あー肩凝った!


考えすぎて、俺はズーンとした気分になった。妙に肩が重い。風邪を引いた時みたいだ。ーーん? 肩?
俺はハッとした。これは、もしや……肩こり??
そう自覚してみると、肩がバキバキ言っているのがわかる。やばい辛い。気づけば首の付け根から頭の付け根までも重くて、そのせいで頭痛がしてきた。
無性に誰かに叩いて欲しい。
今そうしてくれそうなのはーー俺は仕方が無いので、アイトの所へ行った。
「な、何か用か?」
美青年はまだ照れていた。しかし俺の肩は限界だった。
「悪い、肩叩いてくれ」
「ーーは?」
「凝ってるんだよ!」
認めたくはないが、腰が痛いのも昨夜の性交渉のせいではなく、ぎっくり腰になる一歩手前の予感がしてきた。筋肉あるくせに、どうしてこうなる。
俺の言葉にそれでも素直に、アイトが叩き始めた。結構いいやつである。
「もうちょっと上」
「……」
「あー、ちょっとだけ内側!」
なかなか凝りのピンポイントにこないから、あーだこーだと俺は言う。
美青年はそれに忠実に従ってくれた。
「うーん、今度はもっと強く。てか、やっぱり揉んで」
「……いい加減にしてくれないか」
アイトが低い声で言ったのは、一時間ほど経過してからのことだった。
「おお、悪い。最後に強く叩いてくれ」
「……」
不服そうな様子だったが、それでもアイトは俺の言う通りにしてくれた。
まぁまぁ凝りは取れたなと、俺は首を左右に動かした。
それからふと思い出してアイトに聞いた。

「"紅毒蛇の切り裂き魔"の事なんだけどな」
「……なんだ?」
「昔からいたのか?」
「なんだ今更。あれほど執拗に追いかけていたくせに」
「蛇の末裔は、二十代しか入れないんだろう? 昔からいたとすると、もういいとしなんじゃないのか?」
「それは蛇の末裔の中でも、明かされていないんだ。代々、選ばれし者にのみ"力"が継承されて行くから、受け継ぐ本人しか素性は知らない」
「力?」
「神々年代記に記されている奇跡だ」
そういえば魔術騎士団のアークが探していた本だなと思い出す。アイトの身柄と引き換えにしようとしていたほどだから、よほど重要な本なのだろう。
「具体的にはどんな力なんだ?」
「……」
「奇跡って言われてもな、ピンとこない」
「そ、それは……」
アイトの瞳が揺れた。あ、これ多分知らないな。
「まぁいいや。で、その切り裂き魔は、代替わりするたびに人殺ししてるのか?」
「まさか! 蛇の末裔は罪など犯さないと言っただろう!」
「じゃあどうして"紅毒蛇の切り裂き魔"は人を殺すんだ? 女の人に見たててるって言ってたよな?」
「それは……」
今度はアイトが困ったような顔をした。これは恐らく知っている。長いまつげが、影を落としていた。それにしても綺麗な顔だな。
「……リリスの神殿が発見されたからだろう」
「リリスの神殿?」
「ああ。異教徒の神だから、公にはされていないけどな。実際にリリスのものかはわからないが、我は確信している」
「なんなんだそれ?」
「……お前が見つけたんだろう」
俺は咳き込んだ。おっさん、遺跡かなんか発見してたのか。
「その上取り壊されそうになったのを、エルフの王族に介入させて止めたと聞いてる。その点だけは、評価している」
エルフの王族ーービオラか。
リリスといえば、アイトの母親の村で信仰されていたらしい。
俺の現代日本における知識を総動員すると、リリスというのは確か、イブの前のアダムの奥さんだ。詳細は知らないけどな。
「エルフ族には、太陽の女神の神話があるから、こちらと違ってオンナの伝承に寛容なんだと聞く」
これはビオラに一度話を聞く必要があるだろう。
それと可能ならリリスの神殿とやらを見てみたい。
「リリスの神殿はどこにあるんだ?」
「スラムだ」
うん、シークにも話を聞く必要が出てきたな。それはともかくとして。
「どうしてリリスの神殿が発見されたからといって、"紅毒蛇の切り裂き魔"は、人を殺すんだ?」
「生贄だ。供物だ。愚民を捧げているーー……多分」
「へぇ」
分かるようでよくわからなかった。だがたんたんと告げているのに、アイトの顔がどこか苦しそうに見える。不本意なんだろうな。凶行を止めると宣言するほど俺には勇気はない。今だって虫と戦いたい。だけど、だ。
おっさんの考えをもう少し知りたい。
俺が成り代わったおっさんは一体何を考えて生きていたのか、もうちょっとだけしりたいんだ。まだまだ大切な記憶が欠落している気がする。
「あ、悪いんだけどな、ちょっと腰踏んでくれないか」
だが真剣な考えは、腰痛によりかき消えたのだった。


