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結局クリプテックスの謎が解けないまま冬が来た。
僕は冬が嫌いだ。積もる雪が、”古害磊”の吐き出す粉に似ているからだ。
もっとも寒さの質は全く違うが。
この国は、領土の真ん中よりも下側に大雪が降るが、上側には基本的に雪は積もらない。

ところで、これから二週間ほど、この国は建国記念日を挟んでお祭りムードとなる。

今日僕は、建国記念日のパレードの予行演習の視察に来ている。
小太鼓の音が聞こえてくる。
僕は、天井部分が吹き抜けになっている馬車に乗り、視察場所に着くまでは手を振っていた。別に笑顔を浮かべたりはしなかったが、僕はこれでも国王だから、完成がすごかった。本当は笑ったほうがいいのだろうけど、僕が笑うと威厳が崩れるんだよね。

馬車が止まったので、僕は静かに降りた。
すると先に到着していたサイトが歩み寄ってきた。顔を上げた時、小さなカップを手渡された。

「陛下、ナナリレルイ皇国のココアでございます」
「うん、美味い」

先に進撃を命じた国の特産品だ。
無事に難所の攻略に成功したのだろう。こうしてココアを持ってきたのが、何よりの証拠だ。あの国は、いくつかの都市があるから、おそらく王都の前の大都市あたりだろう。あそこは魚介類も美味しいんだったかな。そんなことを考えていたら、耳元に唇を寄せられ、サイトに耳打ちされた。

「進軍は順調です」

頷いて返しながら、近い距離と吐息に思わずドキリとしてしまった。まずいまずい、そんな自分を戒める。
それから鼓笛隊の曲が変わるのを静かに眺め、音を楽しんだ。
するとクルスもまた歩み寄ってきた。
僕は来ているのだから、近衛騎士は当然いるし、それが一番偉いクルスであるのは当然だ。
背の高い彼を僅かに見上げてから、早く僕の背も伸びればいいのにと願った。

「陛下?」

その時視線が合って、首をかしげたクルスに声をかけられた。
しかし見ていたなどと悟られたくないんだよね。だから若干冷ややかな声で返す。

「なんだ?」
「いえ」

黙ったクルスに満足した。僕に余計な事を言うとクビだし当然だよね。
――最近では、僕は、クルスからの「好きだ」「愛している」という言葉に慣れつつある。
顔を合わせた夜は、大抵聞いているからだ。本気なのだろうか?
わからない。わからないといえば、サイトもわからない。全く逆で、最近サイトから好意を伝えられたことはない。やっぱり僕のことを好きではないと思い直したのだろうか?
そうであるほうがいいのに、時に寂しくもなる。なぜだ!

銃声が聞こえたのはそんな時だった。

銃はこの国ではまだ新しい武器だったけれど、前世知識があるせいなのか、僕にはすぐに分かった。その音を認識したのとほぼ同時に、僕は体に重みを感じた。気づけば正面からクルスに抱きしめられていた。

「――え?」

ぽかんとして思わずつぶやいた時、クルスの体重がかかり、僕は後ろに倒れそうになった。
地面に激突すると思ったとき、頭の後ろにクルスが手を回してくれ、腰を引き寄せられ、衝撃が緩和された。かばってくれたのだ。
僕もまた反射的に、クルスの背に手を回した。そして息をのむ。絖る感触に触れたからだ。

「陛下!!」

サイトの叫ぶ声が聞こえた。けれど僕の頭には、何も入っては来なかったのだった。



僕は、やはり銃撃されたのだった。
狙撃犯はすぐに捕まり、いま尋問を受けている。サイトからそんな報告を聞きながら、僕は思わず俯いた。クルスも無事だった。命に関わるような怪我ではなかったし、肩を打ち抜いた弾丸は既に抜けているとのことだった。それよりも問題がひとつあった。
――僕が銃に倒れそうになった。
それはようするに、警備体制に穴があったということだ。警備をしていたのは当然近衛騎士だんだ。すべての責任を取るのは、当然クルスなのだ。
僕は国王として、彼に処罰をしなければならない立場にある。かばってくれたクルスに対してだ。クルスがいなかったら僕は死んでいたのに。投獄は当然、この駅師団長の忍を解くのも必然なのだ。だけど僕は、理性ではそれらの事を考えるのに、心の中では、純粋にクルスのことが心配だった。どうしてなんだろう。クルスが投獄されれば、嫌な夜の行為が一人分減るというのに。

「近衛様――失礼、近衛騎士団長の処遇はいかがいたしますか?」

正面で頭を下げたサイトに改めて問われ、僕は気づかれないように拳を握った。
どうしよう。どうすればいい?
僕には、クルスを処罰することなんて、とても無理だ。

「――投獄しろ」

しかし、僕の口は動いた。なんとか声の震えを押し殺す。

「ですが陛下」

ナイルが声を上げた。
それを僕は我ながら冷たい視線で一瞥した。するとナイルが息を飲んで頭を下げ、口を閉ざした。

「今夜一晩」

精一杯の威厳を保ち、僕はそう付け加えた。
それからその日の名ばかりの執務が終わるまで、僕は何も考えられなかった。
終わった時、不意にサイトが歩み寄ってきた。

「陛下、お顔の色が優れません」
「銃撃されたとあれば、誰だって顔色ぐらい変わるものだ」
「――それだけですか?」
「何が言いたい?」
「心配なさっておいでなのでは」
「この僕が何を心配すると言うんだ。確かに近衛の長がかけた現在、僕の警備体制が万全とは言い難いが、暗殺ごときに屈する僕じゃない」
「いいえ。近衛様のことが」
「っ」
「僭越ながら、陛下が御自ら、近衛騎士団長に本日の事情聴取をする手配を整えております」
「サイト……」

僕はそんな気遣いに泣きそうになった。サイトはそう、優しいんだ。
こんな時は、やっぱり理想の受けだと思うんだ。
それから僕は、サイトに連れられてクルスに会いに行った。

「陛下……っ、なぜこちらに?」
「事情聴取だ。ただそれだけだ」
「なるほど、そうですか。それでも陛下のお顔を見られただけで、俺は幸せです」
「クルス……」

僕は守ってくれてありがとうと言いかけて、口をつぐんだ。うまく言葉が出てこない。
だけど、言わなければ。僕はもうその機会を失うかも知れない。もしかしたら明日にでも僕は、クルスを左遷するかもしれなかったからだ。

「……ありがとう」
「!」
「助かった」
「陛下」

俯いて告げた僕の声に、クルスがその時吐息に笑みを乗せた。

「俺は何も考えずに衝動に従ったんだ、陛下が無事で良かった」

翌日――僕は結局クルスをクビにはできなかったのだった。