4 旅人(?)と僕
「おはよう、ナイ」
「……おはよう」
初めてあって以来、僕が暗殺から帰って朝の空気を吸っていると、エースと名乗った旅人(?)が姿を見せるようになった。まだラプソディ様には彼のことを報告していない。害があるのか否か分からなかったから、僕は静かにエースの動向をうかがっている。
最近は露店を開いているようで、その噂は調べるまでもなく街中に広まっていた。
よく効く霊薬を作っているらしい。安価な物から高価な物まで、幅広く扱っているとのことだった。最近では、軽食も扱っているのだという。
”さんどいっち”や”ソウザイパン”という食べ物を扱っているという。この国には、パンの間に具を挟む食べ方は存在しなかったから、はじめは物珍しさで皆が買った。そしてその味の虜になったらしい。毎日毎日大行列だ。一度遠くから監視に行ったが、彼は人の良さそうな笑顔で接客をしていた。
「朝食は食べたか?」
「……まだだよ」
僕にとっては、夕食――いや、夜食に近い時間だ。
だが、そもそも僕は基本的には、この時間帯には食事をとらない。奴隷の食事は、一日一度と決まっているからだ。それでも食べられるだけ僕は恵まれている。
「体に良くないから、しっかり食べた方が良いぞ」
「……」
「あ、サンドイッチあるから食べるか?」
そう言うと、エースが、レタスと赤身の魚が入ったサンドイッチをくれた。
これで二度目だ。
しばらくの間は毒であることを懸念して、僕は食べなかった。けれど一度食べて、”スモークサーモン”という物を知ると、どうしても食べたくなる。それにチーズが塗られているのだが、それは固くはなくて、非常に口当たりが良かった。
渡された”さんどいっち”を受け取り、僕はまじまじと見た。パンも柔らかいのだ。ラプソディ様が食べているものよりも、おそらく柔らかいだろう。この国のパンは固いのだ。だから皆スープとともに食べる。
そんなことを考えながら僕が一口食べると、エースが満足そうに頷いた。
「俺の自信作なんだよ」
「そう」
「今度はカツサンドを作ろうと思ってるんだ。HPの回復量も多いし」
HPとはなんだろうか。僕には分からないから、おそらく魔術なんだと思う。
それにしても、宿に泊まっているらしいが、どこで料理をしているのだろう。
宿屋が厨房を客に貸し与えるとはとうてい思えない。
「ナイは細いよな。ちゃんと食べてるのか?」
「うん」
「小食なのか?」
「……別にそう言う訳じゃない」
単純にラプソディ様の元で食べる食事の量が少ないだけだ。それでも他の奴隷に比べたら僕は優遇されている方なのだ。肉が食べられるからだ。暗殺するためには、最低限の筋力を維持しなければならないからという配慮だ。
自分が暗殺用の奴隷だと気がついた頃から、満腹になるまで食べた事なんて無い。
一度で良いから、もう食べられないと言うほど食事をしてみたいとも思うが、僕には一生その機会はこないだろう。だから”さんどいっち”を食べられるだけでも幸せなのだと思う。
「ナイは普段何をして過ごしてるんだ?」
「……」
「あ、言いたくなかったらいいからな」
言いたくなかったから、安堵した。正直に話して、いつか殺すことになった時、回避されたら困るから。それに僕にはこれまで雑談をする相手なんていなかったから、この時間が無くなってしまうのは、何となくいやだった。どうしてそんなことを思うのか、よく分からない。初めての感覚だった。
「城に仕えているんだ」
僕は嘘をついたわけではないと自分自身に言い聞かせた。
「へぇ、王族に? それとも、侍従の一人?」
「……主人の名前は言えない」
「主人がいるって事はやっぱり、王族か――あ、いやその、詮索したい訳じゃないから気にしないでくれ」
すると慌てたようにエースが手を振った。
僕は自分の迂闊さを呪った。長く会話などした事が無かったから、上手い言葉が出てはこないのだ。もし仮にエースの狙いがラプソディ様で、僕の素性もとっくにばれているのだとすれば、これ以上話をするのは、本当は危険なんだと思う。
”さんどいっち”をかじりながら、僕はじっとエースを見た。エースは背が高いから、視線を合わせるためには、上を向かなければならない。
――殺すとしたら、背後からナイフを突き刺し、屈んだところで首をしめるべきだと思う。
そんなことを考えている自分に嫌気がさした。
「それにしてもこの街は良いな。自分の家が欲しくなる。買っちゃおうかな。いや、ひとまず借りるべきか」
「家……」
「そ。いろいろ変わった調度品も露店に並んでいたしな。欲しくなっちゃうんだよなぁ。それにほら、連れ込――いや、なんでもない」
今確実に連れ込むと言いかけた。
連れ込んで、どうするつもりなのだろう。殺すのだろうか。
「と、ところでナイは、巨乳と貧乳どっちが好きだ?」
「……」
僕はあまりそう言うことには興味がない。
そもそもラプソディ様は、男にしか興味がないらしいから、女の人の裸を見たこともない。
それにしてもあんまりな質問だと思う。
「いやそのごめん! ちょっと動揺してて」
一体何に動揺したというのだろうか。
エースのことはやはりよく分からないなと僕は思った。