19
宝物庫から”エウレピシアの宝玉”を手に僕は、ナイルと共に王宮の外へと出た。
そこには逃げ惑う人々の姿と、襲い来る”古害磊”の姿があった。
僕が見ている前で、どんどん街は白い粉で覆われていく。僕の国が埋まってしまう。
このままでは”古害磊”の巣窟になるのは明らかだった。空を飛ぶ”古害磊”、地を埋め尽くす”古害磊”、どちらにしろ”ソレ”らは人という種を根絶やしにする。
「陛下、宮廷魔術師が総力を挙げて、民草一人ひとりの周囲には結界を張ります。ですので存分に”赤の宝玉”の力を」
「――ああ」
ナイルの言葉は嘘だと思った。いくらナイルでも国民一人ひとりに結界を張るなんて無理だ。国を守るために、国民ごと葬ることになるのは明らかだった。
赤の宝玉は、”エウレピシアの宝玉”の別名だ。
その声にふと、僕は”青の宝玉”のことを思い出した。夢の中で”海神”は言った。青の宝玉はここにある、と。青の宝玉は、赤の宝玉とは異なり、すべてを消滅させるのではなく”人の子”を守る代物だと聞いたことがある。一体どこにあるのだろう?
そう考えていたとき、僕が手にしていた宝玉が――二重にブレた。
見守っていると、それは淡い光を放って二つに分かれた。
瞬きをした時、僕そっくりの顔をした海神の顔がよぎった。ああ、おそらくこれで人々のこともまた守ることが出来るだろう。
「海神の御恵みの元、勇者の子孫たるアテスレイカの加護の元、我、汝に乞い願う――太陽神の御恵みの元、勇者の子孫たるアテスレイカの加護の元、我、汝に乞い願う――ライラック」
僕は叫ぶわけでもなく、呟くように静かに口にした。すべてを滅する覚悟はあった。
すると背後で控えていたナイルが息を飲んだのがわかった。僕が”青の宝玉”を手にし、海神の名もまた呼んだからかもしれない。
僕の両手から溢れ出した光は、次第にその場を、国中を、”古害磊”の粉の白とは異なる光の白に染め上げていった。時が止まったような感覚に苛まれる。直後、轟音が響き、僕の手の中では二つの宝玉に亀裂が走った。しかしそれには構わず強く握り締め、すべてが、そう全てが消える光景を僕は念じた。大地が揺れたのが分かる。それから静かに瞬きをしたとき、”古害磊”は消え去り、白い粉は硝子のように砕け散ったのだった。
一息つきながら、僕は、真後ろにあった建国記念日の石版へと振り返る。
そして目を瞠った。
まるで扉のようだと思っていた石版は、中央に溝があるのだが、それがまさに開こうとしていからだ。――僕は、この持ち手、太陽の顔の部分に宝玉をはめなければならない。直感的にそう悟った時には実行していた。押し込もうとするとどうしようもない抵抗感を覚えた。けれどそうしなければならない気がした。ただの気分なんて問題じゃなかったんだよね。パキパキと音を立てて、壊れそうになっている宝玉を、僕はそれでもなんとかハメることに成功した。その瞬間、石版は開いた。周囲に光が溢れ、僕の視界は白に染まった。
――それから目を開けると、僕は赤と橙色で構築された場所にいた。
目の前には玉座がある。真っ赤なベルベッド張りの玉座だ。そこは、”僕の居場所”だと思った。迷いなく僕は進む。そして段を上りきり、高い玉座に座った。
すると真正面に、いつか夢の中で見た、青の世界が広がっていた。やはり正面には、ガラスのような仕切りがある。しかし僕と――海神の視線の高さは同じだ。鏡合わせのような玉座に座っていて、同じ背丈で、同じ顔を見つめ合っていたからだ。
「赤の世界を構築してくれたこと、感謝する」
やはりここは、ここが、赤の世界なのかと僕は思った。全身に力が満ち溢れてくる。体が熱い。けれど不思議と今日中は静かだった。
「僕は勇者ではないのに、なぜ構築できたんだ?」
「勇者と同等の力を持ち、勇者と同じ志を持つ者だけが、あの”扉”を開けることができる。それが閉ざされた赤の世界へと通じ、道を開いて再構築する鍵だった。感謝する」
「――僕の顔で、礼を言われてもありがたみに欠ける」
「青の世界は赤の世界の対となる存在だ。赤の世界を統べる勇者と常に同じ姿をとる」
「対?」
「青の世界が滅びれば、赤の世界――人間の世界も完全に滅びる。例えば、サイト・ディアス=デュ=ワルプルギスはその事を知っていた。彼はカルディナの叔父にあたる」
サイトの名前に、僕は短く息を飲んだ。動揺が顔に出てしまわないように必死になった。
「青の世界は、ガルディギア共和国の石版からつながっている。王族の血が途絶えれば、扉は開けられない。即ち、赤の世界を守るためには、あの国の王族を生かしておく必要がある。だからこちらからも頼む。一刻も早くカルディナを開放して欲しい」
それでサイトは殿下にこだわっていたのかと、納得した気がした。
しかし、それはいい。
別に、開放したっていい。
ただ。
「僕は――……赤の世界を再構築して、どうすればいい?」
「これですべての世界の均衡は保たれ、人の世の未来は保証された。後は良き王であれ」
もうサイトもクルスもいないのに?
僕一人で?
僕にはそんな自信はない。
「心配は不要だ。勇者とは常に人々から愛される。貴方はひとりではない。これからも」
その言葉を聞いた直後、僕は再び光に飲まれた。
「陛下!!」
気づけばそこには、こちらを心配そうに覗き込んでいるナイルの顔があった。
今度は激しくドクンドクンと心臓が煩いほどに泣き叫んだ。
「――どうなった?」
「”古害磊”は消滅しました。国民は無事です」
安堵で力が抜けかけたけれど、僕は必死で起き上がった。
そして聴きたくないけれども、聞かなければならないことを聞いた。
「クルスとサイトは?」
「――残念ながら、死者の遺体を守る効果はたとえ”青の宝玉”であっても持ち合わせていません」
「そうか……」
「どこで青の宝玉を?」
「余計なことは聞かなくていい」
死者。その言葉が、僕に重々しくのしかかってきたのだった。