。フォークを突き刺した瞬間、パリッと音がした。
太くて長いソーセージは、レモンとバジルの風味がした。
茹でてあり、頬がとろけるとはこういうことを言うのかと、俺は知った。
生きててよかった! 死んでるけど!
その時、いつ復活したのか、兄が正面の席に座っていることに気がついた。だが気にしない。
「ーーだからもう、ゼクスがシュリオーノ手稿の謎を解く必要なんてないんだ」
食べるのに夢中で、兄の話が全く頭に入ってこない。次にチーズを食べた。マスカルポーネだ。
「写本が見つかったとはいえ、手稿同様解読できない」
美味しいものを食べると幸せだ。
「蛇の末裔が関わっているとはいえ、もう近づかない方がいい。いくらゼクスが、数多のドラゴンと対峙し、最強の剣士と謳われていようとも、危険に変わりはない。俺は心配だ。胸が張り裂けそう」
兄の言葉に、俺はフォークを止めて顔を上げた。
蛇の末裔……?
おっさんが関わっていたり必死に追っていたらしいことには何か理由があるのか。
それにまた新しい言葉が出てきた。
シュリオーノ写本? 手稿? どっちかは忘れたが、別にいいや。なんだそれ?
記憶検索を実行すると、解読不能の絵付きの手稿だと想起された。
ヴォイニッチ手稿みたいなものだろうか。
「陛下を見るのは辛いかもしれないけど、素直に城へと戻った方がいい」
別に辛くはないが、やはり少しアイト青年に話が聞きたくなってきた。
「手稿が見たい」
ポツリと漏らすと、兄が驚いたように目を瞠った。
首元の白い布が揺れている。
「リザーク、手稿の写本をすぐに金庫から持ってきてくれ」
「承知しました」
案外兄は優しいのかもしれない。よく分からないがーーその時だった。
「っ」
急に胃が、何とも言えない感覚を訴えた。吐きそうともまた違う、何かがせり上がってくる感覚だ。
なんだ、これ。今までに体験したことがないが、こちらの風邪の症状か?
ソーセージをもう一口食べながら考える。
そういえばエルフのビオラのところでベーコンを食べた後もこんな感じだった。
……あ!
俺はすごく嫌な予感に襲われた。
もしやこれってーー胃もたれ?? え、嘘だろ?
こめかみから汗がしたたっていく。すごく嫌だ。これじゃあ好物も食べられないじゃないか!
「お待たせいたしました、写本です」
そこへ執事のリザークが戻ってきた。
「写本は三つあって、二つはこのフェミリア伯爵家にある。一つは俺が持つから、もう一つはゼクスが持っていてくれてもいい」
写本を受け取りながら、俺は頷いた。
しかしもはや写本のことなどどうでも良く、俺は胃もたれという現実に愕然としていた。
それから俺は、自室へと通された。
正確には、俺INおっさんの部屋だ。それでも何と無く見覚えがあるから、記憶に残っているのだろう。実際そうで、右の扉が書斎、左の扉が寝室と、すぐに分かった。扉を開けてすぐの部屋は、ソファとテーブルがある。
それにしても胃もたれか……。
胃もたれが来るタイミングが早すぎて気がつかなかった。胃もたれ防止の薬とかあるのかな。本当、胃がムカムカする。なんだか現実逃避したくなってきたので、俺はシャワーを浴びることにした。
服を脱いで唯一の利点である腹筋を見てニヤニヤしながら、シャワーを浴びる。
電化製品はない様子だから、このシャワーがどういう仕組みなのかはわからない。トイレの仕組みもわからないが、トイレが存在することには安堵している。さてヒゲでもそるか。なぜなのかヒゲは普通の長さなのですぐにそれた。シャワーから出てバスタオルで体と髪の毛を拭きながら、本日は自分の魔法で髪を乾かすことに成功した。それにしても好物のソーセージで胃もたれなんて……はぁ。その上俺はあんまり野菜は好きじゃないのだが、今無性に食べたい。着替えた俺はソファに座り、一本一本の指の付け根の少し上に生えている毛を眺めた。足の指にも毛が生えていた。
これから果たして俺はどうすればいいのか。
ーーここは新しい委員会を設立するしかない!
