運命の人決定!



青に彩られた玉座じみた椅子ーーそこに王弟殿下は足を組んで座っていた。

組んでいるというよりは、右足を左の太ももに乗せていて、横になった右膝に右腕の肘を載せて頬杖をついている姿が、入り込んできた。
周囲には生首が転がっている。一つじゃない、沢山だ。
「……これで俺の現実は変わったのか? ただ呼吸し生きているのが楽になっただけの間違いだ。大体、あんな瞳をして死ぬなって言われても説得力がねぇんだよ」
ガイスは、暗い瞳をしていたゼクスの姿を思い出す。
何もかもに絶望しているみたいな顔をしていた。
それはここ数年では見慣れたもののはずだったーーだが。
だが、昔からそうだったか? 何かが欠落してしまったような瞳をしていたか? 今の俺が、妙に清々しい気分なのに、頬を持ち上げれば、言い知れぬ感情に押し潰されそうになって、上手く笑えないのとはまた違う。まるで今のゼクスは感情自体を何処かへ忘れてきたようだった。ーーだから、それでも、死を考えるなと言われた時、僅かに感情に触れることができたような気がして、奇妙な喜びに体が包まれた。
嗚呼。
双眸を伏せガイスは思い出していた。
確かに笑いあって過ごした記憶がある。
王位継承の喧騒の渦中で、自分の事で精一杯になっているうちに、そんな日々は遠く消えてしまったのだ。はじめは、ゼクスは親王派だから冷たくなったのかとも思ったが、どこかでゼクスに限ってそれはないと感じていた。では、何がぜクスを変えたんだ? 何故ゼクスは笑わなくなった? そしてそれをーー己に詮索する権利はあるのだろうか?
「権利? 馬鹿げてるな、俺はやりたいように生きる」
そう呟き、ガイスは唇の片端を持ち上げた。きっとそれをゼクスも望んでくれるはずだと思ったから。そうだこの時、ガイスはどうしようもなくゼクスのことが気になり、嘗てのような笑顔を見たいと願ったのだった。

以来、無意識に、時に意識的にゼクスの様子をガイスは窺った。
ゼクスはいつも兄の後ろに控えている。しかし微塵たりとも笑わない。
それが逆にへらへらと笑っている国王陛下と対照的すぎて奇怪だった。
蔑むでもなく呆れるでもなくーーただ立って、見ている。
見ていた。
彼の瞳に己が映らないことが、ガイスの胸に小さな疼きをもたらした。

ああ、話がしたい。

その機会は案外早く訪れた。
次に討伐することが決まっている魔獣、麒麟のことを調べに図書館へと向かった時のことである。
「魔獣全集……稀獣……」
蔵書数が膨大なため、いくら探しても見つからない。
かれこれ一時間半は彷徨った時のことだった。
「三列向こうの上から五段目です」
「!」
みればそこには、無表情のゼクスが立っていた。手には、ハポネス年代記と書かれた本を持っていた。確かその本は、実物は見たことがないが後編の四巻五巻が神々年代記に強く関わっていると、家庭教師に習った覚えがある。御伽噺みたいな神話が真面目くさって書いてある本だ。なぜそんな本をゼクスは持っているのだろう。
考えながら、言うだけ言って帰ろうとしているゼクスを見た。
「待てよ」
そして気づくと引き止めていた。
「まだ何かお探しなんですか?」
「いや、そのーー助かった」
うまく声が出てはこなかった。そんなガイスの前で、一礼するとゼクスが踵を返し帰っていく。たったの一言話しただけだったのに、何故なのか心臓の音がどくどくと耳を、頭を支配した。嚥下した唾液の音が嫌に耳につく。ゼクスの後ろ姿を眺めながら、ガイスは思った。いつか、そうだいつか、もしゼクスが何かを探し迷っていたら、今度は自分が声をかけてやりたいと。
「……まずは、あいつより本の位置に詳しくなってやるか。この俺にそんなことを考えさせるなんて、本当に貴重なことなんだぞ。いつか思い知らせてやる」
以来、ガイスは書籍の位置を把握することが趣味になったのだった。
ーー行きら無表情になり、笑顔を失ってはいても。
ぜクスの優しさに触れ、ああ、根本的には変わっていないのだと知ったから。


