運命の相手捜索隊! ー3ー



俺は、コーヒーを飲みながら考えてみる。
運命の人が、やおいチンピラから救出したアイトという事もないだろう。なんとなく。
だがここまで来ると、もう知っている人の心当たりがない。それこそ俺の記憶に浮かんで来ない、通りすがったことのある城の誰か、とかそういう相手の可能性もある。そもそもこんな、地球にそっくりなら何十億人も人がいそうな世界で、運命の相手がすぐそばにいるとか、話したことがあると思う方が間違いなのかもしれない。違う国の違う人種や種族かもしれないーーあ、獣人の国があるんだったな。
「入るぞ」
その時乱暴に扉が開いてから、声がかかった。蝶番が酷使されすぎてギシギシ可哀想に啼いている。こんな開け方をするのはただ一人、やっぱり王弟殿下だった。
入る前に声かけてください、とか言っても無駄なんだろうな……。
「何か御用ですか?」
「綺麗な百合の花を見つけたからわざわざ持ってきてやったんだ」
王弟殿下がそう言うと、花束を机に置いた。
またどうして花なんかーーあ。
俺の心にピシリと罅が入った。田舎のじいちゃんが、昔ながらの水虫薬として百合の花から薬を作っていた……え、おっさん水虫なの!? 食べ物に似通ったものがあるんだから、薬に似通ったものがあったって不思議じゃない。それにこの前、殿下は俺INおっさんの足を舐めていた! そこで水虫に気づいてそれとなく?? もしやこれは遠回しに伝えてくれているとかそういう配慮?? 水虫なのに舐めてたのかこの人!
「ーーそんなに顔色変えるなよ。悪い意味で持ってきたわけじゃない」
俺を見て、王弟殿下が嘆息した。
悪い意味……だと?
やっぱり何か意味が込められているのか!
水虫なんて嫌だ!
痒くない水虫もあるって聞くしな……見た目には少なくとも変化まだないけど。じゃあなんで殿下にはわかったんだ? 足フェチだから舐めると分かるとか? 気持ち悪いなーーあ! きっと殿下も水虫なんだ。
「二人で前向きに捉えよう殿下」
「ああ。俺なりにじっくりと考えて見たんだ。成り代わりの経験は、これまでの人生を一区切りさせろというアダム・カドモンの意思で、ゼクスはゼクスだ。お前はお前。偽物なんて言って悪かったな。ま、でもあれだ、この百合は過去のゼクスへの手向けの花だ。死の象徴の百合が、きっと過去を彩ってくれる」
「……」
あれー?
水虫じゃなかった。よかった。よかった!
そして王弟殿下、思ったより真摯だ。その方向が、「信じない」に大転換してるけどな。殿下の理論で行くと俺は、おっさんということになる。ややこしいが間違いだ。間違いだと否定して、貴重な、中身が違うと話せる相手を確保するべきかーー……殿下面倒臭そうだし、冗談だったとまでは言わずとも、流すか。うん、流そう。なにせこいつは、俺の体にエロいことを……いやおっさんの体なんだけどーーうわ、本当ややこしい!
「ありがとうございます」
「……本当に偽物なんだな」
「え?」
驚いて顔を上げると、殿下が眉間にシワを寄せ、口元だけで笑っていた。なかなかに背筋がゾクゾクしてくる怖い笑顔である。
「ゼクスは、面倒だからいいや、みたいな流し方はしねぇんだよ!」
「なんで俺の考えがわかったんですか??」
「図星かよ……!」
殿下が剣を引き抜いた。振り下ろされる直前、反射的に俺は杖を横に構えて受け止める。危ない危ない。髪の毛がちょっと切れた。窓から差し込む陽光が刀身に反射している。
「第一なんで分かったかだって? ただでさえ表情が見えないゼクスの気持ちが知りたくて観察を続けてきた俺に、なんたる愚問を! 前からそうやって感情をだだ漏れにしてくれていれば……!」
どうやら殿下のおっさん好きは筋金入りだったらしい。
一体何がきっかけでそこまで惚れ込んでしまったのだろう。逆におっさんも、本当に記憶はないんだろうか。そんな事を考えていたら、再び記憶が入り込んで来た。