胃もたれ改善委員会だ! 委員長は当然また俺だ!
味覚は変わっていないらしいのに、食べられないなんて辛すぎる。それに肉を食べられなかったら、腹筋も割れなくなってしまうかもしれない。あ、そういえば筋トレとかしてない。大丈夫かな? 唯一の利点なのに。せめて剣の素振りでもしようかな。俺は元々比較的体を動かすのは嫌いじゃない。嫌いじゃないと、できるは違うけどな。まぁいいや。
俺は現実逃避にシュリオーノ手稿を開いて見た。
「……え?」
そこに並んでいたのは、日本語だった。確かに日本語って覚えるの大変らしいし、この世界に来てから読めるようになった文字の方が俺には難しく思えるが、この国の人からしたら大変かもしれない。ところどころカタカナや和製英語、平仮名、古典の教科書に出てくるような古い言葉も出ている。
始まりはこうだった。
ーー僕は大野朱理。もし、僕と同じように、この世界へ迷い込んだ日本人がいた時のために、手記を残す。
俺はあっけに取られた。
もしかして、これまでにも、成り代わりはあったのだろうか?
今度は驚愕で、胸がざわついた。胸がどくどくと騒ぎ立てる。
いざ続きを読もうとしたその時のことだった。
「ゼクス様、近衛騎士団副団長のネリス卿ガルシア伯爵がいらっしゃっています」
ノックを二度して入ってきたリザークの言葉に、俺は思わず舌打ちしてから、鍵のかかる机の引き出しに写本をしまった。なんだか俺の中の記憶が、行くべきだと訴えていたからだ。すごく続きが読みたいのにな。
それでも俺は、応接間へと向かった。
「今回も大活躍だったんだってな」
そこには俺INおっさんと同じくらい背の高い青年が一人座っていて、俺を見るなり立ち上がった。
ネリス=ガルシアという、ガルシア伯爵家の三男らしい。三十代半ばで、頼りになる副団長だという記憶が浮かび上がっている。なお、告白された記憶はない。心底ホッとした。
「愛しの陛下を巻き込むことがないように、どころか騎士団を巻き込まないように、一人で追うなんて」
「別に俺はーー」
「皆まで言うな。何年団長の右腕としてやってきたと思ってるんだ」
「それはーー」知らない。
「十代で団長と会ってから、俺はずっとそばにいてきた。特に二十代の頃」
残念ながら俺には二十代の思い出なんてないんだけどな!
それに全然わかっていない気がする。第一俺は一人で追いかけていない。
「どうしてもどうしても力になりたくてここまで上り詰めたんだ。戻ってきてくれよ!」
こんな風に言われると、やっぱりおっさんには人望もあったんじゃないかとも思えてくる。
銀髪の美青年は、犬のコギーのような眼差しで、眉間にシワを寄せている。
「陛下も戻ってきて欲しがってる。俺に説得に行けって言ったのも陛下だ。ま、言われなくても来てたけど。団長、頼むから戻ってきてくれ」
どうしようか。
俺は少し気持ちが傾きつつあった。
正直ショタコン国王のSEXシーンは見たくないが、それを他の人に頼み込めば、仕事内容はただ立っているだけらしいし、どころか団長は執務室で座っていればいいらしいから、そんなに悪い仕事ではないかもしれない。
それにアイト青年のことが気になったのだ。
近衛騎士につきまとう命の危険も、ちょっとだけの間なら、何かが起こる可能性は低いだろうし。ちょっとだけ戻って見てもいいかもしれない。というか、そろそろ告白されたことのない安全地帯で、ゆっくり考えたい。
「分かった。戻る」
簡潔に応えると、あからさまに副団長のネリスが嬉しそうな顔をした。
短く吐息してから、何を持って行こうかと俺は考える。
「とりあえず今日はもう遅い時間だから、明日戻る」
「約束ですよ! 夜中のうちに逃げたりするなよ」
「ああ」
俺は細く吐息した。それからネリスを見送り、俺は寝室のベッドへと体を投げ出した。
思いの外疲れていたようで、睡魔はすぐにやってきた。
この時近衛騎士団に戻る事を承諾しなければよかったと後で思うのだった。