俺は葬式仏教徒!
翌朝、パリッとした白いシャツをリザークが用意してくれた。
着替えさせてくれようとしたが、断った。別に性的な眼差しがあったわけではない。そこは執事、仕事をよくわきまえている。ただ単純に俺が、誰かに着替えさせられるというのが嫌だっただけだ。シャツをきた後、俺は一番地味な服に着替えた。金の縁取りの、暗い赤の服だ。胸元の白いリボン? の正面に細い金の鎖が付いていて、その中央には金枠にはまったルビーらしきものがある。いちいち宝石が服についている。下には黒い下衣を履いた。
今朝の食事はポタージュとパン、サラダと蒸した鳥だった。
胃に優しい。
そんな自分の考えに辟易しながら、正面で何かと話している兄を見守る。
それにしても、皆おっさんを好きだという割に、中身が変わっているのに気がつかないのはなぜだ。所詮は外見か。こんな普通のおっさんの外見のどこに惹かれたんだ。もしかすると、俺とは美的センスが異なる世界なのかもしれない。
食べ終わってから俺は、兄に分かれを告げ(しばらくというか永遠に戻らないかもしれないしな)、執事が用意してくれた馬車へと乗り込んだ。
城までは二時間かかるらしい。
絶対に徒歩の方が早いだろう。
俺は膝の上にシュリオーノ写本を置きながら、細く息をつく。続き読もう。
ーー単刀直入に言うと、この世界では同性愛が盛んだ。ほぼ十割が同性愛者だ。
いやもうそれ盛んとかの次元を超えてはいないだろうか。
ーー二十代が恋愛全盛期だ。
はじめて二十代じゃなくてよかったと思った。
ーー元の世界に帰還する事よりも、菊門を守ることをお勧めする。
この手記怖い。なんだこれ、単刀直入すぎるだろ!
ーー警告は発した。
やめて欲しい。もう身を持って知っている。
ーーさて前文はここまでとし、私が知り得たアダム・カドモンというこの星における胎動せし神々と国々について語る。この星は生きている。アダム・カドモンの上で。正確には眠れし神の上に陸地が存在する。一個の子宮がこの惑星とも言えよう。あるいはそれは、神を閉じ込めし檻だ。人々は皆、アダムに似せて作られたと推察される。それ故、この世界には男性しか存在しない。
オカルトが来た。しかしそんな事より、男性しか存在しないという部分に俺は眉を潜めたと思う。眉間がピクピクした。え、じゃあどうやって人は生まれてくるんだ?
ーー人々は皆、アダムのへその緒から生まれ出でる。教会で望んだ時、十字架からへその緒が伸びてきて、その先に赤子が現れる。神秘だ。
うん、人体の神秘をはるかに凌駕してるよね。しかしへその緒? なんだか水死した時に見た紐を連想した。理由はわからない。
ーーこの世界の人々は、基督教によく似た世界観を持っていて、地球の当代における説話の中に見られる知恵の樹と生命の樹のうち、己らは生命の樹の元に存在し得ると考えている。地球とは逆である。イヴが存在しないため、知恵の樹の実は食べなかったようだ。この点においても、地球とは違う次元に存在するが双子のような存在が、この星であると考えられる。
ふぅん。俺、クリスマスとヴァレンタインくらいしか関わりないからよく知らない。ただアイトの口から出てきた泣きたくなるような意味不明用語が頻出しているのは分かった。
ーーしかし蛇は存在した。生命の樹の元に、アダムを促した蛇だ。地球で言うところのメルクリウスの杖のうちの片方の蛇であろう。ここにも地球との相似性が見受けられる。蛇は男根の象徴であり、この世界には男性しかいないことを考えるに、神話の世界から、この世界には同性愛が根強く息づいていたのだろう。
嫌な世界観だな。これ、真面目に書いてあるのか?
ーーとにかくホモの巣窟ということだ。逃げよ!
序文はそれで終わっていた。馬車での移動もちょうど終わった。
カバンに写本をしまい、俺は外に出る。そこには別に懐かしくも何ともない城が聳え立っていた。
中へと入ると、当然のように玉座の間へと通された。
「……」
王様は前回とは違う美少年の後ろの穴をほぐしている真っ最中だった。なぜ寝室で行わないのか。
「っ、あ、ゼクス!」
おっさんの姿に気づいた陛下が、少年を抱えたまま声を上げた。
そして少年を、ぽいっと投げた。鬼畜である。
「余のために帰ってきてくれたのであるな」
「……まぁ」そういうことにしておくのが無難か。
「ゼクスのことを思わない日はなかった。会いたかった。お前がそばにいてくれないと、余はダメなのだ」
いてもいなくても、ショタコンに変化はなさそうであるが、一体何がダメなんだよ。俺から見ると、ずっとダメに見える。
「さぁ後ろに立ってくれ! お前に激しく突かれている感覚に溺れたいのだ。もしくは視姦されている感覚に」
そんな妄想してたのかよ、この陛下。気持ち悪っ!
