老化なんて爆発しろ!
ネリスが、仕事があると出て行ったので、俺は机の上で指を組んだ。
ふと、先ほどのアイトとの会話の中で出てきた言葉が気になったのだ。
時計研究院の騎士。
これはちょっと、おっさんの記憶から引っ張り出した方がいいと思うんだ。
するとこの国の騎士団についての情報が流れ込んできた。
そもそもこの国は、アイゼンハルト王国というらしい。
国についてはまた後で記憶を探ることにして、とにかく騎士について知ることにした。なんでも騎士団は、城……主に国王陛下を守る近衛騎士団を筆頭に、幾つかあるらしい。まずは、各騎士団の要請で駆けつける魔術騎士団。魔術師は皆ここに所属しているそうだ。近衛騎士団だけが、魔術騎士団からも引き抜きができるのだという。それ以外の場合は、基本的に三つの騎士団は、有事の際には魔術騎士団から人手を借りるそうだ。
序列で言うと、近衛騎士団が一番上で、二番目が魔術騎士団だ。
近衞騎士団の団長だったんだから、おっさんすごいじゃないか。
そのあと、三四五と順不同で三つの騎士団があるようだ。
青弓騎士団、赤槍騎士団、黄剣騎士団だという。
信号機みたいだ。
ーー青弓騎士団は、国王から授かり継承して行く、天空の青弓を団長が持ち、西からの脅威に立ち向かっている。
ーー赤槍騎士団は、栄光の赤槍を団長が継承し、王都の正面南の地を守っている。
ーー黄剣騎士団は、粉塵の剣を団長が継承し、東からの脅威に対抗しているそうだ。
名目はそうだが、魔獣討伐時はそれぞれが編成され直し、討伐軍が作られるとの事。戦争時などもそうらしい。なんでも団長は、継承できる人間がなるそうで、年齢は不問らしい。
そして六番目が、魔術研究院に所属する騎士だそうだ。
騎士というか、密偵や暗殺に長けた部隊だという。
序列は一番下だが、独立して動けるらしく、近衞騎士団が光とすれば、こちらは闇の騎士団らしい。
同時に独自の研究などをしているらしく、謎のベールに包まれているそうだ。
わかったのは、とりあえずよくわからないということだった。
「でもこの、時計研究院の騎士は……アイトの家族を殺したそうだし、女性の存在も知ってるんだろうな」
騎士団を調べるとしたら、時計研究院からだな。そもそも他と違って、国を脅威から守るというよりも、他のことをしていそうだ。ちょっと接触して、何をしているのか知りたい。まぁ後でいいや。
俺は自分でコーヒーを入れながら、ちょっと考えて見た。
さてそろそろ記憶をたどるか。
そもそものこの国についてだ。
アイゼンハルト王国は、現在三つある大陸のうち、最も小さい大陸に位置するが、その大陸全土を領土にしているため、他の国々よりも巨大らしい。海に守られていることもあり、他国との戦争は滅多にない。代わりに内乱や暴動が時折起きたり、魔獣に襲われることが多いらしい。特に魔獣が一番の敵だという。
王都はサイプレス。
現在は第七十二代国王、ジスガルド=エルリダ=アイゼンハルト陛下の治世だという。
あの王様ジスガルドっていうのか。
緑が豊かな王国で、一歩サイプレスを出れば、森や数々の村や街、山間部には少数部族などが暮らしているらしい。一部には砂漠があり、一部には万年雪の山があったりするとの事。
主食はパンで、コルコリオという動物の肉が出回っているそうだ。
なんだその肉。
また王都以外にも幾つかの都があるらしい。
そして一番距離が短く浅い海の向こうに、エルフの国と、獣人連邦があるそうだ。連邦とは言っても、狐やウサギ、猫、犬、狼などの国々が一括りにされているだけだそうだ。外交関係は、比較的良好らしい。
その時ちょうどノックの音がした。
返事をする前に扉が開く。すると、そこには青い騎士団の服をまとった青年が立っていた。俺よりは年上だけどおっさんよりはだいぶ年下だ。
「戻ったんだってな」
「ああ」
応えながら青弓騎士団団長のアイル・ブルーワークスだと分かった。代々青弓を継承してきた家系らしい。
「これでまたむさいおっさんが、恐れ多くも陛下の尻を狙ってるところを見るのかと思うと気分が悪いな」
俺だって気分が悪い。その上おっさんは、尻を追いかけられたかった方らしい。
「もうやめた」
だからきっぱりとそう言うと、青団長が眉を潜めて目を見開いた。
「……は?」
「陛下に対する恋心はない」
「え、嘘」
某然としたように入り口間際で突っ立っていた青団長は、気を取り直したかのように、ゆっくりと中へ入ってきた。
「そ、それ……本心か?」
「ああ」
「じゃあ、俺があんたの事狙ってもいいのか?」
「良いわけないだろ!」
思わず本音で返してしまった。本当どんだけこのおっさんもてるんだよ!
