生命の樹!





数日後、俺は王弟殿下と共に、時計研究院へと向かった。
時計研究院は独立した建物を持っていて、有刺鉄線のようなもので巨大な四角い平地の中に、隔離されるように存在していた。いや逆か。部外者を寄せ付けないみたいに存在している。
なんでも王族の許可がなければ中へと入ることはできないらしかったから、今となっては殿下の協力が本当にありがたい。
「俺も王族の許可が必要だなんて知らなかった。実質国王陛下のみなんだろうな、本来許可するのは」
まぁ、時計研究院に興味もなかったけどな、と殿下は続けた。
俺は頷きながら、黄ばんだ白い建物を見上げる。屋根の中央には小高い塔が付いていて、巨大な鐘が見えた。その少し下には、大きな文字盤の時計がある。
「具体的には何をしているところなんだ?」
聞いて見た。
俺は一応本を読んだのだが、さっぱりわからなかった。何でもなりたちは、生命の樹の周囲にあった時計の研究院という事らしいのだが、歴史書には王家の闇を引き受けているというような曖昧な記述があるのみだった。おっさんの記憶にあるのは、暗殺や密偵をする騎士が所属しているということだけで、それが残っているから、それが王家の闇なのだろうか。絶対違う気がする。国王陛下のみが許可してきたっていうのを考えても、絶対あの神殿で見た生命の樹らしきものに関わっていると直感が言った。それにおっさんの手帳のメモも気になるし。
「しらねぇよ。俺は、乳母に絶対に関わるなって言われて育ったからな」
殿下はそう言うと、巨大な呼び鈴(?)に手をかけた。輪の形をしていて、それを揺らして叩くと中央についた鈴がなる形だ。
「入るぞ」
俺が静かに頷くと、殿下が手を動かした。辺りに鈴の音が谺する。
それから俺たちはしばらく待った。結構待った。
ーーしかし扉は開かなかった。
殿下が扉を押してみるが、鍵がかかっているらしくビクともしない。
「誰もいないとか?」
「そんわけねぇだろ」
溜息を着いた殿下が、大剣を鞘から抜いた。何をする気だよ? 思わず眉を潜めてぽかんとすると、その間に扉に斜めの亀裂が入った。砂埃を立てて扉が崩れて行く。
「さて入るか」
「待て待て待て待て、何してるんだよ!」
「俺は気が短いんだよ。知ってんだろ」
いいのかコレ。流石にヤバイだろうと思ったけど、まぁ、やったのは殿下で、仮にも王族だ。うん、いいか。俺、知らない。
二人で中へと入ると、外観とは裏腹に、そこは研究施設のように清潔な白が広がっていた。どこからか薬品のような匂いもする。俺はおっさんが、陛下に言い出せず結局内部の調査をできないでいたーーという記憶を思い出した。一体ここには何があるんだろう。
「このフロアには、何にもなさそうだな」
周囲を見回して考える。中央に螺旋階段があるだけで、ただの真っ白な部屋があるだけだったからだ。無駄すぎるほど広いのに、どこにも扉はない。俺にはその階段が、メルクリウスの蛇に見えた。あるいはDNAの螺旋構造みたいだ。賢者の少年から聞いた話を思い出す。蛇は裂けて二つになったんだったか。イブを知恵の樹へと導いた蛇と、リリスを生命の樹に導かなかった蛇だ。
「上には嫌っていうほど人の気配がするけどな。それも、気配を押し殺してる」
殿下の言葉に、俺は身を固くした。おっさんの反射神経なら勝てそうだが、それでも歳の成果若干衰えている気もする。ただ俺の直感は、もしくはおっさんの直感は、上に用はないって言っていた。
「行くのは下だ」
「下?」
俺の言葉に殿下が首を捻った。それも分かる。見た感じ、下へ行く階段はない。
だが絶対にあると俺は思った。
階段まで歩み寄ってみる。
「あ」
そしてそこで、陛下が以前てで触れていたリリーフそっくりの絵を見つけた。
反し的に手を伸ばして触れると、音もなく、地下への入り口が開き、螺旋階段が続いていた。俺は真っ暗闇の中に伸びる階段を見据える。
「降りてみるか」
殿下がそう言って俺の横に立ってから、一歩踏み出した。
怯えなんて微塵もない様子に心強くなる。怯え、そうだ俺は、少し怯えている。おっさんだったら、こんな時怯えないんだろうか。まぁいいか、俺は俺だ。弱いんだよ俺は。人は一人じゃ生きられないを地で行ってるんだ。別にいいだろ。
殿下の一歩後に続いて俺もおり始めた。すると背後で、屋根と化した扉が閉まる。
だが階段が淡く青く光っていたから、困ることはない。その灯りは、リリスの神殿のものによく似ていた。あの神殿にあった宝石と同じもので、階段自体が構築されている気がする。カツカツと靴の音を響かせながら、殿下が最下層の床を踏んだ。俺が今度はその隣に立つ。そこには仰々しい青白い扉があった。白亜の扉が青に照らし出されているようだった。
視線を交わしてから、ー俺は扉のドアのぶを握り、押し開く。
そして目を見開いた。突き当たりにある柱時計だけが普通だった。
ーーこれは、なんだ?
床には巨大な十字架がはめ込まれていて、中央のは、棺のような硝子の箱があった。その真下にある十字架の中央からは、白い触手じみたへその緒が伸びていて、硝子の縦長の箱の中へと伸びている。一見すれば白い花で埋め尽くされたような棺の中には、一人の少女が横たわっていた。
「アイト……?」
そうじゃない事はわかっていた。髪の色が金色だったし、少し緩やかな波がかかっていて、腰までの長さがある。ただその顔が、どうしようもなく似ていた。少し幼く見えるけれど。彼女の頬や額、首や両手のこう、足首などには、白いへその緒が同化していた。樹と彼女は、繋がっていた。産み出されるのとは、異なる。
「生命の樹か?」
王弟殿下がポツリと呟いた。一瞥すれば、険しい顔をしていた。
「王家には伝承がある。神の子の血筋を守るために、今でも生命の樹を守っているとーーだが、この人間はなんだ? 胸が出ている。神話の神の子か?」
多分違う。俺は半ば確信していた。これ、は。アイトの妹なんじゃないのか?