「……今後は別の近衛に護衛を任せ、執務に励みますので、辞退します」
俺は言い切り、大きく頷いた。
「ゆ、ゆるさぬ」
「じゃ、辞めます」
「……う」
我ながら子供っぽいやりとりだが、しょうがないと思うんだ。だって無理だし。
こうして俺は、視覚への暴力から逃れることに成功した。
執務室へと行き、近衛騎士の正装に着替える。黒い。しかしこの国、金縁の服が好きらしい。俺は、おっさんの右腕らしい、副団長のネリスが持ってきた書類から適当に一人選んで、王様の近衛騎士に任命した。
「やっぱり団長がいると落ち着くな」
ネリスの言葉に、コーヒーを飲みながら顔を上げる。
「みんなが惚れるのもわかる」
いやそこわからなくていいから。君だけは安全地帯でいてくれ!
「俺もラキがいなければな」
そういえば吟遊詩人はそんな名前だったなと思い出した。なるほど、すでに男の恋人がいるわけか。別れるなよ、別れるなよー!
そこからネリスの、いかにラキが愛おしいかについての講義が始まったので、俺は頬杖をついた。長閑だ。聞き流していればいいのだから。
それにしてもーー……確かに女の人の姿を見ていない。シュリオーノ写本に書いてあったのは事実なのか。嫌な世界だな。ただ気になったキーワードもある。
蛇、だ。
写本によると、蛇は生命の樹にアダムを導いたらしい。この世界の人々がアダムの子孫だとすると、だ。なんでまたアイトいわく蛇の末裔は、再び人々を生命の樹に案内する必要があるのだろう。あ。
そういえば、アイトは、両親と妹が、って言っていたぞ。
母親と妹ーー女の人じゃないのか?
やっぱりここはじっくり話を聞いて見るべきだ。
バンと机を叩いて立ち上がると、ネリスが驚いた顔をして言葉を止めた。
「羨ましくなったのか……? すいませんでした」
盛大なる勘違いだ!
「昨日捕まえた紅毒蛇のーー」
「ああ。今尋問中だって話の」
「……直接話が聞きたい」
「団長……いつも団長はそうやって、自分が捕まえた相手の話を聞きにいくんだからなぁ」
え、そうなの? おっさん暇だな。陛下の護衛以外してなかったから、時間的余裕があった、とかそういうことだろうか。いや本当にいいやつだったのかもしれない。ただのロマンティストじゃなかったのか。
まぁそんなこんなで、俺とネリスは、牢獄へと向かうことにした。
「さっさと吐け!」
「もっと殴られたいのか?」
「見えるところは殴るなよぉ? 近衛騎士団長が捕まえたらしいからな。噂通り見に来るかもしれねぇ」
「来るわけないだろ、こんなゴミを見に。ただの噂さ」
「それにしても一言も喋らないな」
石の階段をおりている段階で、殴りつける音と嘲笑まじりの声が二つ響いて来た。
うわ、怖い。俺、回れ右したい。
「もっと酷いことされたいみたいだな」
鎖を引っ張る音がした。ジャラジャラと重い音がする。
「案外期待してたりしてな」
続いて服を切り裂く音が響いてきた。
「いい体してるじゃないか」
キモ!
「止めろ、止めてくれ、それだけは……!」
アイト青年の声が聞こえた瞬間、俺は反射的に飛び出していた。
「何をしている!」
無理無理無理無理、目の前で強姦開始とか! 見るのも聞くのも嫌だ。
勇気を出す出さないの問題じゃなく、これはいただけない。酷いだろう! 人権どこ行った! 行方不明か!