「くだらないことを言ってないで、仕事をしろ、仕事を」
手首を動かし左右に手を振り、案に出ていけと俺は通告した。
それにしても、本当みんな仕事してないな。
大丈夫なのかこの城ーー……いや国!
「ああ、絶対に俺の実力であんたを惚れさせて見せる! じゃあな。これから魔獣討伐の指揮をしてくるんだ」
ニヤリと笑い、青団長は出て行った。
それを見送ってから、俺は机の上にある書類を一瞥した。仕事らしい、片付けよう。すると昨夜の王様の性行為に関するレポートだった。見る気が無かったので、ぽいっと投げておいた。それから騎士団の日程表やら打ち合わせ表やら、比較的まともな部類の書類に目を通して行く。
そうして一時間が経った頃、扉をノックする音が響いた。
声をかける前に、扉は開いた。
「帰ってきたそうですね、主人に一言の挨拶もなく」
何の話だろうかと俺は目を細めた。
そこに立っていたのは、赤い騎士団の正装姿の青年だった。
「跪いて靴を舐めなさい」
何故? しかもこの世界土足だから絶対にお断りだ。
赤団長は、シュツルム=バーミリオという名前だと記憶が言う。
「あなたにような年老いた豚の相手をしてあげる心優しいものなど私ぐらいだとまだ気付かないのですか」
「……」
俺はあっけに取られて言葉を失った。きっとおっさんだってこれには無言になるしかないだろう。しかし、よく聞いてみればカチンときた。
年老いた?
豚?
好きでおっさんになったわけじゃない! しかも腹筋割れてるから豚じゃない!
どの辺りが心優しい主人なんだ、この馬鹿は!
「うるさい虫ケラ。見てわからないのか、仕事中だ。蟻よりも脳が小さいお子様にの相手などこちらこそしていられないんだ。邪魔だ、出ていけ」
ムカっとしたのでそう言うと、息を飲んだ赤団長は、それから涙目になった。
「こ、言葉責めが好きなんじゃ……!」
「ーー……は?」
「いつも言葉責めした時だけ表情が変わるから……僕がんばって……」
今の言葉責めだったの?
第一表情が変わるってそれ、怒りからじゃ……。
「そこで無駄な労力を使うぐらいなら仕事に打ち込め」
俺が思わずため息をつくと、ついに赤団長が泣き始めた。
「はい、はい……っ……僕も本当は罵られる方が好きだから、これからは今みたいに……!」
それだけ言うと赤団長は去って行った。今みたいになんだというのだ。
俺は罵ったりしないからな!
全く散々だ。
やる気が削がれて仕方がなかったが、もう少しで書類のチェックが終わるので、俺は気を取り直した。それから三十分ほどしての事だった。
ノックもなく扉が開いた。
「やぁ、ゼクス団長」
視線を向けると金髪の青年が立っていた。クレール=ファッカスという黄団長だった。
「何か?」
ちょうど書類仕事がひと段落したので椅子に座ったまま見上げると、黄団長が応接用のソファに座った。
「単刀直入に聞くけど、ついに諦めたの?」
「……まぁそうなるのか」
機から見たら国王陛下とおっさんの関係はそう映るだろう。
「陛下に抱いてってまで迫られて、御身にお傷をつけるわけには、って断った君がねぇ……プラトニックを貫き通すんだとばかり。君のせいで陛下はショタコンの道を邁進してるし」
「それは俺のせいじゃないだろ」
「へぇ、噂通り本当に饒舌になってる」
「……何をしに来たんだ?」
「何をってそりゃあ、諦めたってことは、陛下に抱いて欲しいって願望も諦めたってことでしょ?」
その言葉に思わず目を見開いた。おっさんの本心を知っている人もいたのか!
