王弟殿下のおかえりだ!
この日俺は寝不足だった。白いレースのカーテンを開けながら、眩しい陽光にため息をつく。確かにしっかりと施錠したはずなのに、入れ替わり立ち替わり、抱いてくれと人々がやってきたのだ。酷い場合は上半身を剥かれた。
俺がINしてるおっさんに筋力がなかったら、どうなっていたかわからない。
何とか潔癖を貫き、俺は朝の謁見へと向かった。
流石にこの時は、王様も普通に座っていた。
その時だった。
乱暴に扉が開かれ、驚いて振り返ると、大勢の家臣を引き連れた青年が一人入って来た。精悍な顔つきで、おっさんと同じくらいかわずかに背が高い。大剣を腰に差していて、紅いマントを翻し悠然と歩いてくる。
おっさんの記憶が、王弟殿下ーーガイス=フェミック=アイゼンハルトだと教えてくれた。肉食獣じみた目をしていて、独特の雰囲気がある。今にも噛み殺されそうといった威圧感を放っていて、薄い口元には余裕たっぷりの笑みが浮かんでいた。
「戻ったぞ、兄上」
「早かったな」
一方に陛下は満面の笑みだ。どちらかというと弟の方が王様然としている。その上周囲からは残虐王と恐れられているという、王様扱いだ。気を損ねればあっさりと殺される、らしい。あっさりとならまだしも、拷問の末に殺されることもあるようだ。そんな記憶とは裏腹に、対して俺INおっさんは怖がっている様子がない。
「私腹を肥やしていた馬鹿公爵の首は、館の前に捨てて来た。持って帰った方が良かったか?」
「ははははは」
何と陛下が空笑いをした。その方が俺にとっては珍しい。
ぼんやりとその光景を見守っていると、王弟殿下が剣を抜いた。それを兄である国王陛下の前で振る。いかにも殺しそうな近さだ。この兄弟、仲が悪いのだろうか。マァ俺が高校の世界史で習った限り良くあることのような気もする。
しかしーーそれまでニヤニヤしていた王弟殿下が、不意につまらなそうな顔をした。そしてなぜなのか俺を見た。
「お前なんでそこに立ってんの?」
そんなことを言われても困る。ここは騎士団長が並ぶ場所だ。
「愛しの兄上を、俺はこの剣でーーザクリ。いいのか?」
嘲笑するように笑った王弟殿下を見て、俺は玉座の後ろを見た。この前俺が適当に選んだ近衛騎士が、怯えたように立ちすくんでいる。しかし彼の仕事だ。
「陛下の後ろに立つ近衛騎士は、代わりましたので」
事実を俺が述べると、王弟殿下が虚を突かれたような顔をした。
俺は知らなかった、王弟殿下のこんな顔、多くの人が見たことがないということを。俺は強い眼差しはそのままに、何度か瞬きをした王弟殿下を眺めていた。
「……代わっただと?」
「ええ」
「しかもお前……それは俺に向かって喋りかけてるのか?」
「はい。それが何か?」
「御意、以外の言葉を聞くのは九年ぶりだ」
つまり二十九歳以来、おっさんは王弟殿下とまともに話をしていなかったのか。じゃあ別に、今から話するのやめていいな。
「まさかとは思うが……」
「……」
「……こ、恋人でもできたのか?」
俺は思わず鼻で笑った。この城、恋愛脳の奴しかいないんじゃないのか。
すると王弟殿下が眉を潜めて、口元だけに笑みを浮かべた。かつかつと靴の音を響かせてこちらに歩み寄ってくる。
「何笑ってんだよ」
「……」俺は無言を貫き通す!