場面が切り替わるーーこれは、今までよりもっと先で、現在よりは昔の光景だった。

青弓騎士団の凱旋の日だった。
ガイスは何も言えない己を、遠くから見ているしかできない自分を呪っていた。
国王陛下に期間の報告をしている一団。
その後方には、左腕に包帯を巻いたぜクスの姿があった。まだ血が止まっていない様子で、白い包帯はじわりじわりと紅く染まっている。
魔獣から若い騎士を庇って怪我をした。
誰かの囁くような噂話が耳に入ってきて、事態を知った。
一歩間違えば、ゼクスが死んでいたと思うと、背筋を怖気が駆け抜けた。
もうまともに話をすることもできないから、ただ剣を抜いた。
カツカツと靴の音を響かせて、ゼクスに歩み寄る。
「無様だな」
「……」
返ってきたのはやはり無言だった。躊躇いなく、ガイスは剣を振り下ろした。
予想通り、剣で受け止められた。ーー国王陛下から賜った剣で。
高い金属音が辺りに谺する。
「死ぬんじゃねぇぞ……俺が殺す前にな」
それだけいうのが精一杯だった。後半のセリフが、我ながらとってつけた風になってしまったのが分かる。
「御意」
ポツリと返ってきた一言にそれでも満足していた。無理やり体を暴いたあの日から、その短い声だけが、俺たちの間を繋ぐ細い糸だったからだ。ガイスはそう考えて静かに瞬きをした。

あの日は、嫉妬で気が狂いそうだったのだ。

ガイスがゼクスに想いを告白したのは、図書館で会った一ヶ月後のことだった。
考えれば考えるほどに、ゼクスの笑顔が見たくてたまらなくなって行って、そうして気づいたのだ。昔からそうだったではないかと。
柔和に笑うゼクスを見る度に、胸が温かくなった事が蘇る。蘇ったまま消えない。
昔は紫色の魔術騎士団の服をきていて、度々勉強を教わったり、鍛錬の相手をしてもらったものだ。どうしようもなく、自分に比べたら大人で。尤もそれは今でもかわらないか。
「上達しましたね、ガイス殿下」
魔術師なのに、ゼクスは剣の才能もあるらしかった。最終的にはその日も負けたのだけれど、笑顔で褒められれば照れた。焦燥感に似ているけれど、優しい感情がこみ上げてきて、胸が疼く。その時、まだ幼い少年だったガイスは、その感情の名前を知らなかった。
ーー今ならはっきりわかる。
ああ考えてみればずっと前から、俺はゼクスの笑顔に恋い焦がれていた。ガイスはその事実に気がついた。
それはもう日常の一コマだったはずなのにーーいつの頃からかゼクスは笑わなくなり、俺はそれを意識しないようにしていた。嫌われたと思うのがきっと辛かったからだ。自身が王弟である事を呪ったのも、これが一つの理由だったのかもしれない。
そんな風に気づいたから、ガイスは告白したのだ。好きだ、と、ただ一言簡潔に。