翌日、俺はまずスラムに向かった。
記憶を探るとすぐにリリスの神殿の場所がわかったので、地下に降りる。さらにその下に崩れかけの入り口があり、階段が続いていた。
カビ臭く湿っぽい。
外の光が入ってくるはずはなかったが、全体的に緑がかった青い光に包まれていた。正面には祭壇があり、巨大な四角い石が置かれている。位置的には教会の聖書みたいな、何らかの置物だ。その奥には、乳房のある人像があり、奥の壁には蛇が絡みついた、逆さの十字架があった。中央にはやはり宝石がついている。これが青い光を放っているようだった。十字架にはびっしりと文字が記されている。

「ーーなんで日本語なんだよ」

俺は引きつった笑みを浮かべるしかない。歩み寄ってまじまじと見てみる。
手で撫でて埃を払うと、刻まれた文字はさらに鮮明になった。
「俺は佐伯龍之介……?」
佐伯。サエキ? 何処かで聞いたなと思い必死に考えると、本に出てきた神の名だと思い出した。農耕の神様とされていた。実在したんだな。帰れたんだろうかこの人。というか、みんな俺の生きていた年代からここに来たのか?
「青の賢者の書をここに封印する」
ひとまず読み取ることができる場所にはそう書いてあった。周囲を見回してみる。だが本らしきものはーーあった。床に黄ばんだ紙が落ちていた。それは書籍の切れ端のようでーー
「あ、日本語とこの世界の言葉の互換表だ、これ」
少し驚いた。だがよく考えてみると、サエキ氏の名が出てきた本の別の巻に、言語という項目があった覚えがあるから不思議ではない。屈んでそれを見ていると、砂を被った黒い手帳を見つけた。何とはなしに開いてみると、何と無く見覚えのある文字が綴られていた。

「ーーこれおっさんの字じゃん」

完全に落し物っぽい。誰でも入れそうな神殿に落としておいて、よく拾われなかったものだ。その上砂のかかり具合からして、だいぶ前に落としたものに見える。
開いてみると、絵が描いてあった。
何と無く見覚えのある絵だ。だがまた認知症なのか思い出せない。思い出せ俺。虚空を見据えてみるが全然ダメで天井を見上げた。
「あ」
そこには日本列島が描かれていた。すぐに手帳を見てひっくり返すと、そこにあったのも日本だった。なんで日本が? 基督教と価値観が合わなさすぎるというのに。
再び手帳に視線を戻し、文字を読む。
ーー知恵の樹が存在する? 生命の樹と対を成す?
そう書かれていた。他のページをめくると、今度は蛇の絵が出てきた。
ーーイブとは何か?
今度はそう書かれている。日本語を翻訳したものだった。見知らぬはずなのに読める文字を追って行く。俺は詳しくないが、どうやら聖書の創世記が、この国の言葉に翻訳されているようだった。最後に、今度は日本語で、ポツリと一言書いてあるーー時計研究院にイブはいる。青の賢者の書を探す。
そこでメモは終わっていた。
探すというのは決意表明か、今後の予定か。
それを手にしたまま立ち上がり、俺はふと祭壇の上を見た。
「え、これ?」
完全に石だと思っていたがそこにあるのは巨大な本らしく、青の賢者の書と書いてあった。手帳を外套の中にしまい、俺は本に手を伸ばした。そして思いっきり力を込めて重い表紙を開いた。

瞬間、あたりが光に飲まれた。

髪を引っ張られて、腹部を何度も蹴りつけられてーーそこには、暴力を振るわれている女性の姿があった。まるでおっさんの記憶を視覚で見てしまう時のように、俺はその場にいるのにいなかった。なにもできない。
無数の顔のない赤子が、女の全身に群がり絡みついている。女の首には蛇が巻きつき、ねじりあげていた。その女の腹部をひたすら蹴りつけている者ーーそれは。

「え、俺……?」

おっさんではない。
本物の俺の顔をしたーー十七歳の俺がそこにはいた。
目を見開く。
冷や汗がうかんで来る中、俺は冷静になろうと努めた。
だが頭の中が大混乱だ。目を見開くしかない。
その光景の中で、俺の顔をした人物は愉悦まみれの表情で嗤っていた。
気づいた時には、すでに辺りは神殿の風景に戻っていて、俺はガクリと地に膝をついていた。両手で鼻から口までを覆う。
おっさんも、多分同じ光景を見たのだと思う。前におっさんの記憶に、踏みつけられている女の人がいた。でも、なんで俺が……?