「残念ながら、それは生命の樹じゃありませんよ」

そこへ聞き知った声が響いた。
慌てて振り返ると、そこにはーーシークが立っていた。彼の背後には、いく人もの白装束の人間がいた。皆フード付きのマントを羽織っていて、顔が見えない。唯一フードを外しているのが、シークだった。
「どうしてここに?」
「ゼクス団長が言ったんじゃありませんか。真っ当な仕事につけって。騎士なら、まだ真っ当でしょう? 仮に手を汚すことがあろうとも」
「故売屋は……?」
「団長の動向を監視する"仕事"になりました。途中から」
苦笑するようなシークの顔に、俺は唾を飲み込む。それでもなぜなのか、俺はシークを信じていることに気がついた。
「じゃあこれは何なんだ?」
退屈そうな顔で、王弟殿下が問う。
「知恵の樹です。生命の樹の因果を断ち切るには、知恵の樹を持ちいるしかないようで」
答えたシークと、眠っている少女を俺は交互に見た。
「この娘は?」
「知恵の樹の力を引き出すためには、イブの力が不可欠だそうで。そう、"イブ"ですよ」
「力を引き出す?」
「人の一生を歩めるように、穏やかなーー死を得られるように、だそうです。知恵の樹の実を食べると、俺たちみたいに普通の人間の一生を送って死ねるようになるらしいですね」
シークは饒舌だった。だから、俺は何と無く確信した。これは、わざと俺達に、秘密を明かしてくれているんだと。もっともその後、秘密を知ったからには生かしておけないとでも言われるのかもしれないけどな。
「リリスを倒すためには、イブの力が必要なんです。"それ"は人工的なイブの器ーーだからイブなんです」
「リリスを倒す?」
俺が尋ねると、シークが静かに頷いた。
「そうすれば、団長が愛する陛下が、死と生の繰り返しから、解放されますーーゼクス団長は、ご存知だったんでしょう? 変えられない現実ーー神への信仰を捨てたくなるような、この事実を。だけど変えられないことなんてない。俺は貴方からそれを教わった」
シークは強い視線で俺を見た。何も言葉が出ては来ない。
その時、殿下が俺の方を片手で叩いた。そして一歩前へと出る。
「話が見えないが、多少身目が変わっていようとも、いたいけな国民にこのような仕打ちをしているのは見過ごせない。それが時計研究院の仕事だとしてもだ。王弟として命じる。すぐに解放しろ」
「残念ながら、陛下の命令以外を聞く必要はないんですよ」
王弟殿下が剣を抜いた。
するとシークがうっすらと笑った。
「団長を掛けた一騎打ちだ。下がっていてくださいよ」
そんな言葉に、シークの後ろにいた人々が、入り口を固めるように後退して行く。
俺はなんだか奇妙なものを見ている気がした。
「ゼクス団長も下がっていてくださいよ。くれぐれも上着の右ポケットに入っている十字架の鍵で、イブの同化を解除したりせず」
後退するも何も真後ろには巨大な硝子の棺みたいなものがあるのだから、物理的に無理だ。その上、十字架? 何の話だろうと思い、ポケットを探ると、そこには硬い感触があった。恐る恐る取り出すと、そこにはいつか記憶の中で見た、シークに渡した十字架が入っていた。一体どうしてそれがここにあるのだろう?
シークは双剣を取り出し、両手に握っている。
だが俺にはその目が、イブを連れて逃げろと語っているように見えた。
