運命の相手捜索隊! ー1ー
それにしても、俺の今後の予定が決まって良かった。
騎士団に戻ったばっかりに、男とキスしたりしちゃって散々な目にあったわけでもあるが、運命の相手候補者は増えた。
俺は朝の誰もいない執務室で、一人コーヒーを入れた。
湯気が白い。
そうしながら目を伏せる。
運命、運命だ。運命というくらいなのだから、会うことが定められた相手のはずだ。誰だーー……身内とか? 思い出して見るのはすごく嫌だが、まずは兄がなぜおっさんに惚れたのか見てみよう。目を閉じていると春の昼下がり、黄緑色の若草の上に座っている子供が二人見えた。兄とおっさんだ。ゼクスは5歳だとわかった。そこへ、大きな犬が歩み寄ってくる。先に予測がついた。兄が手を出し巨大なゴールデンレトリバーに噛まれた。泣きじゃくる兄。怯え一つ見せずに弟は、犬を撃退した。妙に冷静な子供で、取り出したハンカチを兄の傷へとあてがう。ーー頼りになる、幼き日の兄はそう感じて胸がきゅんとした。ポカポカのお日様と同じように、ゼクスの手もあったかい。俺はゼクスが大好きだ。それが初恋の始まりで、今もまだ続いている。
俺はそこまで思い出して目を開けた。
不思議なことに、おっさんの記憶の他に、相手の記憶も見えている気がする。
ーー全てを見通す蛇の目。
瞬間そんな単語が脳裏をよぎった。唇を引き結び、無かったことにする。
どうにもこうにもお兄さんが運命の相手とは思えなかった。お兄さんからしたら運命の相手に思えたかもしれないが。
とすると、次に近い位置にいたのは、執事だ。思い出せー、思い出せー!
ああーーその時の執事、リザークはまだ執事ではなく家令だった。
その時リザークは急いでいた。
キッチンで新聞にアイロンをかけながら、同時に紅茶用の熱湯を沸かしていたのだ。この日は風邪で使用人の多くが休んでいたから、やることが次から次へと舞い込んでくる。この後は床を雑巾で拭いてーーそう考えていたら、その雑巾をリザークは踏んだ。滑り、頭から薬缶に激突しそうになる。熱湯が鳴いている薬缶だ。恐怖にきつく目を伏せた瞬間、傾いた体は抱きとめられた。そこに立っていたのは、十三歳のゼクスである。
「……大丈夫か?」
「は、はい。ど、どうしてこちらに……?」
「忙しそうだから茶の用意はこちらでしようと兄上と話していたんだ」
まだ胸がどくどくと鳴り響く中で、リザークは呆然としたままゼクスを見ていた。
なんでもなかったかのように、ゼクスは薬缶を持って出ていった。
以来リザークは、ゼクスを見るたびに胸の鼓動が早くなるようになったのだった。
それが恋心だと気づくまでにそう時間はかからなかった。
「うーん、これは吊り橋効果だろ」
俺はしらっとしてしまった。しっかしそれにしても、おっさんは動じない。冷静な子供だったらしい。ちまちましていて可愛いのだが、それだけだ。
いや、この二人が運命の相手じゃないから、そういう姿なのか。
もっとこう照れたり笑ったり、そういうの来い!