ーー全く嫌な話だ。

あ、これは王弟殿下の記憶が強いなと俺は思った。それと記憶に、色みたいな何が付随していることがたまにあるんだけど、青くて暗いのが入り込んでいる記憶だった。

ーー全く嫌な話だ。
座る部分が青いベルベッドでできた一つの玉座がある。それは王弟ガイスに、ある日届けられたものだ。王位を簒奪し、有能な"陛下"とならせられるまでは、この殿下の間にてお使いください。渡してきた貴族の首はその場で斬ったが、青い玉座はそのまま今でも部屋にある。窓はどこにもないから、いつも暗い。
ガイスはこの時まだ十代後半だった。今回のように時に怒りに任せて斬首してしまうこともあったが、その後はしばらく嫌な感触が手から離れなくなる。その程度には繊細だった。
青い布に銀の剣をつきたて、正面に組んだ両腕を置いた。
膝立ちのまま、室内を見回す。
右手ではふくよかな家臣の腹が裂けていて、だらだらとどす黒い血が流れて行く。
左手では、斜めに切った家臣が仰向けに倒れていて、じわじわと石床に血を広げて行っている。この位置からでは見えない場所では、一人の少年が事切れているのも知っていた。少年はいつも国王の膝の上にいる陰間の一人だ。素性が確かな貴族の子息ーーもちろん条件がそればかりというのは建前で、国王陛下の護衛を兼ねている。ーーまた俺は、クーデターの疑惑をかけられ国王信奉者たちに命を狙われた。そう考えていた直後に今度は、あなたの方が王にふさわしい、といって二人の貴族がやってきた。言い知れぬ嫌な気分に襲われながらも、国王に対する不敬罪で処分した。実際俺は何もしていないし、王位を簒奪する気などないというのにーーそれが若かりし日のガイスの思いだった。だが周囲はそうは思わない。
国王位簒奪を試みる思い上がった王弟を排除すべき。
無能な国王を排除し有能な王弟こそが国王となるべき。
そんな二つの意見が囁かれ、そのどちらも行動となって向かってくる先はガイスの元だった。
己は決して兄と仲が悪いとは思わないし、だから時に疲れてしまう。意に沿わないことを言ってくる相手なんて全部消えてなくなればいいと思うのだ。

「穏やかではありませんね、王弟殿下」

そこにゼクスの声が響いた。座ったままで、ガイスがそれを見上げる。
二人ともまだ若い。十代後半のガイスと二十代半ばのゼクスだ。
「お前も俺が兄上に対してクーデター起こそうとしてるって思ってんだろ?」
ニヤリと笑ってガイスが言うと、ゼクスが首を傾げた。
「起こすのですか?」
「それこそまさかだ。なんで俺が兄上をーーああ、もう、クソがッ」
吐き捨てるようにそう言って、ガイスが椅子を片手で殴りつけた。
「どいつもこいつも俺に、兄上を殺せ殺せ殺せ、だ。俺はそういう奴らを片っ端から血祭りにしてぇんだよ!」
「……」
「けどな、そもそも俺がいなけりゃこんな話は出なかった! 出ないんだよ、俺がいるから、だから……消えてぇ、もう消えてぇんだよ俺は。俺が死ねばーー……」
叫ぶようだった声が、次第に消え入りそうなほど小さい呟きへと変わって行く。歯をギリギリと噛み締めている様子のガイスは激怒と困惑と悲愴がない交ぜになったような瞳の色をしていた。
「ッ」
その時、ガイスの真横にまっすぐと剣が伸び、玉座に突き刺さった。
もう少しずれていれば首が切れて、絶命していただろう。
ガイスはゆっくりと首だけで振り返った。
「自分がいなくなれば良いと思うのならば死ねばいい。その勇気がないのであれば私が代わりに」
「そうすれば兄上に対する邪魔者も消えるしな。だがいいのか? 王族殺しはーー」
「王弟殿下が望むのであれば、です。大変残念ですので、お考えを改めていただきたい」
ゼクスの声は淡々としていて、特に表情もない。
「自分を消してしまうくらいであれば、それが変えられる現実ならば、変えた方がいい。私はそのように思います」
その言葉に、馬鹿げていると思ってガイスが笑った。
「じゃあ何か? 俺を殺しに来る奴も、俺に殺せと進言に来る奴も、皆俺が殺していいっていうのか?」
「そうなさりたいのであれば」
「その言葉、後悔するなよ」
嘲笑するように笑った後、ガイスは立ち上がった。きっとこの案を実行すれば虐殺者として、周囲はさらに敵ばかりになる。しかし今までの口ぶりだけの味方連中も離れて行くのだと思えば気分が良かった。
一ヶ月後、また青の玉座の間でガイスは膝立ちで座っていた。
この間に上位とされていた貴族の顔は揃って変わった。国王派王弟派関係なしに、宮中に仕事以外の簒奪話などを持ち込んでいた貴族連中は皆粛清されて死んだ。ガイスの手によって。初めこそ混乱もあったが、今は静まり返っている。そして王弟殿下を恐れる声が日に日に高まって行くのだ。だがその日々は、以前よりもずっとガイスにとっては優しかった。
「お前の言った通りにしてやったぞ」
そこへ現れたゼクスに、疲れ切ったような顔で、それでも意地悪くガイスが笑った。
「お前も俺が怖くなったか? それとも自分のせいで多くの人間が死んだことに心でも痛めているのか?」
しかしゼクスは相変わらず表情を変えなかった。
「ーー現実が変わり、殿下は楽になりましたか?」
「は?」
「もう自分が死ねば良いなどと思うな。変えても変えても変えても現実は酷かもしれないですが、その時はまた変えればいい。変えられる限り。私が心を痛めるとしたらそれは、殿下が消えてしまいたいと嘆くその心に触れた時です。どうか消えたいなどと、二度とお考えにならないでください」
それだけ言うとゼクスは部屋から出て行った。