すると牢屋で尋問を行っていた二人が、硬直し、恐る恐ると言った風にこちらを見た。おもわず睨みつけると、立ち上がってピシッとしこちらに向かって頭を下げた。
「こ、これは、その……」
「尋問です。ちょっと脅しただけで……」
二人とも目が泳いでいる。嘘だな、確実に。陰湿だ。
「尋問なら俺がする。ネリスーー……そこの二人を連れて行ってくれ」
処遇とかわからないので、そこは副団長に丸投げした。
頷いたネリスが連行して行く。
それを見送ってから、うずくまって服を胸元でぎゅっと抑えているアイトを見た。
「大丈夫か?」
「……」
大丈夫じゃないよな。何だか可哀想になってきた。寒そうなのでマントのような上着を外して、アイトに渡した。青年はおずおずとそれに手を伸ばす。
「ーー匂いがする」
そう言われて俺は固まった。まさか、加齢臭が移っているのか?
「レモンみたいな」
よくわからなかったが俺はホッとしたのだった。
それはそうと俺は仕切り直すことにして、しゃがんだ。
アイトと視線を合わせて尋ねる。
「お前、妹がいたんだよな?」
「……」
「この世界には、女の人もいるんだよな?」
「……」
「アイトは、ちゃんと女性から生まれてきたんだろう?」
俺が願う気持ちで尋ねると、アイトが俯いた。
唇を噛んでいる。相変わらず美青年だ。国王がショタコンでなければ、そしておっさん相手に変な妄想さえしていなければ、アイトは危なかったかもしれない。そんなことを考えた俺、毒されてる! 危ない危ない!
「……せ」
「ん?」
「……どうせ信じないくせに」
「いや女性がいない世界の方が信じられない」
思わず一人頷きながらとっさに口にすると、驚いたようにアイトが顔を上げた。
「頭が凝り固まった中年なのに信じてくれるのか?」
こめかみに青筋が浮きそうになったが、拳を握って堪えた。
いちいち人の心を抉ってくるやつだな! しかしこちらもいちいち怒っていたら話が進まない。
「事情を説明してくれ」
俺はアイトに、話を促した。
「俺の母さんは、奇形だと言われて見世物小屋に売られたんだ。そこで、見に来ていた父さんと出会ったんだって聞いてる」
子供に随分と赤裸々に話したんだな。
「母さんが生まれた村では、リリスという神様を信仰していて、オンナがたまに生まれたらしい。母さんもそれだ。それで、俺と妹が生まれた。母さんと妹はいつも異教徒の化け物といわれていたから、普通の人の格好をして、みんなで街を転々としていたんだ」
普通の人の格好って、要するに男装だろうか……?
「ある時、時計研究院の騎士に見つかって、連れて行かれた。捕まったら殺される。父さんも捕まって殺された。首が……研究院の外に投げ捨ててあった。俺だけ助かった」
思ったよりエグい話だった。それにしても、時計研究院ってなんだ?
まぁいい。記憶の検索は後にしよう。
「俺をそのあと保護してくれたのが蛇の末裔だ。オンナを生命の樹に導かなかった事を悔いて、愚民のために生命の樹へ、改めてオンナを導こうとしているんだ。そうすれば、母さんや妹のようなオンナの人も、この地に満ちるって……」
尋問に本当に黙っていたのかと聞きたくなるぐらい、すらすらとアイトは話してくれた。聞きながら、王妃様は女なのかと考えていたら、両性具有らしいとすぐに記憶が入ってきた。両性具有が生まれるへその緒があるそうだ。ならば女性が生まれるへその緒も存在するのではないのか。
「要するに蛇の末裔の目的は、女性の復権と差別の撤廃か」
「……信じないだろう、やはり」
「いや、そうでもない。仲間の数は多いのか?」
「入団条件があるから、そうとも言えない。絶世期の二十代で、恋愛に転ばぬ清らかな叡智ある者しか入ることはできないんだ。体の関係を持つは愚か、恋に落ちればすぐに除名される」
俺の敵だと思ったが、それなりに事情があったのか。二十代じゃなくてよかったと思って、その気持ちは今も変わらないが、絶世期に恋愛が出来ない辛さだけはわかる気がする。俺だって普通に進学して彼女作って遊びたかったからな。それがなんでこんなおっさんに!