次誰との記憶を見よう。
俺は悩んだけど、面倒臭くなった。もういいや。会った順に行こう。
陛下はひとまず除くとして、最初にあったのはエルフのビオラだ。
「また神殿へ行くの?」
俺はこの前行った館で、苦笑しているビオラの姿を見つけた。
おっさんは、何も言わずに、雲霞のローブを受け取っている。これは、俺が知っているおっさんの顔ーー大人になったゼクスの顔だ。大人というか完全におっさん。いつものおっさん。表情だけが俺とは異なり仏頂面だ。
「どうしてそんなにあの神殿にこだわるの?」
「……」
「それも陛下のため? ドラゴン退治の時と同じように」
ビオラの声と同時に、場面が切り替わった。
青い空に、白い雲が浮かんでいる。そこは崖の上で、二十代前半だろう青年ーーゼクスが大剣を斜めに抜いていた。あとは一瞬だった。硬い鱗に覆われたドラゴンの首にゼクスの剣は突き立てられて、周囲には血飛沫が舞う。
ポカンとした顔で、それを一人の少年が見上げていた。
現在と全く姿が変わらないーービオラだった。少年だというのに、白いウェディングドレスを着せられていて、そしてその白も血が赤く汚した。ドレスの端は破けている。ドラゴンの爪が引っかかったのだ。
ーーもう竜と結婚しなくていいの? 生贄にならなくていいの? 喰い殺されなくていいの?
「……」
ドラゴンを倒し絶命させた後、ゼクスが剣を鞘にしまった。陛下が死なないと確信している時、確信できた時、その時だけ、彼はドラゴンを相手に腕を磨いていた。魔術ではなく剣の腕を。近衛騎士としてそばに居続けるために。
その日ゼクスがいた場所は、エルフが生贄を差し出す場であり、生贄に選ばれたのはビオラだったのだ。皆竜との結婚だなどといって送り出すが、実際には腹を空かせたドラゴンに襲われる前に餌を与えているに過ぎなかった。
ビオラだってその事実は知っている。それを承知でこの竜の巣までやって来たのだから。この崖の上には、日に何度か竜が舞い降りる。竜は少食だから、一人の生贄で五匹は養え、三年は持つと言われている。
「帰らないのか?」
その時不意に声をかけられて、ビオラは息を飲んで顔を上げた。すると特にこれと言った感情を浮かべてはいない表情の人間がそこに立っていた。この頃はまだ外交関係なんてなかったから、竜とは異なる意味で恐怖の象徴だった。
「ぼ、僕は生贄だから……」
もう帰る場所もない、逃げる場所もない、そしてきっと明日には喰い殺されるのだ。もう諦めていたはずなのに、ゾクゾクと恐怖がこみ上げてくる。
ぎゅっと目を閉じ両手を組んだ。
「そうか」
そう言うとゼクスが、羽織っていた黒いマントを脱ぎ、ビオラに投げた。
「もうじき暗くなる。ここの夜は冷えるぞ」
彼はそのまま視線で、崖から少し離れた位置にある小屋を示した。
それから何も言わずに歩き出す。大きなコートをおずおずと肩にかけたビオラは、ゴクリと音を立てて唾液を飲み込んだ。ドラゴンも人間もどちらも怖かったのだが、まだ人間の方がマシな気がしたのだ。
その日の夜は焼いたパンの上に炙ってとろけたチーズがのった食事だった。
膝に毛布をかけて、ビオラはそれを食べた。
仮にも王族だったから、そんなものは食べたことがなかった。
ーー翌朝。
目を覚ますとどこにもゼクスの姿はなく周囲を見回していると、小屋の外からドラゴンの断末魔が響いてきた。戻ってきたゼクスは少しだけ返り血で濡れていて、服がほつれていた。
それは次の日もその次の日も、何日も何日も続いた。ドラゴンが来なくなるまでの間だった。それまでのひと時、ゼクスとビオラの間に会話はなかった。食事の用意を無言でしてくれるか、静かに眠るか、ドラゴン退治に出て行くか。ビオラはただそれを見ていた。そんなある日だった。
「もうこの辺りにドラゴンはいない」
「あ……」
「生贄になる必要はないんじゃないか」
特に表情を変えるでもなく気だるい眼差しでゼクスが言った。