「そうですか」

まず返ってきたのはその一言だった。柄でもなく緊張しながら静かに聞いた。腕を下ろしたまま手を握れば、汗ばんでいた。次の言葉をそれでも待つ。
「王弟殿下」
「なんだ?」
「それは、おそらく勘違いでしょう」
「ーーは?」
「事実だとしても俺は応えられない。それに殿下には、相応しい方がいるでしょう、今後絶対に現れます。第一俺は、国王陛下の……いえ」
気づけば俺は目を細めていた。国王陛下の……? 兄上がなんだと言うのだ? 兄上のことが、好きなのか? そう噂されていることは、ガイスも知っていた。だがその兄を見る時のゼクスの瞳が、もっとも暗い色を宿すことだって知っていた。
「俺、は。本気だ、本気でお前のことがーー」
「それ以上は仰らないでください。忘れます」
ゼクスの言葉はそれだけだった。そして、帰って行った。ああ、兄上のところに戻るのだろうと、ガイスは切なそうに目を細めて考える。自分は選ばれなかった。受け入れられると盲信していたわけではなかったが、それなりに哀しい衝撃に胸をつかれた。こんなことならば、言わなければ良かった。
「これから、どんな顔して合えばいいんだろうな」
一人苦笑し、ただ俯いた。それでも俯きながら瞬きをすれば、瞼には嘗て笑っていたゼクスの顔が映るのだ。
しかしその心配は杞憂だった。
ゼクスは、全く変わらなかったのだ。考えてみれば、過去とは違い、ゼクスは事務的な会話をポツリポツリとする他は、大概無表情だったから、当然だったのかもしれない。ただそれでも、己の告白が、気にする欠片もないように扱われている気がして、ガイスは苦しくなった。
どうして俺はこんなにも、姿を見るだけでも辛いのに、なぜあんなに平喘としているんだよーーそんな思いに囚われた。だから少しでいいから、ゼクスの心が知りたくて、熱心に表情を見た。それでも全然この時は、わからなかった。
緑色の芝の上を歩きながら、ため息をついたのはそんな時のことだった。
白詰草が広がっていた。
「そういえば、昔ゼクスと探したな……」
呟きながら、懐かしいと思った。あの頃が、どうしようもなく今は愛おしい。自然と笑ってそばにいられたあの時が。気づくとしゃがんでいて、三つ葉の群れに手を伸ばしていた。
「今度は見つかるかもしれねぇな」
見つけてどうするのかはわからなかったが、ガイスは四つ葉のクローバーを探し始めた。もしも、もしもこれが見つかったら、もう一度だけゼクスに想いを告げようと、探すうちに考えた。その答えが否でも、ゼクスの幸せを祈って、クローバーを渡したいと思った。
結果として、四つ葉のクローバーは見つかった。
けれど。
直後に、苦しそうに辛そうに、兄である国王を遠くから見ている、何時もよりも感情がはっきりと見て取れるゼクスを見た瞬間、身体の中で激情が渦巻いた。吐き出し口を求めてそれは彷徨い、息が苦しくなった。
「近衛騎士も大変だな。見たくもない兄上とエロガキのイチャコラ場面を見てなきゃならないなんて。それとも覗きか、悪趣味」
気づくと歩み寄ってそう声をかけていた。
そのあとは自分のことが抑えきれなかった。
我に返った時には、グシャグシャになった四つ葉のクローバーがポケットの中に入っているだけだったーー結局俺が渡したのは、幸福の象徴なんかじゃなくて、新たな絶望だ。最低最悪な自分に自己嫌悪して吐き気がした。だというのに俺の感情はわがままだった。顔を見るだけで良かった。だから我ながら気持ちが悪いほど、ぜクスの顔を見る機会が増えるように、行動パターンを変えた。はじめは、見られるだけで、ただそれだけで良かったはずだった。しかし、己はもう子供ではないから、いつしかゼクスがその暗い瞳に光を取り戻せるように、支えになりたいと思った。そのためには、ゼクスよりも強くならなければーーだから俺は戦場に出た。殺すことには、とうに慣れていたから。最近では単独行動ばかりしていると聞いたことも、大きい。ああ、ああ、少しでも力になれたら良いのに。これでもあの無表情の中に、わずかな感情の動きを見て撮ることができるようになった気がするから、少しは自信を持っていいのか?

そんな時だ。
ゼクスが、表情を取り戻したのは、本当に唐突なことだった。
何がゼクスを変えたんだ?
恋、でもしたのだろうか?
そう考えて俺はまた嫉妬に狂いそうになった。兄上以外に、恋?
ああ、正気が保てなくなって行く。
だけどそれはダメだ、もう俺はあの時の利己的な自分とは違う。今度こそ、力になりたいんだ。


そこで、王弟殿下の記憶は終わり、俺は我に返った。
ドクンと鼓動の音が嫌に耳に障った。
最後に、成り代わった俺の姿が出てきたからなのかもしれない。そこに映っていた俺は、確かにおっさんの姿をしていたのに、どうしようもなくおっさんとは違っていた。少なくとも殿下の中では違っていた。
「殿下は、本当におっさんのことが好きだったんだな……」
両手で顔を覆いながら、俺は唇を噛んだ。相変わらずカサカサしている。
最初こそ国王陛下と両思いだと思っていたが、違ったみたいだ。
多分本当は、おっさんは王弟殿下と、こんな……、世界げんじつでなければ、幸せになっていたんだと思う。俺には、やっぱりまだ運命の人がなんなのかはわからないけど。
「俺は、殿下とおっさんを応援する」
もう、おっさんの運命の人は、きっと殿下なんだって、そう思うことにした。
俺の最大の恋敵が、おっさんになった瞬間だ。
負ける気しかしなかったけど、それでも良かった。
今では俺だって、王弟殿下の幸せを願ってるんだからな!

おっさんの運命の人、勝手に決定!
俺の運命の人は……。