秘密結社×蛇の末裔!
結局、虎獣人のガウル王子と会うのは明日にする事にした。そして王弟殿下のベッドへの誘いは断って、自室へ向かって歩いている。
いくら好きかもしれないと思ったからと言って、いやだからこそ、勝手におっさんの体を使って好き勝手なことをしちゃダメだと思うのだ。自分の体に戻ろうとしている俺からすれば、戻って見たら男の恋人がいて開発されてました、なんて状況はシャレにならない。おっさんに悪すぎる。おっさんが王弟殿下を好きだと思っているのかもわからないし。運命の相手とは限らないしーーあれ、運命の相手って、おっさんの運命の相手でいいんだよな? そうだよ、おっさんの運命の相手探してたんだった。部屋に戻ったら、もう一回ゆっくり、殿下に関するところから記憶を見てみよう。
そんな風に考えて、執務室の扉を開けたのとほぼ同時に、窓ガラスが割れる音が響いてきた。
「!」
見渡したところ異常はないから、これはおそらく、アイトの部屋だ。
慌てて俺は室内に駆け込み、アイトの部屋の扉を開け放った。
すると絨毯の上には、われた窓ガラスが散乱していて、首元の服をねじり上げられているアイトの姿が視界に飛び込んできた。今にも首に短剣を振り下ろされそうになっている。黒いローブをまとい、蛇の仮面をつけた侵入者が、アイトを殺そうとしていた。
「止めろ!」
慌てて駆け寄り杖を構え、振りかぶった。ああ、殴るか受け止めるかの用途で使ってばっかりだから、もう杖じゃなくて剣使った方がいいよな俺。
すると侵入者が飛びのいた。
床にくずおれたアイトが喉を押さえて大きく何度も咳き込んでいる。
「動くな!」
本当はアイトの介抱を先にしたかったが、侵入者を見逃すわけにもいかない。
杖を突きつけると、ガラスの割れた窓へと、侵入者が後退した。
ここは一応二階だが、日本で言うところの十階だてマンションの六階くらいの高さがある。どうやって入ってきたのかは知らないが、落ちたら命はないだろう。
じりじりと睨み合いながら、俺はアイトの方へと近づいた。
一瞬だけ視線を向けて、すぐに侵入者へと目を戻す。
幸いアイトに怪我をした様子はない。
だが先ほどの状況からして、鎖を外して救出しようとしている風には見えなかった。口封じに来たように見えたのだ。
「団長!」
そこへネリスの声がかかった。
俺が視線を向けた瞬間、窓ガラスがさらに割れる音がした。
「なんか音がしたと思ったら、なんだ?」
「悪い、アイトを頼む」
「あ、ああ」
俺は杖を握りしめて、窓から身を乗り出した。魔術で着地の衝撃を和らげたらしく、侵入者はちょうど地面におりて走り始めたところだった。
俺もその手法を真似て、窓から外へと飛んだ。
それにしてもネリスの副団長執務室が隣にあってよかった。
ってそんなことを考えてる場合じゃない。早く捕まえないと。相手の足は存外早い。俺は息切れしそうになった。まさか歳のせいじゃないだろうな。
走るうちに城の敷地を抜け、サイプレス地区の隣のミスティ地区へと出た。
ゴミゴミとした路地が連なっている地区だ。
迷路じみているから、すぐに見失いそうになる。
なので必死に追いかけて行き、角を曲がった瞬間だった。
「っ」
目の前で、俺が追いかけていた侵入者の首から血が吹き出した。
宙に舞う血を見てとった瞬間、がくりと侵入者の体が地にくずおれた。
そしてその体の向こうに、同じ装束の別の人間を見てとった。
いや、違う。
仮面の目の部分が、真紅だった。
これまでの蛇の仮面は黄色だったのに。
ーー俺はこの赤い目を、おっさんの記憶の中で見たことがある。
「紅毒蛇の切り裂き魔……」
俺の言葉に、喉で笑う気配がした。馬鹿にするような息遣いだ。
あっさりと正面で殺人が行われたこと自体にも身が竦みそうになったというのに、こんな風に余裕のそぶりを見せられると、体が硬くなった。しかし、ぼけっと突っ立っている場合じゃないだろ!