「ーー誰か抱いてくれる人ができたのかと思って、来て見たんだ」
「いるわけがないだろう!」
しかしその事実は、俺に貞操の危機を招く。
「僕は上でも下でもいいし、愛がなくてもいいから、ずっと待ってるよ」
それだけ言うと黄団長は帰って行った。
扉が閉まると同時に、俺は深々と椅子に背を預けた。
団長三人に惚れられている……だと?
この執務室も全然安全地帯じゃない。同時に仮眠室が物置化した理由も何と無くわかった。隣にベッドがあったんじゃ、何をされるかわかったものじゃない。
騎士団て怖い。やっぱり俺は農家になって虫と戦いたい。
そんなことを考えていたら、再びノックの音がしたものだからビクリとしてしまった。
「あー入るぞ……ってなんだよそんな、化け物でも見たような顔をして」
そこには紫色のローブをきた青年が立っていた。青年に見えるが同じ歳の魔術騎士団長であるアーク・シュナイダーだとわかった。
実際この城、化け物というか、同性愛者という脅威の巣窟だ。
「蛇の末裔捕まえて、今度はこっちに匿ったらしいな」
奥の扉を見据えて、アークが言う。なんだか普通の話題に戻ったものだから安堵した。
「俺も幾つか聞きたいことがあったからこっちに来たんだ」
「聞きたいこと?」
「本当によく喋るようになったんだな」
「……べつにいいだろ」
「まぁな。それより会わせてくれないか?」
明らかに仕事できた様子だったので、俺は頷いて立ち上がった。
アイトのいる部屋へと通すと、彼が怯えるように体を震わせる。
「なんにもしねぇよ。しっかしまぁ、何ゼクス。こういうのが好みなのか?」
揶揄するようなアークの声に、俺は顔をしかめた。
某然とした様子で、アイトが両腕で体をだく。
「そんなはずないだろう!」
「悪い悪い。で、何、"紅毒蛇の切り裂き魔"を庇ってたんだろ? ゼクスがこの部屋に連れてきたってことは」
「……」
アイトは何も言わず、威嚇するように、俺とアークを交互に見ている。
「聞きたいことは一つだけだ。神々(エロヒム)年代記を蛇の末裔は所持しているはずだ。中身が見たい。取引しないか? お前を助けてやる代わりに、数日の間でいい、見せてくれ」
アークの眼差しは真剣だった。
しかし俺は、また出てきた謎の言葉に半眼になった。
ーー神々年代記?
なんだそれは。
「……」
アイトは何も答えない。しばらくその場に沈黙が横たわった。
「ーーまた来る」
魔術騎士団団長はそれだけ言うと、帰って行った。
俺はなんだか疲れたので、そのままアイトの部屋に残り施錠した。
するとアイトが後ずさった。
「……お前まさか我に何かするつもりでーー」
「何もしないから。俺は男に興味がない」
ポツリと漏らすと、アイトが目を瞠った。
「……女に会ったことがあるのか?」
「いや……」
この世界ではないはずだと思い首をふろうとした瞬間、記憶がなだれ込んできた。
殴られている女がそこにはいた。髪を引っ張られ、腹部を何度も蹴られている。
吐き気がせり上がってきて、思わず口を覆った。なんだこれ?
ズキズキと頭痛がして、よぎった光景以外が思い出せない。
「……」
冷や汗が浮かんできて、瞬時に体が冷え切った。
コレ、は。
コレじゃないのか、おっさんが蛇の末裔を追いかけていた理由。
直感で、そんな気がしたが、それ以上の記憶が浮かんでこない。余程おっさんの中で、これは他者に漏らしたくない記憶なのだろう。
ま、後で考えよ!