「殿下、ちょっと待ってくれ」
「この状況でなにを待てばいいんだ?」
「っ、そのーー……俺が、そうだ、俺が相手をするから、殿下はこの子を頼む」
俺はそう言って、強引に殿下の腕を引き、十字架を乱暴に渡した。
「知り合いなんじゃねぇのか? 殺せんのか?」
「だからこそだ」
何度も頷き、俺は杖を握りしめた。
「殿下こそさっさと救出しろ」
「……ああ」
そんなやり取りをしてから、改めて俺はシークの前に立った。
「倒すってことは、リリスもいるんだよな?」
「ええ。元々そこの生き物は、リリスの器だそうですから。母娘そろって」
「どこにいるんだ?」
「賢者のところで子守唄を歌っていると聞きますが、誰も賢者の庵にたどり着いたものはいないんです」
あんなに簡単に会えたのにと、少しだけ驚いた。
「ゼクス団長。くれぐれも"不可侵の結界"を張って、後ろの柱時計の出入り口から逃げたりしないで下さいよ」
シークの瞳は真剣だった。ーーヤれ、そう語っているようだ。なぜなのか短い付き合いなのに、本当は長い付き合いであるような気がして、俺にはシークが考えていることがわかる気がした。
俺は杖を握りしめた、大きく一度垂直に降り、地についた。
瞬間、空間がブレた。
俺の正面には透明な結界が現れる。
それから杖を横に振ると、透明な壁の向こうを茶色い煙が満たした。
思えば、これほど大掛かりな魔術を使ったのは初めてかもしれない。きっと煙に飲まれた人々には、俺の、成功による安堵した顔なんて見えないだろうけど。

「ゼクス団長、俺の向こうに結界はってどうするんですか」

すると苦笑するようなシークの声が聞こえた。
「何やってるんだよ馬鹿!」
少女を抱き上げながら、王弟殿下が焦るように叫んだ。
「柱時計から出るのは分かったけどな、どうせならシークが案内してくれ」
俺がため息を着くと、背後で殿下が苦笑するように吐息したのがわかった。
「そういうことか。どうりでペラペラよく喋ると思ったんだ」
「甘いですよ。これが、安心させて後ろからグサリとやる計画だったらどうするんですか?」
「シークはそんなことはしない」
断言した俺の前で、双剣を握ったまま腕を下ろすと、照れるような困ったような、どちらともつかない顔でシークが笑った。

「全く団長にはかないませんよ、せっかく力になろうと思って此処まで秘密を調べたのに」

時計研究院から脱出した俺たちは、とりあえず俺の執務室へと向かった。
白い騎士の正装が珍しいのか、殿下が抱きかかえている少女への好奇からなのか、部屋に着くまではチラチラと視線が飛んできた。
たどり着くと、俺はまっすぐに、アイトの部屋の扉を開けた。
「なんだ急に……ッ、トワ……? トワ??」
するとアイトが眠っている少女を見て、手を伸ばした。
しかし鎖のせいで届かない。
俺は歩み寄って、アイトの鎖を外しながら、静かにつぶやく。
「やっぱり、妹なんだな」
「ああ、ああ、見間違えるはずがない、生きて、生きて……」
王弟殿下がその様子に歩み寄り、傍の寝台に少女の体を横たえた。
それからシークに振り返った。
「事情を説明してもらおうじゃねぇか。理由次第じゃ、いくらゼクスの知り合いだろうが、命はないと思え」
このようにして俺たちは、シークの話を聞くことになったのだった。