「ところで、真の蛇の末裔に連なるものとはなんだ?」
「女の存在を知り、生命の樹へと再び男と女を導くことが出来る者だ」
「具体的には?」
「男と女から生まれた者だ」
「何人かいるのか?」
「十三人いる。使徒と呼ばれる。十三使徒だ」
シュリオーノ写本がいつ書かれたものかは知らないが、アイトの話はそれほど写本と乖離していないようだ。だがおっさんはまたどうしてこれを追いかけていたんだろう。というか追いかけていたのか? いつの間にかそんな気になっていたから、記憶が無意識にそう告げたのだろう。確実に追っていたのは、"紅毒蛇の切り裂き魔"だ。ーーあ。
「話は変わるんだけどな、"紅毒蛇の切り裂き魔"の目的は何だったんだ?」
「正確にはわからない、だがおそらくーーっ!」
言いかけたアイトが息を飲んで顔を上げ、俺を睨んだ。
やっぱりアイトは真犯人じゃないんだな。
「教えてくれ」
「ふ、復讐だ!」
「お前も追いかけていたんだろ? 手を組まないか?」
「誰が騎士なんかと手を組むか!」
「ほらやっぱり、組まないなんて言ってるんだから、アイトじゃない」
「……別に関係ないだろう。さっさと処刑でもなんでもすればいいんだ」
「アイトが話してくれないと、次の犠牲者が出る可能性が高いんだぞ」
「それは……」
しばし俯き、悩むように瞳を揺らした後アイトが口を開く。
「女に見たてて殺しているんだ。股を裂いて……切り落として……どんどん過激になってる。首を狩ったり……」
「誰の仕業かわかるか?」
「昨日あそこにお前が来なければわかったかもしれない! 余計な邪魔を!」
キッと睨みつけられ、俺は頬が引きつりそうになった。
「お前のせいで取り逃がすは、殴られるわ、蹴られるは、せ、性行為をさせられそうになるわ、最悪だ!」
なんだか一瞬申し訳ないと思ったが、よく考えれば責任転嫁だ。
むしろ今助けてやったし。
「で、お前は何で追いかけてたんだよ?」
「そんなの決まってる! 蛇の末裔の信者の犯行だからだ! 早く特定して、愚行を止めなければーー! それが使徒である、真の蛇の末裔に連なるものの使命だ! 男などいなくなれという盲信を抱いている者には制裁を……」
「蛇の末裔側でも手を焼いてるんだな」
「……」
「アイト、正直に話してくれ。お前は他に何か罪を犯したか?」
「蛇の末裔であること自体を、お前らは罪だという」
「それ以外」
「使徒は、罪など犯さない」
「じゃあ俺に襲いかかってきたことだけだな」
俺は開けっ放しだった牢屋の中へと入り、アイトをつなぐ鎖の片端を外して手に持った。
「出ろ。行くぞ」
「ど、どこへ連れて行く気だ?」
アイトが、狼狽えたような怯えたような声を上げる。
「俺の部屋。ここよりはマシだと思うぞ」
何せここに置いておいたら、今度こそ強姦被害に合うかもしれない。
それは見過ごせないし、もう少し詳しく、今度は蛇の末裔について聞いて見なければと思ったのだ。しょうがなくない?
こうして俺は、アイトを執務室へと連れて行ったのだった。
執務室の壁には、仮眠室ともまた違う扉があった。
俺はその存在をこれまでスルーしていたのだが、開けてみるとワンルームがあった。一人暮らしをするには十分な部屋だ。そして、鎖をはめるところが着いている。むしろ今までのものより長い鎖もついていて、扉と窓にこそギリギリ近づけないが、トイレやシャワーには十分な長さだった。簡素だが寝台もあるし、机もある。入り込んできた記憶によると、牢屋から連れ出した無罪の相手などをここでしばらく容疑が晴れるまで過ごさせていたらしい。うってつけだ。
俺は鎖をはめ直し、怪訝そうな顔をしているアイトを見た。
「また蛇の末裔について、後で聞かせてくれ。食事は後でどうにかする」
そう告げて俺は扉を占めた。
執務机まで戻り、一息ついた時、副団長のネリスが戻ってきた。
「まーた匿うなんて、団長って本当に器が大きいですね!」
いや単に強姦被害に合うのを見たくなかっただけだ。
そこでふと、ネリスは蛇の末裔についてどう思っているのか気になった。
「蛇の末裔についてどう思う?」
「あー俺、アダムとか信じてないんで、ああいう宗教みたいなのはちょっと」
思ったより真っ当な答えが返ってきた。
だよな! 普通そうだよな! 危ない危ない、俺も変な妄想に巻き込まれるところだった。葬式仏教の俺が何としたことだろう。
「そもそも蛇だの生命の樹だの、ただの神話でしょう? 何の証拠もないし。事実だったとしても、ラキがいて俺は幸せなんで関係ないな」
そりゃそうだなと俺は頷いた。
考えるのはもうやめよう。うんうん、それがいい。ただシュリオーノ写本だけはもう少し読んでみようと思った。