考えてもわからないことは、放置に限る。
思考停止って悪いことじゃないと思うんだよね、俺。
「お腹は空いていないか?」
気分を切り替えて笑って見せると、緊張が解けたのか、アイトのお腹がなった。
「一緒に食べるか」
こうして俺たちは、食事にした。
アイトは随分とお腹がすいていたのか、ガツガツと食べて行く。
だから俺も気にせずガツガツと食べた。
「この部屋、何か不便なことはあるか?」
「……別に」
「良かった。そうだ、本でも持ってくるか?」
「いいのか?」
「ああ。暇だろ? 何が読みたい?」
「ハポネス研究書の二巻と三巻」
そんな本あるんだと思いつつも俺は頷いた。
翌日俺は、国立図書館へと向かった。
アイトの言っていた本を探すためだ。なんとそれらの書籍は、禁書庫にあり、近衛騎士団団長でなければ多分借りられなかった。存在を知っているだけでもアイトはすごいのかもしれない。もしくは、蛇の末裔の方にも蔵書があるのか。
とりあえず俺も読んでみようと、一巻と四巻を借りた。五巻は無かった。
執務室へと戻り、二冊をアイトに渡した後、執務机へと戻って本をめくる。
ーーこれはハポンという国が存在すると仮定して記した研究書である。
出だしはこうだった。んーハポン? どこの国か忘れたが、日本をそんな風に呼んだ国があった気がした。
ーーハポンは超古代あるいは違う次元、もしくは異世界に存在すると仮定される一個の国だ。古より、時折異邦人が来る。ハポンの人間だ。その全員が妄想にとりつかれていない限り。
今度は、シュリオーノ写本とは異なり、こちらの世界から見た日本人に対する記述のようだ。しかも全五巻もあったから、それなりに研究されているらしい。
目次もあった。
【第一巻目次】
@記録に残る最古の来訪者
A来訪者の種類
B来訪者の文化
C来訪者の国
【第二巻目次】
@来訪者の言語
A来訪者の学問
【第三巻目次】
@シュリオーノ手稿
A神々年代記
B青き賢者の書
【第四巻目次】
@生命の樹
A知恵の樹
B蛇の末裔
Cアダム・カドモン
【第五巻目次】
終:世界
とりあえず一巻を俺はめくった。序文と目次の後を読み進めるためだ。
ーー記録されている最古の来訪者は、神である。狩猟民族の村の少年の中に、ある日突如として神が舞い降りたのだ。神は『サエキ』と名乗った(名前は解読不能だが、神話から引用したそうだ)。
俺には読める。サエキさんとやらだ。おそらく成り代わりだな。
ーー神サエキは、農耕をもたらした。農耕の神でもある。
以来人々は、農耕を覚え、生命の樹に近づき戻ろうとした。しかしサエキは、体内に蛇を受け入れ、間も無く亡くなった。御身を犠牲にした。この時より、神々が生まれた。神々は、のちにへその緒となり、人々を増やして行くようになる。
蛇は男根の象徴だったなと、俺は顔が引きつった。それと若干シュリオーノ写本とは神話が異なっているなぁ。
ーー次に来訪者が現れた記録は五百七年の事である。ナオヤと名乗った異邦人は、人々に知恵を授けた。以来人々は、収穫した作物でパンを作ることを覚えた。ナオヤは、後のアイゼンハルト王と交わり、子をなした。これが王朝の始まりである。
うん、異世界トリップだな。
ーーその後長らく来訪者はなかった。しかしある時、子をなすへその緒から、光に包まれ一人の赤子が生まれた。神聖なる力と、神々の加護を持って生まれし赤子は魔獣から国を守った。
これは転生だな。
それからも、様々な逸話が綴られていた。
そして次章の種類わけされたのを、流し読んだ。なにせ、異邦人の来訪者を読んでいれば、俺の中で自然に種類は判別できたからだ。文化も、いただきますだの、箸を使うなど、俺が知っている文化が載っていた。来訪者の国は、科学や機械と言ったものが美化して書かれていたが、やはり目新しいものはなかった。ただしこの国の人々にとってこれはおとぎ話や神話になっているのだろう。
寧ろ二巻三巻を読みたかったが、しかたがないので、四巻を紐解いた。
ただこちらも、シュリオーノ写本やアイトの話と別段差異はなかったので、つまらなかった。
それよりなんだか目が疲れた。
それほど酷使したつもりがなかったから、眉間のシワをほぐす。
そうしながらハッとしたーーまさか、これって老眼?? えええ?
老眼てこの歳でなるのか……? いや、そんな……!
愕然とした俺は、それまで読み進めてきた内容などすっぱり忘れて、体を両腕でだいた。最悪である。嘘だろ……メガネってあるのかな。
老眼対策委員会なんて、もうこれ以上委員会なんて、作りたくない!
おっさんの体って思ったよりも不便だ!
老化なんて……老化なんて……爆発しろ!