記憶はそこで止まっていた。だからこの後どうなって王弟殿下がおっさんに惚れたのかはまだわからない。ただおっさんの気持ちは何と無くわかった。全く妙な話なのだが、自由に生きられる王弟殿下には、死がまとわりつかない繰り返さない王弟殿下には、幸せに生きて欲しいと思っていたらしい。
うーん、これは捜索隊史上初かもしれない。
最近相手の記憶が強かったが、ここに来ておっさんの感情が見えた。
おっさんは、王弟殿下の事を、ちゃんと考えていたみたいだ。国王陛下の境遇と一部重ねていたのだろうけど、だとしても「幸せになって欲しい」と、ちゃんと思っていたらしい。おっさんは、国王陛下は幸せじゃないと思っていたのか。だから王弟殿下には……って、あれ、おっさん自身は自分の幸せについて考えなかったのか?

「ーー聞いてんのか?」

王弟殿下の声で、俺は我に返った。聞いていなかった。
「それより殿下良かったですね」
「あ?」
「おっさんは、殿下に幸せになって欲しいと思ってました」
大きく頷きながら言うと、短く殿下が息を飲んだ。喜ぶんだろうなと思って見ていたら辛そうな顔で視線を落とした。やりきれないと言った顔だ。なんでだろう?
「……ゼクスの幸せはどうなってるんだよ?」
「あ、俺と同じこと思ってる」
「……気が合うな。不思議な感覚だ。でもやっぱり普通そう思うよな? 兄上のそばにいれば幸せなのかと、なんとか自分を納得させて来たんだがなぁ……」
つぶやきながら、王弟殿下がソファに座った。
コーヒーを用意して、俺もその正面の席に座る。
「ところで偽物。お前本当は名前は? ややこしいから教えてくれ」
「ああ、はい、俺はーー……」
……!
続けようとして俺は硬直した。俺の名前は、名前は、名前?
名前が思い出せない。
そんなバカな。本気で認知症になってしまったのだろうか?
「言いたくないんならいい。家族は?」
「え……」
家族は……アレエェエエエエエ!?
なんで俺、なんで俺、思い出せないんだ?
いやだって、家族が泣いてくれたか分からないなんて思ったじゃないか、前に。絶対いる、絶対いるはず。
動揺で体が震えた。思い出せ、思い出すんだ俺!
「分かった。話せることだけでいい」
殿下の声など半分ほどしか耳に入らない中、俺は必死で頷いた。
「俺は、十七歳の高校生男子です。体育の時間にプールサイドで滑って、落ちて、水死して……」
「水死ということは、水が多い場所か。深い場所か? そこに一人で?」
「いや、普通に足つく深くないプールです。もちろん授業の時だから一人なんかじゃなかったし」
「誰か助けに入ってくれなかったのか?」
「え?」
「急流なら無理だろうが、何人か居たのであればーー」
そこからまた殿下の声が頭に入ってこなくなった。
俺は、誰かがプールに助けに入ってくれた記憶がない。どころか、現実の記憶がほとんどない! 最初からなかったのか、いやでもまさかそんな。よくわからないが、これはもう一度賢者の少年のところに行って見るべきだ。
「ゼクス?」
おそらく真っ青になっていただろう俺の両頬に、いつのまにか近寄ってきていた殿下が触れた。思いの外骨ばっている手だったが、剣だこがしっかりと分かった。
「嫌なことを思い出させたのかもしれないな。俺がその場に居合わせたら、絶対に守ってやった。だからなにも心配するんじゃねぇよ」
そのまま抱き寄せられると、体温が力強く思えた。
しかし全く別のことを考えていた俺は、何も頭に入ってこなかったのだった。