気がつくと俺はスラムを歩いていた。どうやってここまで来たのかも覚えていない。
「あれ、ゼクスさん?」
不意に声をかけられて顔を上げると、そこには吟遊詩人のラキが立っていた。
「顔色悪いなー!」
曖昧に笑ってみるが、我ながら失敗した自信があった。
「ーーちょっと休んで行きます?」
その言葉に、素直に俺は後をついて行った。一人でいたくなかった。
ラキに連れていかれた彼の家は小綺麗で、木の椅子に促される。
「どうしちゃったんですか、まるで蛇にでもあっちゃったような顔をして」
「蛇に会う……?」
「へ? 具合が悪いことを蛇に会うっていうじゃありません?」
「なんで?」
「えー? 吟遊詩人の詩では、神の子が蛇を呪う詩があるけどなぁ。多分、蛇が蛇の子孫にあった時の恐怖で具合悪くなっちゃうからかな」
「……聞かせてくれないか? その詩」
俺の言葉に、静かにラキが頷いた。そしてハープを奏で始める。



ーーああ、蛇に蹂躙された神の子がいた。胸の大きな神の子だ。
蹂躙した蛇は笑っていた。
そうして血濡れの神の子を残して立ち去ったーーが、その後で。
ーー神の子は立ち上がった。
ーー誰もいなくなった場所で一人立ち上がった神の子は、フラフラと歩き一本の樹へとたどり着いた。生命の樹だ。樹はよく見ればへその緒で構成されていた。神の子が幹に手をつくと、周囲の暗闇に、大小様々の無数の時計が現れた。全てゆがんでいた。それから神の子は手のひらに力を込めた。
ーーすると今度は樹の伸ばすへその緒の先に赤子ができた。
ーーその次は育った子供。
ーー子は次第に成長し、そうして蛇そっくりに育った。
ーー両耳を手のひらで抑え、蛇が何かを絶叫していくーーああ、"私"は蛇だった。私の顔をした人物は蛇だった。怯えた蛇は何度も子をむしり取っては殺すのに、樹は何度も蛇の子を産む。無数に満ち満ちた蛇の子は、世界中に散って行く。そして果実に、知恵の樹の実に受胎しては、蛇を嘲笑うのだ。
蛇が愛したたった一人を奪い、その子供に成り代わり。
それは蛇の子孫であり、そして知恵の樹の実を得たヒトだ。
けれど蛇は愛を得る事はできず、アダム・カドモンは永遠の眠りにつきーーそうして蛇は呪うのだ。愛する人の子の一人に成り代わった己の末裔を。
しかし蛇の末裔は気づかない。
蛇そっくりの顔をして、己の運命の恋人を見つけては、幸せに生きるのだ。
己の祖先の罪は忘れたままでーー確かに蛇の血を引いているというのに。
けれど蛇には子孫の邪魔をする権利はない。運命の人を見つけた蛇の子孫は、己のいるべき世界に、必ず帰る。



短い詩だった。意味もよく分からない。だけど俺にはどうしようもない胸騒ぎをもたらした。
「終わりです」
「ーー蛇が自分そっくりだとかいう伝承ってあるか?」
「聞いたことないですね。詩の"私"は兎も角。蛇は十代後半くらいの黒い髪に黒い目をした人の姿をとってるって話ですよ。伝承では、神の子の血を濃く受け継いだ子孫は今の王家の始祖となったとか。ちなみに蛇の末裔は、血の匂いが好きだっていう特徴があるって」
頭がグラグラした。瞬きをするたびに、まぶたの裏に赤い蛇の目が映っているのが分かる。もしもあの青い賢者の書が見せた光景が、今の詩の通りなら。
俺は蛇か、あるいは蛇の末裔だ。
「ええと、蛇はアダムさんが好きだったってことだよな?」
「アダムさんて。まぁそういう事でしょうね」
ラキが吹き出すように笑ったが、俺には笑い事じゃない。
「アダムの子供に蛇の子孫は成り代わったんだよな?」
「確かに子供の一人に成り代わったみたい。子供いっぱいいたみたいだし。ただこの国の人々はアダムの子供って言われてますけど、蛇の子孫はいないって。蛇の子孫は、知恵の樹がある別の世界にいるらしいです」
「……」
「たまぁに、蛇が復讐心をおさえきれずに子孫を喚びだしたりするみたいですけどね。世界の壁が薄いハポンて所から」
「なぁ」
「はい?」
「成り代わられた相手はどこに行ったんだ?」
「さぁ。永遠の謎って言われてます」
俺って、蛇だったのか……いや、蛇の子孫?
成り代わったのってよくわからないが、この蛇に関係しているんじゃないのだろうか。あの光景を見たおっさんは、一体何を思ったのだろう。いつか見た夢の一部が仮に本物だとしたら、おっさんは蛇の子孫になって運命の人と幸せに生きたかったのだったりして。
それにしても、だ。
俺がもし本当に蛇の子孫なら、運命の人はいるはずだ。それが胸のある神の子ーーおそらくリリスの、蛇に対する復讐のはずだからだ。そして必ず帰るって言ってる。国王陛下がいっぱいいたのも、納得が行くではないか。神の子の末裔ということだ。だからへその緒から沢山……! そして要するに、俺はやっぱり運命の人を見つければいいんだ。まさかこの世界に帰ってきただなんて事はあるまい! 蛇に喚びだされたのだろう。元に世界で運命の人なんていなかったんだからな!

とにかく俺は、外へ出る前以上に肩がこった。
眉間まで凝ったので指でほぐしてみたら、毛が生えていた。これでは眉毛が繋がってしまうので指先に魔力を込めて、高速で毛を処理したのだった。