「ここで死ぬか? あ?」
俺はそれとなく杖を握りしめた。
するとすぐに剣を振り下ろされたので、俺は杖で受け止めた。この杖、やっぱり硬い。だが、相手は仮にも王族だ。この後どうしよう。
「なんだよ、やる気なら最初からやれよ。骨抜けになっちまったのかと思ったぜ」
ん、なんだこれ。予定調和か。王弟殿下とおっさんは仲が悪かったのだろうか。
「その上、随分と色っぽくなってやがるから、てっきり別の恋でも見つけたのかと思ったぞ」
その言葉に、俺は短く息を飲んだ。色っぽいかどうかは知らないが、おっさんの変化に始めて気づかれた。言葉遣いの違いはともかく。中身が違うと、分かったのだろうか。良かったな、おっさん。外見以外の雰囲気とか見てくれる奴がいたぞ!
「……なんだよその顔」
気づくと俺は満面の笑みを浮かべてしまっていた。まずい、おっさんのキャラじゃない。すぐに表情を消すと、気がそがれたように、王弟殿下が剣を下ろした。
「熱でもあるのか?」
「いいえ」
「明日は異常気象か?」
「知りません」
あ、つい無言で居るのを忘れてしまった。
「まぁいい。後で事情は聞かせてもらうからな」
そう言った後、王弟殿下が俺の耳もとへと口を近づけた。
「偽物」
自室へと戻り、俺はフゥと息をついた。それにしても、あっけなくバレたものである。これまで誰にも気づかれなかったというのに、なぜばれたのだろう。まぁ誰一人にも気づかれないのでは、おっさんもかわいそうだから、良いだろう。
しかし相手が交戦的だったのがちょっとなぁ。
王弟殿下がやってきたのは、深夜になってからの事だった。
サラミとチーズ、薄く切ったパン、ワインを用意しておいた俺は、乱暴なノックの音とともに蹴破る勢いで開かれた扉を、眉を潜めて見ていた。
「来てやったぞ、ありがたく思え」
「扉は静かに開閉してください」
俺の言葉に、笑顔だった王弟殿下の顔が引きつったのがわかった。けど別に俺殺されてもいいし、好きに生きるんだし、関係ない。
「よっぽど俺に殺されたいらしいな」
「いや別に。それより何か話があるんじゃないんですか?」
俺が聞くと勝手にソファに王弟殿下が座った。仕方がないので俺が扉をしめる。
それにしても随分と国王陛下とは印象が違う。
平たく言えば唯我独尊、と言った感じだ。
「ああ。お前誰だ?」
随分と直球で来られた。さて、なんて返したものか。
「……」
無言でいいや。
「兄上に嫌気が差すのはわかる。むしろ今までささなかった方がどうかしてる」
確かにその通りだ。王弟殿下、案外常識人だな。
「だがお前が俺に笑いかけるはずがない。そうだろう?」
知らねーよ。それに別に、王弟殿下に笑いかけたわけじゃない。強いていうならおっさんにだ。しょうがない、ここは記憶の検索だ。
九年前らしいから、必死で思い出してみる。
……。
…………。
……………………。
記憶になかった。おっさんにとってはきっと些細なことだったんだろう。胸もざわつかない。何。何があったの?
小首をかしげると、王弟殿下が立ち上がった。そして正面に座る俺の顔の脇に腕を伸ばしたまま手を着く。ギシリとソファの背が啼いた。
王弟殿下は無表情だったが、やはり肉食獣みたいな顔をしている。
「偽物だろうがなんだろうが、そんな色気だして俺と二人になるなんてバカなやつ」
そう言うと、王弟殿下の顔が近づいてきた。
意味がわからなかったので眉間にシワが寄った。
「!」
が、そのままもう一方の手で顎を掴まれ強制的に上を向かされた。
そしてーー
「っ、ン」
唇が重なった。咄嗟のことに目を見開き、抗議しようと口を開いた瞬間、王弟殿下の舌が口腔へと入ってきた。舌を追い詰められ、絡め取られ、甘噛みされる。手で押し返そうとするも、この人おっさんより筋肉があった。いや多分違う。おっさんより若いから、力と勢いがあるんだ! 何てこった! 息苦しくなって咳込もうとしたのに、角度を変えて再び口を貪られる。
ーー俺、男とキスしちゃったよ!
いくら男しかいない世界(?)とはいえ、これは……!