響いた声がどうしようもなく優しく思えて、気づくとビオラは泣いていた。
「どうして……」
「……」
「どうして助けてくれたんですか?」
ビオラが震える声でそう言うと、ゼクスが僅かに首を傾けた。
「俺はただ、ドラゴンと戦いに来ただけだ」
「でも、僕を助けてくれた……!」
「ーー早く帰るといい」
そう言ってゼクスは踵を返した。マントをぎゅっと握りしめたままビオラが叫ぶように言う。
「これ、絶対に返しに行きます! 待っていて下さい!」
寒いと言ったくせに、もうゼクスの服も所々破けていた。ビオラは思った。今度、沢山沢山服を用意して会いに行こう。
それ以来、ゼクスのことが忘れられず、家族の反対を押し切って外交を樹立した。
あの時のお礼に、なんだってしてあげたいと思う、思っているのだ。
だから神殿の保全にだって協力した。
利用されてすらいいと思う、そんな愛だ。決して消えはしない。
たとえゼクスに想い人がいようとも。
「やっぱりおっさん以外の感情が入ってくる……」
俺は肘に片腕を添え、もう一方の手を顎に添えた。
しかしビオラは随分と献身的らしい。けれど見た感じこれは、ビオラにとっての運命の人ではあるかもしれないけど、おっさんのほうはどうなんだろ。ただの善意な気がする。見捨てておけなかっただけな気がする。だけどそれって恋か? 再会してからの心踊るような記憶も特にない。
記憶に残っているのは冒頭の、遺跡に行く直前の場面が一番強い。
「まぁ、私服がいっぱい置いてある謎はとけたな」
一人つぶやき、俺は静かに頷いたのだった。
まぁいい。次だ次。
次ぎに会ったのは、故売屋のシークだ。
「ゼクス団長、いい加減休まないと明日に響きますって」
時計が午前四時を指していた。特に何も答えず真剣に羊皮紙を読んでいるゼクスを、シークもまた寝るでもなく見守っている。そばにはランプがあった。部屋は暗かったが、この前の場所だとわかる。おっさんもシークも見慣れた姿だ。ゼクスの目の下には赤く細いクマがある。時折それを撫でながら、ゼクスは考え込むような顔をしていた。シークから買った情報を咀嚼している様子だ。その瞳は暗い。
そんな彼の横顔を眺めていたシークが苦笑した。勿論それにもゼクスは気がつかない。
そしてまた場面が切り替わった。
先ほどまでの夜の光景とはことなり、そこは白い陽光に照らし出された街だった。
人混みを縫うように、一人の少年が歩いているーー子供の頃のシークだ。
口笛でも吹きそうなほど楽しそうな表情をしている。
そして時折人にぶつかるのだ。
ーーこれで今夜は、暖かい布団で眠れる。きっとパンも食べられる。
抜き取った財布の数々が、ゆったりとした服の中で重さを増して行く。
そろそろ最後にしよう。
そう思ってぶつかった時だった。通り過ぎようとしたその瞬間。
「っ」
手首を掴まれ目を見開いた。
瞬時に恐怖に駆られて、ぎこちなく首だけで振り返る。
そこには面倒臭そうな瞳の青年騎士が一人立っていた。黒い金縁の服から、近衛騎士だとわかる。片手で唇を覆い息を整えてから、朗らかにシークは笑った。
「なんですか?」
「……」
「わぁ、騎士だー!」
努めて子供っぽく言ったが、二十代半ばの青年ーーゼクスの暗い瞳は動かない。
軽蔑されているように感じて、スッと内心が冷めていく。
「離して下さい」
「……」
「離せって」
シークは手を振り払おうとしたが、ゼクスは痛みこそ与えないままできつく手首を握っていた。
「返す、返すって。返せばいいんだろ?」
「そう思うのか?」
「俺のことを捕まえるって? たいした正義感に感動だ。スリなんて二・三日で出て来られる。だいたい俺子供だからー? 精々怒られて終わりだよ」
「そういうことじゃない」
「じゃあなんだよ、説教? 怒る人間があんたに変わったからってなんてこともないね」
「盗みを働く現実に身を晒さなければならない事が問題だ。返して形だけ謝ってそれは何か変わると、そう思うのか?」
