18




目を覚ましたとき僕は、後ろ手に拘束されて、玉座に座らせられていた。
人気はない。本日ばかりは、白仕えの人々の多くも建国記念日のため休みだという理由もあるが、緩慢に視線を上げて僕は確信した。クルスが人払いをしたのだろうと。ぎゃくに誰も来ない玉座の間は穴場かも知れない。まさか僕がいなくなったとしても、ここにいるとは思わないだろう。普通隠れていると考えていると思うのだ。

「陛下、お気分は?」
「……最悪だ」

クルスは微笑さえ湛えて、僕を見ていた。
一体どうしてクルスはこんなことをするんだろう? 我ながら愚問に思えた。
考えてもみれば、何らおかしいことではなかったのかもしれない。
”月神の子達”は、赤の世界で人間を……。
ひいては、赤の世界を滅ぼそうとしていたのではないだろうか。あるいは復活を阻止しようとしていたのではないのか。前回の襲撃事件だって、手引きをした者は近衛騎士団の人間だったのだ。だが、だ。それならば。

「――どうしてあの時かばってくれたんだ?」
「あの時? ああ、事件の時ですか」
「……」
「陛下の信頼を勝ち得るためですよ」
「そもそもあの事件の首謀者は俺だからな」
「僕の信頼を勝ち得る? なんのために?」
「殺せるための機会を増やすようにだ――”月神の子達”の結社の最終目標は、”古害磊”に赤の世界を滅ぼさせることだからな。そのためには宝玉を持ってる上に赤の世界を再構築できる陛下は邪魔なんだ」

率直に殺すと言われた瞬間、全身を恐怖が襲った。ただそれよりも、まさかクルスが、なんてこの時になっても思っていた内心が冷え切った。信頼? そんなものおそらくとっくにしていたのだと思う。ひとり虚しくなった。これまでの愛の言葉はすべて偽りで、確かに結果だけ見れば、血や力を抜かれていた現実を思い出す。

「最初は貧血で病死に見せかけようと思っていたんだけどな――あの邪魔な宰相が」

舌打ちしてから、クルスが僕に剣を突きつけた。
その鋒が、僕の首元の皮膚に触れる。無機質な冷たさだった。少しだけ皮膚が切れたのかちりりと痛みが走る。そこだけが熱かった。

「……悪役とは、」
「?」
「ぺらぺらとよく喋って末路を迎えるものだな」

声の震えを制して、僕は強がった。精一杯の力でクルスを睨めつける。
すると短く息を飲んだあと、クルスが吹き出した。
――その時だった。
僕はクルスが振り返るのを見た。そして僕の前に広がった背中に、長剣が突き出ているのを見た。ぽたぽたとその刃を伝って、赤が垂れていく。
そして、振り返ったクルスは先程まで僕に突きつけていた剣を、来訪者――サイトに突き立てていた。二人の体が床に倒れたのは、ほぼ同時のことだった。床にはどちらのものかわからない血がひろがっていく。僕はその光景を呆然と見ていることしかできなかった。

「サイト……?」

助けてくれたのだということはわかる。
だが、目の前で二人が倒れていることを、意識が理解することを拒んだ。

「サイト」

僕は無意識に名を呼んだ。
普通さ、悪役がペラペラしゃべったあと、助けに来てくれたヒーローは、たとえ死ぬにしたって、微笑の一つや二つ浮かべて、余裕そうに「助けに来た」とか「好きだ」とか、とにかく何か言うものじゃないのかな? 少なくとも僕の前世知識だとそうだよ。
だけどサイトはピクリとも動かない。
ああ、僕は最後にサイトと話したときは、どんな話をしたっけ?

『陛下、私は本気で――』
『?』
『何でもありません』

本気で、何?
何だったの?
僕は、永久にその答えを聞く機会を失ってしまった――?

「陛下!!」

今度こそ音を立てて、扉が開け放たれた。
なぜなのか泣きそうになっていた僕は、堪えようと思って上を向いてから、視線を向けた。
そこには走ってくるナイルの姿があった。

「これは……っ」

倒れている二人の姿に息をのみ、一瞬足を止めたあと、それでもすぐに真っ直ぐにナイルは僕のもとへと駆け寄ってきた。そして僕の拘束を解いてくれる。
立ち上がろうとして僕はふらつき、ナイルの胸の中に倒れこんだ。
ああ、貧血の感覚がする。

「陛下、大丈夫ですか?」
「……ああ」

本当は、大丈夫なんかじゃなかった。状況理解が追いつかない。
頭が大混乱していたんだと思う。ちょっと悲しくて、いやすごく悲しくて、もうどうしていいのかわからなかったんだ。――もう二人が助からないのは、誰の目から見ても明らかだったからだ。

「大変なのです、陛下」
「……」

そりゃあ僕の姿が見えなくなったら、大騒動にはなっていると思う。
だが僕は目の前に広がる死臭に、そんなことを気にする余裕はなかった。だからぼんやりとナイルを見上げた時、強く双肩を掴まれた。

「”古害磊”が襲来しました。各地の”古害磊”も大移動を開始しています」
「――え?」
「このままでは、この国は飲み込まれます。いや他の国であれば、もうとっくに諦めていることでしょう。生きることを」

ナイルは悲痛そうな面持ちで瞳を揺らした。
僕はといえば、クルスの言葉を回想していた。
確かに”古害磊”に滅ぼさせると言っていた。だけど。

「陛下にしか、この国を救うことはできません」
「……無理だよ」

とてもそんな気力はなかった。僕にはもう無理だ。何をしていいのか、きっとわからない。
笑っていたサイトやクルスの姿が脳裏をよぎる。ああ、息苦しい。息苦しいよ。

――パシンと乾いた音がした。

同時に僕は頬に熱を感じて、呆然としながらゆっくりと二度瞬きをした。
それから見れば、そこには真剣な表情のナイルがいた。

「無理だとしても」
「……」
「それでもあなたは国王なんです」
「……」
「あなたにしか救えない」

そんなナイルの言葉に、僕は少しだけ我を取り戻した。
だから必死に唇の右側だけを持ち上げる。

「僕に意見するな。当然だ。僕が相手をしないでどうする――ただの戯言だ、聞き流せ。すぐに宝物庫に向かう」

僕は本当は泣きそうだったのだけれど、必死で抑えて、自分の足でしっかりとたったのだった。