11:吾輩は爪に宿す!
アクアが笑ったまま、スッと目を細めて僕を見た。
「アサヒ、何をしているんだ?」
「ご主人と一緒にいたんだ!」
「ご主人……」
なんだかまだ腰がふわふわした感じで、僕はご主人様に手を引かれながら、アクアを見た。アクアは笑っているのに、怒っているような気配がする。僕ちゃんと言いつけ通り、知らない人の前ではフードを取らなかったし、ついて行きもしなかったのになぁ。僕に怒ってるんじゃないのかな? だけどじゃあ誰に?
「アサヒから手を離せ」
「アクア……? お前討伐隊の先陣なんじゃねぇのか? つぅか……」
僕はぎゅっとご主人の手を握った。人間になってよかったのは、前足ーーじゃなくて手で、ぎゅっと握れることが一つだ。
「こいつお前のなんだよ?」
「アサヒは俺のものだ」
「ふぅん。随分浮気性の持ち物だな」
「なんだと? 君は一体アサヒに何をーー」
「俺は誘われた側だから、俺に怒るのは筋違いだろ。ま、お前を選ぶより俺選ぶってあたり趣味は悪くねぇみたいだけどな」
「……アサヒに奴隷の首輪をつけたのは君か。そうして今までも無理やり」
「奴隷の首輪? え?」
険しい顔のアクアに対し、それまで馬鹿にするように笑っていたご主人が短く息を飲んだ。そして僕の首元を見る。そうか、ご主人は僕の上着を脱がさなかったから、僕が僕だってわからなかったのかもしれない。首輪を見ていないせいで! 僕に似た猫よくいたし!
僕は静かに首元の服を緩めた。
「!」
「?」
しかしご主人は目を見開いたまま固まってしまった。
アクアが歩み寄ってきて、服を直してくれてーーそのまま抱き寄せられた。
が、ご主人様もまた僕の手首を強く握って引いた。
「離せよアクア。俺はそいつに話すことができた」
「消えろジェファード。アサヒは渡さない」
体はだるいし、二人に引っ張られて痛いよ僕。
そもそも僕の首輪は奴隷の首輪じゃない。ご主人様がくれた大切な首輪だ。これを見た時ウィズは悲しそうな顔をしたし、アクアは何も言わなかったけどじっと見ていて、今度はご主人が固まっちゃったけど。
だけど僕なんだか眠くなってきちゃったし、おててはいくらご主人の手でも引っ張られると痛いし、アクアにぎゅっとされるのは息苦しいしで、もうちょっとよくわからないよ。人間て不思議な習性を持ってるんだなぁ。
その時周囲の気配が凍った。
僕は相変わらず眠かったけど、緊張した空気が満ちたのがわかる。
本能的にだ。これ、逃げなきゃ……でも、だるいし眠い……どうすれば……。
「我が槍に宿れーージャバウォック」
「我が杖に宿れーーマッドハッター」
すると巨大な黒い鳥(?)が現れてシュルシュルと縮み槍となり、アクアの頭の上にはシルクハットが現れた。僕も遊びたいけど、僕今動けない。病気になっちゃったのかな。ご主人に動物病院に連れて行ってもらわなきゃ。それにお腹も痛いんだ。
「総員退避!」
「全員逃げろ!」
「馬鹿、Sランク同士だからって見物してる場合か、死ぬぞ!」
「いやここで屋台を始めて見守るのが商人根性!」
「客がいないだろうがっ!」
なんだか周囲が騒がしい。これじゃあ眠れないよ。
それになんだか僕、だんだんだんだん具合が悪くなっていく気がする。
ちょっと熱が出てきたみたいだ。
きっと初めて人間と後尾したから、体がお休みを求めているんだと思う。
そしてーー気づくと僕はつぶやいていた。
「我が爪に宿れーーチェシャキャット……!」
僕は半ば無意識に、ご主人の槍とアクアの杖の間に割って入り、どちらも爪で止めていた。だってさ、うるさくて眠れないんだよ。チェシャキャットっていうのが、なんで僕の口から出てきたのかはわからないけど、とにかく眠いんだ。寝よう!