淡々と、そう淡々とゼクスが言った。怒るでもなく笑うでもなく瞳同様声にも感情は見えない。意味がわからないわけではなかったから、シークは言葉に窮した。
だがすぐに気を取り直して笑った。
「だったらあんたが変えてくれるとでも言うのか? 俺に毎日パンを持って来てくれるのか? 屋根のある家と毛布を用意してくれるとでも言うのか?出来もしないくせにくだらないことを言うなよ。偽善者っていうんだってな、あんたみたいなやつ。吐き気がする」
ゼクスはそれを、気だるそうな表情で聞いていた。
「ーーそれで満足するのか?」
「は? あーあー大満足ですよ!」
「そうか」
そういうとゼクスはシークの手首を離した。逃げようと少年がタイミングを図る前で、先にゼクスが歩き始めた。結局理想論を言うだけ言って帰るのかと見守っていると、彼は思い出したように振り返った。
「着いてこい」
「……」
シークは眉を潜めた。逃げることは簡単だったし、着いて行ったら、その先は牢屋かもしれないのにーーなのになんとなく気になった。おずおずと後を追う。
たどり着いた先はーーパン屋だった。
「あれ、ゼクス様? 今日は何をお買い求めに?」
「チーズパンを三つ。それと、確か二階は貸し部屋だったな? 貸して欲しい」
「構いませんけど質素な寝台と毛布くらいしかありませんよ?」
「毛布と屋根があればいいーー行くぞ」
そう言ってゼクスが視線で、シークを二階へ促した。
「パンは自分で下におりて買ってくれ。毎日来るのは無理だ」
それからゼクスがパンを買うには多すぎる紙幣を置いた。
「ーーその金でパン買うと思ってんの?」
「好きに使えばいい。ああそれと、これを」
ゼクスは、紙幣の脇に、首から外して十字架を置いた。
「十字架……?」
「ああ。もう俺には不要だから、やる」
そのままゼクスは帰って行った。シークは呆然とそれを見送りーー翌日からはパンを買った。家賃はゼクスが払ってくれているらしい。時折訪れる彼は、特に何を言うでもなく、持参してくるお茶をいっぱいだけ飲んでは帰って行った。
なし崩しの形でそこで暮らし、シークはいつしかゼクスが来るのを待ちわびるようになっていた。そして、ある日聞いた。
「どうして俺によくしてくれるんです?」
「ーー俺も、変えたい現実があるからだ」
「え?」
「変えられる現実が羨ましかっただけだ。解決できる問題が、ただ羨ましかった。お前にとっては大問題だったんだろうから、本当に俺はただの偽善者だ」
「変えたい現実……?」
「忘れてくれ」
しかし忘れられるはずはなかった。胸が異様に騒いで、何度も痛んだ。自分に何かできることはないのか? どうしても、ゼクスの力になりたいと思った。多分その時初めて思ったのだ。だからパン屋の店主の裏の副業を手伝い始めた。店主は故売屋だった。シークがその道へと進んだと知った時、ゼクスは普段見えない表情に、明らかな苛立ちを浮かべたけれど、それでも良かった。もう力になれればなんでも良かった。きっとそれはーー恋だった。
「……え。おっさん……なにこれ」
我に返った俺は考えた。これはおっさんの妄想が入っているとかそういうことなのだろうか。だが違う気がする。過去の現実が広がっている気がした。これは、多分おっさんの記憶じゃない。蛇の姿がチカチカと脳裏をよぎる。
ーーそれにしても、おっさんの変えたい現実?
きっと国王陛下のことだろう。
要らない十字架?
ああ、もう神様を信仰するのをやめたのかもしれない。残酷な生命の樹へ対して絶望したから。
「それにしてもだよ、これも運命の相手って感じじゃない」
シークにとってはやっぱり運命の相手かもしれないが、おっさんから見るとこれはどうなんだ? 本当にただ、変えられる現実を持っていたシークが羨ましかったのかもしれない。そんな気がした。
どこにいるんだ、おっさんの運命の相手!
おっさんから見た運命の相手!
運命の相手、求む!