俺は今度こそ剣を引き抜いた。両手でしっかりと握り、踵に力を込め、間合いを図る。逃がしてはいけない。直感が、逃がせば被害者が増えるというし、直感なんてなくたってそれは火を見るよりも明らかだ。
俺が踏み込むと、相手も手にしていた剣で向かってきた。
何度か打ち合う。重い音が響き合い、時折剣は高く啼く。
思ったよりも相手の力は強く、このおっさんの体だというのに、力負けしそうになった。何とか踏みとどまり、剣へ込める力を強める。しかしそのまま押し切られ、俺は剣を弾き飛ばされると同時に足払いされた。心臓が凍りつきそうになったと感じた瞬間には、視界が反転していて、地に頭を打ち付けたとわかった。ズキズキと後頭部が痛む。それとは別のリズムで心臓が、ドクンと大きな音を立てた。目の横耳の少し上に、ざくりと剣を尽きたてられる。わざと剣は外されたらしかった。
「ーー久しぶりだね、ゼクス」
聞き覚えのある声がした。
見守っていると、仮面を外しながら再度笑われた。
紅毒蛇の切り裂き魔ーーやはり国王陛下の顔がそこにはあった。
剣を片手に、もう一方の手では仮面を持ったまま、切り裂き魔の顔が近づいてきた。真正面のごく近い位置にある整った顔立ちをじっと見ながら、唾液を嚥下する。髪の毛が冷や汗でこめかみに張り付いた。
「!」
呆然と見守っていると、近づいてきた唇にそのままキスをされた。
あまりのことにあっけに取られて目を見開く。
そこにあった顔は、国王陛下が絶対に見せないようなニヤニヤした笑みを浮かべていた。
いやいやいや、茫然自失としている場合じゃない。俺はさらに深く唇を重ねられようとした瞬間、思いっきり噛んでやった。そして相手に隙ができた瞬間膝を叩き込み、無理に手をつかんで反転させた。今度は俺が押し倒す形になる。
俺の腕等での間にいる切り裂き魔の顔はやはりどこからどう見ても国王陛下と同じだった。俺が噛み切ったせいで端正な唇の端からは血が垂れている。
「痛いよ、ゼクスーーはは、こんな風に捕まるのはいつぶりだったっけ」
しかし、捕まっているくせに紅毒蛇の切り裂き魔は、随分と余裕そうだった。
俺の方のには余裕がなかったから、ただ唇を噛んだ。先ほどのキスされた感触はまだ生々しく残っている。ーーせめて逃げられないようにしなければ。
俺は殺人なんて大嫌いだ。だから、何としてでもここで捕まえたい。しかしおとなしく縄に巻かれてくれるようには見えないし、今だって手をはなせばすぐに逃げられそうだ。片手でそばに落ちている券を引き寄せながら、足に傷を負わせようと考える。無事に剣を手にできたので、俺は片手でそれを振り下ろそうとしたーーその時だった。
「やめてくれゼクス……余が悪かった……」
ニヤニヤ笑いが消え、心細そうな顔と声が残った。どこからどう見ても普段の陛下にしか見えない。
辛そうで苦しそうな表情、消え入りそうな言葉。
ーーこんなもの、偽りだ。
それが嫌という程よくわかったのに、普段の国王陛下そっくりな、それも切なそうな小声を耳にした瞬間、体が動かなくなった。ダメだ、早く動きを止めなければならないのに。なのにーー『陛下の体に傷をつける訳にはいかない』ーーって、おっさんの記憶が邪魔をする。陛下であって陛下じゃないだろう、おっさんの守りたい陛下はこんなことするのかよって内心で叫んだら、『陛下は陛下だ』……なんだって? 完全に演技をしている紅毒蛇の切り裂き魔。なのにそれがわかっていても傷つけることのできない俺INおっさん。なんでだよ。なんでだよ! 俺はおっさんに対して怒りが湧いた。陛下が大事だからって、これからまた繰り返されるかもしれない殺人を止める機会を逃すのか? そんなの馬鹿げてる!
