待て、王様は!?




俺は執務机に座り、両手でコーヒーの入るカップを握った。
しかし、しかしだ。
痛む腰に苛立ちながら俺は目を細めた。
ーーおっさんは、わざわざ王様と一緒にいたくて、魔術師であることをやめたんだよな?
最近思ったよりも魔術って簡単に使えると知ったが、やはり魔術騎士団レベルだと威力が違うらしい。そしておっさんは元々はそこにいたようだ。だがやめた。
それも近衛騎士団長まで登りつめ、周囲にも好きなのだと周知されていた。
周囲が知っているとおっさんが知っていたのかはわからないが、自殺を考えるほど好きだったはずなのだ。その上俺が見た夢は、本物の青の賢者が見せた幻なのかもしれない。だいたいこの数日で知り得たおっさんの行動は、思いの外格好良かったではないか。俺と入れ替わったとして、仮に陛下が想い人じゃなかったからと言ってあっさりと乗り換えるか?
なんだか違和感があるぞ。
何よりもあの夢の中のおっさんのテンションが似合わなすぎた。
こめかみを指でほぐしながら、カップの中身を見る。
何と無く直感が言うのだ。

ーーおっさんが邪魔な誰かが、おっさんを消そうとしたんじゃないのか?

実際おっさんは消えた。ここにいるのは俺だ。
それにここのところ、俺は無意識の行動が増えている気がする。
それこそが本物のおっさんの意思なのではないのか?
俺の無意識の行動も、おっさんの意識の残り香が何か伝えようとしているためだったりして。おっさんの事を買いかぶりすぎだろうか?
ただそれにしても分からない、全然わかんない。あのショタコン陛下のどこが良かったんだ? このままでは永遠の謎になる。

よしこれで最後!
もう一回だけ王様を見に行こう!

俺は決意して立ち上がった。この時間帯だと王様はーー……大抵青姦中だな!
そんな知識いらなかった。何でそんなことを詳細に知ってるんだよおっさん。
ともかく居場所が何と無くわかったので、俺は外へと出た。
茂みをかき分け、城の裏庭を進んで行く。幾つかの庭園を抜けて、目指す王様の姿を見つけた。国王陛下は、アダム・カドモンに祈りを捧げる神殿の前で、薔薇を眺めている。身を隠した俺はひっそりと周囲の気配をうかがったが、不思議な事に美少年の姿は何処にも無かった。いや、なくていいんだけどな。
その上いつも楽しそうにヘラヘラ笑っているか、悲しそうな顔しか見たことのなかった国王陛下は、無表情でスッと目を細めていた。あんな風に真面目な顔もできるのか。正直意外。こういう顔をしていれば、やはり格好いい。気持ち悪い姿を見なければ、それこそ外見のみであれば、惚れてもおかしくはないだろう。
国王陛下は周囲を静かに見回した後、神殿の中へと入って行った。
俺もさささっと神殿の柱の脇に移動する。
おっさんの体は隠密行動にも向いているようだ。流石!
ちらりと陛下の様子をうかがうと、完全に中へと入ったわけではなく、壁にかかったレリーフにピタリと片手を当てていた。そして何かをつぶやくと、ゴゴゴゴと音がして、そこに暗闇が現れた。
??
何事かと思っていると陛下がその中へと消えた。
すぐにそれは閉まりそうになったので、俺も慌てて中へと入る。
暗闇の中には、石段があった。
おりて行く陛下のあとを静かに俺もついていく。
この距離では振り向かれたら終わりにも思えたが、その心配が消え去るほどそこは暗かった。闇だ。闇というしかない。
陛下が階段をおり切ると、ステンドグラスから注ぐような、不思議な虹色の光が見えた。そして俺はぽかんと口を開けた。
ーーへその緒?
というには、多すぎる数の太い触手じみたものが、高い位置にある十字架の中央の巨大な宝石から無数に伸びていた。そしてその先には、やはり無数の人がくっついている。しかし聞いた話とはことなり、そこにあるのは、赤ちゃんじゃなかった。全部ーー国王陛下の顔をしていた。え、なにこれ? 胸がざわざわして、嫌に鼓動が耳につく。大人の姿の王様がいっぱいいた。ただどれも、人形のように目を伏せ、身動き一つしない。
「ゼクスは、余が偽物だと気がついたのだろうな……だから近衛を辞めるなどと……」
淡々とした声で国王陛下がつぶやいた。
え、王様も偽物なの?
「……それでも、余は……」
国王陛下がため息をついた。ため息を付きたいのは俺だ。ぞわぞわと寒気がこみ上げてくる。あれじゃ双子ならぬ百人子ぐらいいる。一体あれは何?
そもそも近衛騎士をやめたのは俺の意思であり、おっさんの意思じゃない。
無性に国王陛下のことを慰めたくなった。だがこれはおっさんの意思のような気がするので、体を制する。国王陛下を抱きしめてなるものか!
よくわからなかったが、俺は気づかれる前にその場を後にした。帰る時は不思議とあっさり扉が開いたのだ。

執務室に戻ったものの、いまだに心臓がばくばく言っている。
軽くホラーだった。
瞼を伏せ、へその緒というより、まるで樹のようだったことを思い出す。
ーーん、樹?
樹といえば、生命の樹……??
あれもしかして生命の樹だったんじゃないの?