その上こいつ……キスうまいな! いや、元々童貞高校生の俺には刺激が強すぎる。それともおっさんの体にも耐性がないのか??
ようやく口が離れた時、俺はぐったりしてソファに沈んでしまった。
まだ生々しく薄い唇の感触が残っていて、唾液がしたたっていく。
「どうだ?」
自信たっぷりと言った様子で、王弟殿下がニヤリと笑った。確かにお上手だったが、俺の頬はピクピクと引きつった。
「変態」
「なッ」
「近寄るな」
己の身に危険が迫るくらいなら、ショタコンの王様を見ている方がましだ。
むすっとするのが止められない。
「何、殿下。このおっさんのことが好きなのか?」
「自分でおっさんとか言うなよ」
「好きか嫌いかどちらかで答えろ」
「口の利き方を弁えろ、一介の近衛騎士の分際で。随分と死にたいらしいな」
「うるせぇ、ばーか」
「……なんだと?」
王弟殿下が剣を抜いた。次の瞬間には俺の首の真横に、剣が突き立てられていた。速すぎて見えなかった。本能的な恐怖が募ってくる。
「その怯えた顔。そそるな」
「いや俺、殿下が言ったとおり、偽物なんで。このおっさんのことが好きなら、どいて下さい」
「別に偽物だって良い。むしろお前の方が好みだ」
ダメだこいつ。話にならない上に変態のドSだ。偽物だと見抜いたところまでは素晴らしかったんだけどな……。
「ところで、九年前とかに何があったんですか?」
「……本当に偽物なんだな。俺がお前にしたこと、覚えてないのか」
「だからなにしたんです?」
「犯しただろう」
え。おっさんにとってそれって記憶の片隅にもないちっぽけなことだったのか?
そういやこのおっさん、受け身だ……ちょっと待ておっさんの記憶! 早急に思い出せ! 俺は必死で念じた。
茂みの中でおっさんーーゼクスが溜息をついていた。
なんだかおっさんの記憶というより、その場面が見えた。
まだ若かりし頃で、二十代後半。
多分九年前だから二十九歳。王弟殿下ーーガイスが、その時茂みの隣に座った。
「近衛騎士も大変だな。見たくもない兄上とエロガキのイチャコラ場面を見てなきゃならないなんて。それとも覗きか、悪趣味」
「……何か御用でしょうか」
「勃ってるぞ」
「っ」
二十代前半の殿下の言葉に、あからさまにゼクスが眉を潜め、頬に朱を指した。
その瞬間横から手が伸び、服の上から陰茎を掴まれる。
「しかもシミになってる」
「やめて下さい」
「こんなところ兄上に見られたらどうなるんだろうな」
「セクハラで殿下が捕まります」
「あ?」
そのままゼクスは茂みに押し倒された。そして乱暴にブチリと服を向かれた。ボタンが弾け飛び、服がほつれ切り裂かれる。
「乳首まで立ってんぞ」
そう言うと、ガイスが乳首を口に含んだ。片手でもう一方の突起を嬲りながら、舌先で吸い付いた方の乳首を刺激する。もう一方の手は、ベルトを器用にはずし、ゼクスの下衣の中へと差し入れた。
確かに反応を見せている陰茎に気を良くしたように、ガイスが笑う。
「脱げよ。これは命令だ」
「陛下以外の命令を聞く気はありません」
だが至極冷静にゼクスが言う。その瞳には侮蔑が宿っていた。
それに苛立ち、無理やり下も引き摺り下ろして、ガイスが口に指を含んだ後、無理に菊門へと突き立てる。
「キツイな」
「鍛えてますので」
「……ああそうか」
そのまま、乱暴に指を引き抜くと、強引に中へとガイスが肉棒を進めた。
「いッ」
流石に痛みを堪えきれなくなったのか、ゼクスが声をあげそうになる。
しかし唇を噛み、何とか声を押し殺した。そのうちに血がしたたり、動きがスムーズになる。
「好きな相手が一歩向こうにいる状況で、犯されるのはどんな気分だ?」
嘲笑するようにガイスが言うと、わずかに生理的な涙を浮かべながら、しかしきつ然とゼクスが言った。