「喧嘩は良くないよ……おやすみ」
僕をぽかんと見て、二人は無言になった。なんだか満足した。
僕は無限鞄から毛布を取り出して、その場で丸くなって眠ったんだ。
よく眠ったなぁと思って目を覚ますと、そこは僕のお部屋だった。
すぐそばの椅子にはご主人が座っていた。
「ご主人!」
「だから違ーーいやその、言いたいことはいろいろあるんだけどな、謝っとく」
「?」
最近はトイレ掃除も餌も自分でできるから、ご主人は謝る必要なんてないのに?
「お前が奴隷だったって知らなかった。それで中こそ初めてなのに無理やりいろいろなところを開発されて感じやすくなってたんだな……悪い。気付いてやれなくて。奴隷だったって今思えば……随分と酷いことを言ったしーーだから、ご主人って呼ぶんだな。お前を奴隷にしたやつには吐き気がする。けどな、そんなに俺に似てるのか、そいつ」
「開発?」
「だろ? だって明らかに初めてだったのに、あんなに感じまくるなんてあり得ないだろう、普通じゃ。まぁいい、嫌なことは無理に思い出すんじゃねぇよ。それよりお前の主人の名前は?」
「ご主人はジェフだよ!」
「だから違ぇっつってんだろうが!」
「ご主人様だった!」
「様とか敬称の問題じゃねぇ!」
そこが問題じゃなくてよかった。僕も気分によって、ご主人様って思ったり、ご主人っておもったりするからさ。
「とにかく、だ。俺は謝りたかっただけだから討伐に行く。じゃあな。二度と会わねぇと思うけど」
それからため息をついてご主人が言った。
「嫌だ!」
「このままじゃ都市が一つ襲われて滅ぶんだよ」
確か砂漠の黄金都市の討伐、っていう大規模討伐だと思う。
その次は永久氷土の都市の討伐だ。僕結構覚えてる。だってご主人大規模討伐大好きだったから。
「応援してる! だけど僕は一緒にいたい!」
「……なんでそんなに」
僕の言葉に、ご主人が困惑したように顔を歪めた。
「用件が終わったんならさっさと出ていってもらえないか?」
響いた声に視線を向けると、入り口の扉の蝶番部分に背を預けて、腕を組み、イライラと足で貧乏ゆすりをしているアクアがいた。相変わらず笑っているのに怖い。どうしちゃったんだろう?
僕はご主人と一緒にいられて幸せだから、この幸せを分かち合いたい!
「ああーー……じゃあな。その、またな」
「またがあると思っているのか君は。アサヒとは二度と会わせない」
また会いたいって僕が言う前に、アクアを睨みながら笑って、ご主人様は出て行ってしまった。あれは、僕がトイレットペーパーで遊んでボロボロにしちゃった時に見せる、怖い笑顔だ。アクアの方の笑顔が怖いと思うのは、何となく猫の本能からなんだけど。そうして僕が何も言えないままでいると、扉がしまった。
ガチャリとアクアが施錠する。
「さてアサヒ、話を聞こうか」
氷のように冷たい瞳で、アクアは僕を見ると口角だけを持ち上げた。
「え、あ」
「ーー怖かったね、アサヒ」
そして歩み寄ってくると、寝台に座っていた僕をぎゅっと抱きしめた。
「怖かっただろう? 勿論」
「ご、ご主人はーーっ」
そのまま耳の後ろを撫でられた。僕、人間の体になっても耳の後ろが気持ちいいみたいで、ガクンと体から力が抜けてしまった。
「まだ満足できていないんだな、ジェフじゃ」
「ち、違」
「違わない。君の主人は、今日から俺だ。よく教えてあげよう、ああ、たっぷりとね」
「違うよ、僕のご主人様はーーぁ」
その時顎を持ち上げられた。顎の下が気持ちいいのも猫の時と一緒だ……!
ビックリしていたらーー『敵襲です! 招集がかかっている方は大至急ーー』
響いた巨大な魔術警報に、アクアが大きく舌打ちした。
「チ」
多分三回くらいした……討伐に行くのが嫌なのかな?
そもそも、だ。僕のご主人には代わりなんていないし、誰も代わったりできないんだよ!
「アサヒ、今度こそーーいや今度はここから出ないでくれ。鍵をかけて行くからね。待っていてほしい」
僕がご主人についての熱い思いを語り始める前に、扉は音を立ててしまって、鍵のかけられる音がしたのだった。