ーーそれでも陛下に傷をつけることはできない。
脳裏にそんな言葉がよぎった。遣る瀬無さがよくわかる辛そうな声だった。
せっかく手繰り寄せた剣を、俺はもったままで腕を下ろした。
するりと俺の間から抜けた切り裂き魔は、立ち上がると、またニヤニヤと笑った。
「忠臣だね」
楽しそうに笑った後、赤い目の蛇の仮面を手に、紅毒蛇の切り裂き魔は姿を消した。俺はそれを、ただ呆然と見守るしかできなかった。
それから、ネリスの命令で俺を探しに来てくれたらしい騎士達に、アイトの部屋への侵入者の遺体を渡した。俺は紅毒蛇の切り裂き魔を逃したことを伝えてから、あとはその場を任せた。
城へと戻ると、アイトがソファに寝ていて、テーブルを挟んで正面にはネリスがいた。アイトの白い足には、包帯が巻かれている。
「おい、それ、大丈夫か?」
思わず声をかけながら中へと入ると、2人の視線が一気に俺へと向いた。
「おかえり団長。見た目ほど派手じゃないぞ」
「大丈夫だ、この程度」
二人の言葉に安堵して何度か頷いた。それからネリスが明けてくれたのでソファに座る。ネリスは俺の分のコーヒーもいれてくれた。それから何があったのかを聞くと、アイトの口から情報が漏れるのを封じるために蛇の末裔が動いたらしいとわかった。簡単にネリスが説明してくれたのだ。足の包帯はガラスを踏んでできた傷らしい。
「団長の方はどうだったんだ?」
「……ああ」
追いかけている最中に、紅毒蛇の切り裂き魔に遭遇し、侵入者が絶命させられたこと、紅毒蛇の切り裂き魔には逃げられてしまったことを話す。するとアイトが唇を噛んだ。
「ここから逃げようともせずぬくぬくとしていた我に死を迫ってくるのは道理。なのになぜ、我ではなく使徒が、殺されなければならなかったんだ……!」
「あれだろあれ、蛇のお導きってやつだろう」
ネリスはそう言って慰めて(?)やってから、俺を見た。
「団長も怪我とか何もなかったんですよね?」
「うん、ああーーあ……」
頷きながら俺は憂鬱なことを思い出してしまった。
「蛇に噛まれたと思って忘れる」
「何をですか?」
「何をって、だからその……キスされたんだよ」
「へぇ、誰に?」
「紅毒蛇の切り裂き魔……!」
つらつらと答えたが違和を覚えて振り向くと、そこには引きつった顔で笑っている王弟殿下の姿があった。誰に、というあの言葉は確実に殿下の声だった。俺、扉を閉めるに忘れてた。
「怪我はなかったのかと心配してきてやってみれば、へぇ、そうかそうか。熱心に熱心に追いかけている犯罪者とキスか。キスしたくて追いかけてるわけじゃねぇだろうな?」
殿下の眉間がピクピクしている。どこからどう見ても怒りながら笑っていた。
だが俺に怒られても困るわけで……とりあえず心配されて嬉しいとか思ってる俺の平和な御花畑部分の感情は見なかったことにする。
「怪我の心配だけじゃなく、他の心配までしろっていうのか、あ?」
「自分の身は自分で守れますので心配は無用です」
怖かったので顔を背けながら流してみようとがんばった。
「すでに守れてないじゃねぇか!」
しかし帰ってきたのはもっともな言葉だった。
「もうお前単独行動禁止だからな。しばらく俺はサイプレスにいるし、今のお前は前のゼクス以上に危ないんだからな」
殿下が険しい口調で断言した。するとネリスが首を捻る。
「団長の今と前ですか?」
その声に俺と殿下はどちらともなく動きを止めた。
「それって、もしかして……」
「「……」」
「殿下と付き合う前と付き合ってる今ってことか??」
たかだかと響いたネリスの言葉に、俺は脱力しそうになった後、必死に笑った。
「違うわ!」
「……違うのか?」
しかし殿下にからかうようにそんなことを言われたあとは、もう何も言う気が起きなくなったのだった。