「王弟殿下の将来が心配です」
その言葉に、ガイスの中で、何かがプツリと音を立てた。
気づいた時には激しく腰を打ち付け、何度も何度も中を暴き、白濁とした液を注いでいた。片手では無理やりゼクスの前を扱き、射精を促す。それでも、ゼクスは必死に声を堪えていた。ガイスが我に返った時には、ゼクスはぐったりと芝の上に体を預け、ぼんやりと虚空を見据えていた。
「気は済みましたか?」
軽蔑するような声で言われ、ガイスは息を飲むしかない。
「若さ故の過ちと思って忘れます。今後の接触は控えましょう」
そう告げるとゼクスは体を起こし、破けた衣服を纏った。
ーー以来、御意としか言わなくなったのだ。
「もう、あの時の俺とは違う。感情のままに体を暴いたりしない」
王弟殿下の声で我に返った俺は、とりあえず最低だなと思った。同時に、おっさんのことがよくわからなくなった。俺ならトラウマものなのに、すっかり忘れているなんて……俺なんてさっきのキス一つですら、忘れられそうにもない。
とりあえず、おっさんにも押し倒してくれる相手がいたことはわかった。
「なんで、兄上なんだよ」
その時、忌々しそうなガイスの声がした。
それは俺も知りたい。しかし王弟殿下を選ばない理由はよくわかった。
「俺はもう、お前と剣でやりあう以外に、関わることなんてできないのに」
なんだかよくわからないが、とりあえず話を戻すことにした。
「あの、それはともかく、俺は、おっさんだけどおっさんじゃないんです」
「ああ、まだ若いな」
「そうじゃなくて、有る意味偽物なんです」
「……だろうな。気配が違う」
やっぱり、王弟殿下は鋭いのだろうか。
「実は死んだら成り代わってたんです」
「なんだって?」
「ちょうどこのおっさんも、陛下のところで死ぬ予定で」
「そんな馬鹿な。ゼクスが死を選ぶなんてあり得ない」
「いやそれは俺に言われても……」
俺の言葉に顔をしかめ、殿下が立ち上がると腕を組んだ。
それから考え込むように、部屋の中を徘徊した。
そうしてようやく歩みを止めたと思ったら、もともと座っていたソファに腰を下ろした。
「とりあえず、今のお前は兄上に恋をしていないんだな?」
「はい」
「兄上に惚れそうか?」
「いえ、全く」
「元々のゼクスは、兄上のどこに惚れたんだと思う?」
「なんで好きになったのかも分かりません。一応記憶では、一緒にいるうちに忠誠心が恋心に変わったらしいですが」
俺と殿下は二人で腕を組み、眉を潜めた。
「ゼクスの中で俺の記憶はどうなっていた?」
「無いです」
きっぱり告げると、殿下がむせた。
「少しもか?」
「はい全然」
少し残酷かもしれないとは思ったが、酷いことをした相手だ。それに必死で思い出さなければ、本当に記憶になかったのだ。
「じゃあ兄上の記憶は……しっかりあるのか?」
その言葉に俺はハッとした。最初の自殺場面意外で、王様の記憶、出てきたっけ?
「……無い」
「なんだって?」
「全然記憶ないです!」
これまで好きだと思い込んでいたわけだが、不思議な事に記憶がない。
その上、無理に思い出した記憶には、どうしようもない違和感がある。
確かに殿下は俺様風だが……幾ら何でも、忘れるか?
「殿下、本当に犯したんですか?」
「ああ。いつも冷静な顔をしていたからな、ずっと乱したかった。苦痛にゆがむ顔がみたくてな」
「本当最低ですね……いやそれは取り置いて、なんか変だ」
「ああ、まるで記憶がすり替えられたようだな」
何気ない殿下の言葉に、俺は息を飲んだ。何か、パズルのピースがはまったように、閃いた気がした。だがそれがなんなのか、いまいち分からないーーまさか。
「に、認知症??」
この若さで? 俺は某然とするしかなかったのだった。