2:吾輩は人間になった!
騎士団本部に行くと、一つのお部屋に案内された。
服というものを着せられて。これはご主人も着ていた。
ご主人の部屋よりずっと広い。
嬉しくなって走り回りたくなったのに……うまく足が動かないんだ……。
人間てすごいなぁ。
思ったよりも大変だ。
フカフカのベッドの上でダラーっと横になった僕は、顔でも洗うことにして、手を顔の上に持って行った。
ーー!
耳が顔の横についているし、目の上には謎の毛が生えているし、頭には毛があったけどなんだかさらさらしてる。耳がなくなっちゃった……!
これじゃ顔が洗えないよ!
人間は顔を洗わないのかな?
動揺していたら、気配を感じさせずに、いきなり扉が開いたからびくりとしてしまった。威嚇しようと思ったのに声が出てこない。逃げたいのに体は思うように動かない。
「落ち着いたか?」
入ってきたのは、たくさん本を持ったウィズだった。
「ちょっとこれを見て欲しいんだ。読めるか?」
「……」
すると僕の前でパラパラとウィズが本をめくった。
「スノーホワイトは何処かで眠っています」
「ちゃんと文字をしつけられてから売られたんだな……落ちぶれた貴族の出かもしれないな。そうだ、食事も持ってきた」
そういえばすごく喉が渇いている。
僕は差し出されたコップに顔を突っ込んで見たんだけど入らなかった。仕方がないのでお皿に入っている白くてドロドロしたものに顔を近づけて舐める。
「……人間としての尊厳を奪われて暮らしてきたんだな。こんなにも綺麗なのにーーいや、だからか。俺でもグラグラくる……! あ、悪い、つい。な、何もしないから」
「?」
「シチューは、こうやって食べるんだ」
するとウィズが銀色の棒で、先っちょについた丸い溝に、シチューというらしい食べ物を掬って僕の口の前に置いた。お腹が空いていたので、口を開けたがーー! タマネギが入ってる! 中毒になっちゃうから食べちゃダメってご主人が言ってたから、間違いない。ウィズはご主人と仲が悪かったから、僕にも意地悪してるのかもしれない。
「無理にでも食べた方がいい」
だけど僕の開けたままだった口に、棒が突っ込まれた。
僕死んじゃうのかな……また。それじゃあご主人に会えないよ。
が。
普通に食べられた。今までの猫生でも食べたことがないほど美味しい。だから僕はまた口を開けた。すると、何度も何度もウィズがシチューをくれた。
それから僕の頭を撫でてくれた。すごく嬉しい。ご主人も僕を撫でてくれて、それから抱きしめてくれて、チュってしてくれるんだ。そんな時僕は尻尾を立てて喜ぶんだけど、僕は今尻尾がないからどうしよう?
そう思っていたら表情筋が、威嚇する時とはちょっと違うんだけど動いた。
ーーもしかしてこれが笑うってことなのかな?
僕とおもちゃで遊んでくれた時、ご主人は可愛いなぁと言ってよく笑ってくれたんだ。
「!」
するとウィズが真っ赤になって顔を背けた。ご主人が熱を出した時に似ている。
「どうしたの? 病気?」
「あ、いや、あんまりにも綺麗でな……あ、え、あ、や、わ、悪い、本当に他意はないからな!」
僕はよくご主人に綺麗だって言われていたんだけど、綺麗って何のことなんだろう? よく僕の顔をじっと見て言ってくれたんだ。
それから、水も、傾けるようにして、ウィズが飲ませてくれた。
ご主人とは仲が悪かったけど、僕はウィズはいい人だと思ったんだ。
それからの毎日で、僕は人間の言葉を少し覚えたりーーコップとかね、スプーンとか、で、顔は水で洗うって知った。あとは、手すりっていうものも知った。何せ毎日僕は、手すりにつかまって、歩く練習をさせられたんだ。二本足で歩くのは大変だったけど、いろいろな騎士っていう人が手伝ってくれた。
新しく会う人が沢山いてちょっと怖かった。
ただ食事も自分で食べられるようになったんだ。
玉ねぎも食べて大丈夫だったし、イカも食べられた。
人間ていいなぁ。
だけどねまだご主人は見つからないんだ。ヤツキって名前の人はいないってウィズがいうんだ。あんなにチャットで喧嘩してたのに……なんで知らないのか?
人違いなのかな。
そんなある日だった。ウィズが決意したような顔で僕の部屋に入ってきた。
「アサヒ、そ、そのデート……や、いや、だ、だからその、あ、あ、だから……その街に行って見ないか?」
デートが何のことかはわからないけど、お外には出たかった。
歩く練習をしているうちに、人間の目だと高い場所を正面に見られるのがわかったけど、お外ならもっともっともっと高いところを見られると思ったんだ。きっと僕が窓から見ている空よりも、ご主人様と一緒にお散歩しながら見た景色に多分お空は近いから、ご主人様と同じくらいの(?)高さの目で見て見たかったんだよ。きっとお空も近く見えると思うんだ。
「行きたい」
「そ、そうか。良かった……」
なんだか、ウィズがホッとしているような顔をした。大きく息を吐いている。
どうしたんだろう?
それから僕は着替えを用意してもらい、転ばないようにってウィズがつないでくれた手をぎゅっと握りながら、お外へと出た。空気が清々しくて、レンガっていうらしいやつで、道が構築されていた。広い街で、左右にはやっぱりレンガでできた、だけど僕の視界よりもずっとずっと高い建物が並んでいた。
「この街には数百年の歴史があるんだ」
誇らしげにウィズが言った。
僕の寿命よりはずっと長いんだろうなと思う。
そうして歩いて行くと露店というところに出た。
僕は、そこで発見してしまった。
ーーお魚が並んでる!
大きく口を開けてかぶりつこうとしたら、ぎゅっと握った手を引かれた。
僕よりも背が高いウィズを見上げたら、引きつった笑顔を浮かべていた。僕なにか悪いことしちゃったのかな? ご主人は僕が水の入った器をひっくり返すとこういう顔をしていたんだ。
「買ってやるから。どれがいい?」
「これ!」
巨大なマグロを僕が指差すと、ウィズが固まった。
「五百万ゴールドだぞ……それに、一人じゃ食べられないだろ? こ、こっちのお刺身にしておいたらどうだ……」
僕は悲しくなったけど、ウィズがそういうならしょうがないのかな。だけどゴールドってなんだろう? それにお刺身って奴も美味しそうだからいいかな
「あ、あのな、その、こういうのじゃなくて……アイスとかクレープとか、そ、その……」
「それはどんな食べ物?」
「っ、そうか……これまでの生活上、食べさせてもらったことがないんだな……」
急にウィズの顔が歪み、すごく辛そうになった。
だけどそんな餌聞いたことないし。
「買ってやるから、食べてみな」
するとウィズがアイスというものを買ってくれた。そしてスプーンで掬うと、僕の口の前に差し出した。もう僕は一人で食べられるんだけど、ウィズがくれるものはひときわ美味しいので、素直に口を開けた。
ーー冷たい! 甘い!
甘い、んだと思う。僕がこれまで食べてきたのは少し塩辛かったから、こちらの世界に来てから、甘いっていうのをちょっとだけ知ったんだ。だけどこれはすごく甘い。
「ど、どうだ?」
「美味しいよ。有難う」
そう言って僕が笑うと、ウィズが照れるような顔をした。
そうして僕はこの日、アイスっていうものをおぼえたのだった。
ーーだけど、空の高さはあまり変わらなかったんだ。残念だった。