そう考えて俺が愕然とした瞬間、怒涛のように記憶がなだれ込んできた。

おっさんーーゼクスが眉間にしわを刻んでいた。魔術騎士団の正装姿だ。白い手袋をはめていて、紫色の騎士の服をきている。手には、杖を持っていた。
「陛下、最近の陛下の行動は目に余ります。玉座の間に、陰間を連れ込むなどと」
流暢に流れ出てきた声は、全く知らない人の声に聞こえた。
当然だ、俺は本物のおっさんが喋っている姿を見たことはないし、自分で聞く声と人に聞こえる声は違うと言うのだし。ただわかるのは、おっさんが寡黙なんかじゃないということだ。その上そこにいたのは年嵩の男ではなくーーそれこそ十七歳くらいの、俺と同じくらいのとしの青年だった。だけど面影がある。陛下も若い。
「いいんだよ、ゼクス。どうせ余はすぐに死ぬ」
「何を馬鹿げた事を」
「それが、蛇の定めた運命なんだよ。ゼクスに会えて余は幸せだ」
何時もの通りの軽薄な笑みかと思っていたら、そこに浮かぶ優しいような苦笑するような国王陛下の表情に、ゼクスは息を飲んだ。よく見知った顔のはずなのに、それこそ違う人間に見えたのだ。違和を感じつつも、ゼクスは踵を返す。
「戯言はもう十分です。執務にお戻りください」
その瞬間だった。
「うあ」
うめき声が聞こえた、何かが皮膚を突き破る音を聞いた。背中に生暖かい飛沫がかかったのが分かった。恐る恐るゼクスが振り返ると、そこには首筋を狼に噛まれ、倒れている国王陛下がいた。
あっけに取られて、何度も何度もゼクスが瞬きをする。反射的に狼を殺める。
何で城の中に狼が? 現実逃避気味にそんなことを考えてから、それから息を飲んで陛下に歩み寄りかがんだ。
「陛下!」
だが国王陛下は何も言わず、血濡れの顔で、ただ静かに笑っていた。
ゼクスの白い手袋も染まって行く。
手袋越しにも、陛下の体が冷たくなって行くのがわかった。
そのあとは無我夢中だった。医官を呼ばなければと城の中を走った。
ーーそして。
ぶつかった。

「そんなに急いでどうしたんだい?」

ゼクスは目を見開いた。ぶつかった相手は、今しがた血に濡れていた国王陛下だったからだ。白昼夢だったのか? そんな馬鹿なと思って庭へと戻ると、そこにはおびただしい血と、こと切れた狼の体が横たわっているだけだった。
狐につままれた気分だった。
ーーああ、悪い夢だったんだ。
それでも翌日から、楽しそうに笑っている国王陛下を見ていたら、もう何も言えなくなった。少年を玉座の間に連れ込むくらい、あのように死んでしまうよりはずっといい。時折安堵の息をつきながら、魔術騎士団の報告をした。いつも通りの日々が戻ってきて、同僚のアークと手合わせをしたりして毎日を過ごす。それで良かった。だがある日、それは再び終わりを告げた。
来客を知らせに陛下の部屋へと行くと、咳き込んでいる姿が目に入ってきた。
「陛下ーー!」
誰かを呼ぼうと、支えながら立ち上がろうとした時、国王陛下がゼクスの腕にしがみついた。
「無駄だよ、余の体は弱い。不良品なんだ」
それはいつかと同じ苦笑するような優しい笑みだった。そのまま大きく咳き込み吐血して、国王陛下は絶命した。意味が分からなかった。この時のゼクスは二十になったばかりだった。冷静になろうと努めて部屋に外へと出た。だがやはり信じられなくて再び扉を開けた。そこには、誰の姿もなく、ただ血だけが残っていた。
願うような気持ちで玉座の間へと行くと、そこでは何時もの通りの軽薄な笑みを浮かべた、国王陛下の姿があった。

ーーそれからも、何度も何度も国王陛下は死んだ。

いつしか今度こそ守ろうと決意していた。だから近衛騎士となり、常に陛下を見ていることにした。もう死なせない、殺させない。はじめこそ己の気が狂ったのではないかと思ったが、そうであればどんなに良いだろうという酷な現実をまざまざと見せつけられた。

ーーそのようにして、ゼクスの二十代は一瞬で過ぎ去った。二十代なんて、なかったに等しい。ただ陛下のために尽くした日々だった。
そしてそれは二十代最後の年の出来事だった。

また、陛下は死んだ。最早、悔しさしかそこにはないような気もしたが、それでもゼクスは、今度は陛下を殺めた殺人犯を睨めつけた。様々な殺され方をしてきた陛下だから、暗殺も珍しくはなかった。ただこの時だけは少し変わっていた。殺人犯が部屋に残っていたのだ。思えば、陛下の死を他者とともに見るのは初めてのことだった。相手は蛇の仮面をつけていた。
「仮面を外せ」
静かにそう告げると、嘲笑じみた笑い声が響いてきた。しかしそれはーー聞き覚えのある声だった。仮面を取った青年はニヤリと笑っていた。後の"紅毒蛇の切り裂き魔"だ。なぜ将来、蛇の末裔の信者と位置付けられたのかはわからない。
「陛下……?」
「そうなるね。余は、性格が不良品らしい。安心するがいい、すぐに次の余が玉座に座る」
それだけ言うと、身を翻し、新しい陛下は血に濡れたまま、窓の外へと消えた。
陛下が陛下を殺した。陛下は生きているのか死んでいるのか? それすらわからないままで、気がつくと玉座の間へと向かっていた。そこでは相変わらずヘラヘラと陛下が笑っていたのだった。
両手で顔を覆い、ゼクスは一人庭に出た。もう言葉なんてでなかった。
そこへと、朗らかな笑みを浮かべ、少年を連れて陛下がやって来た。茂みに身を隠す。現実感が何処にも無かった。言い知れぬ興奮に支配され、自然と男根が張り詰めていた。たぶん恐怖もあった、確実に。王弟殿下がやってきたのは、その直後のことだった。ただそれすらも、現実感はもたらさなかったのだった。

ーーああ。

何も知らずに陛下に抱かれる子供が羨ましい。偽りに見えるにしろ、陛下に笑いかけられる少年たちが羨ましい。陛下に身を任せて、抱かれたらどんなに幸せなんだろう。それだけの日々が羨ましい。何も知ることがなく、苦しむこともないのだろうから。きっとこの、陛下を失いたくないという執着は、一種の妄執であり愛だ。歪でゆがんでいるにしろ。もう疲れてしまった。消えてしまいたい。陛下ではなく、己が死んだら、世界はどうなるのだろう? せめて最後は、陛下のそばで消えたい。そのくらいのわがままは許されるはずだ、許して欲しい、そう願った。そして今だに人を殺め続けるもう一人の陛下を呪おう。あの世という世界があるのだとしたら、きっときっときっと。

「……」

我に返った俺は、ダラダラと冷や汗がこめかみをしたたって行くのを実感した。
確かになり変わった直後の記憶は、言い換えればこうなるのかもしれない。
おっさん……おっさん!
いや待て落ちつけ俺。必死で生命の樹について考える。確か、日本で聞いた限り、不老不死をもたらす樹だったはずだから、王様が死んだようで死んでないというか沢山いるというか、そういうことはあるかもしれないし、俺も見た。

だがおっさんには、俺とは違った意味で二十代がなかった。

十年間も陛下のために費やしたのか。周囲に好きだとうつっても不思議じゃないし、確かにそれは一つの愛の形だったのかもしれない。
え、じゃあ今の王様も死ぬのか?
しかし、死なない王様もいるわけだ。
"赤毒蛇の切り裂き魔"ーーおっさんが追っていたのも、国王陛下だからだったのか?
そこまで考えて俺は腕を組んだ。
こんなにインパクトがあったら、そりゃ王弟殿下の記憶が薄くても納得できる。
ん?
だが、俺は思い出した。最初の仮定だと、おっさんを消したい奴がいるんじゃないかって思ったんだよな。結局それは、ただの仮定なのか? それに、これまでにも、日本からなり代わりとかの人が来てたのはなんで? あれが生命の樹だとするのはマァいい。それも仮定だけど。じゃあ運命の人だの、シュリオーノ写本だのはなんだ? そもそもどうして俺だったんだよ? 蛇の末裔は?
結局わかったのって、おっさんにもある意味二十代がなかったってことと、王様がオカルトってことだけだろ……。
何一つ解決してない!
ただ疑問が増えただけの一日だった。