10 解放された僕



柔らかい。ここはどこなんだろう。こんなに柔らかいものの上に横になったことなんて僕はない。いつも固い床で――……ッ!!
慌てて僕は目を開けた。
ラプソティ様の命令で僕はエースを殺そうとして、だけどそこから先の記憶がない。
……負けたんだと思う。ああ、僕が今度は殺されるんだろう。それとも性奴隷にされるのだろうか。嫌だ。
一気にそんな思考が駆けめぐったが、すぐに僕は平静を保とうとした。
そうして周囲を見回した。
見覚えがあった――ここは、エースの家だ。壁紙の模様が同じだから、間違いないと思う。
だけどどうして僕はここにいるんだろう?
全部夢だったのだろうか。

「あ、目が覚めた?」
「……」
「良かったー! 随分長いこと眠ってたからな」
「エース……どうして僕はここに……?」
「もう大丈夫。お前は解放されたんだよ。もう、奴隷なんかじゃない」

その言葉に何度も瞬きをした。それは……本当なのだろうか?
耳についているピアスを確認してみるが、それは確かに存在した。
そんな僕へと、エースが手を差し出した。見ればそこには、ラプソティ様が所持している命令の指輪がのっていた。驚いてそれを受け取る。

「これからは自由だ。好きに生きて良いんだぞ」

エースが笑顔でそう言った。だけど、自由? 好きに生きる? 僕が?
確かにその言葉に歓喜する自分がいたけれど、冷静な理性が僕に言う。これからどうやって生きていくのかと。住む場所もない、お金もない、暗殺以外をしたことがない、そんな僕が、どうやって生きていけばいいと言うのだろう。ラプソティ様のもとから離れたかったのは本心だ。でも、それでも確かに、あそこにいれば、最低限の衣食住は保証されていた。我に返れば、そんなもののために僕は人を殺してきたのかもしれない。最低だ。

「ナイ? ……じゃなかった。違うんだよな。本当の名前を聞かせてもらえないか?」
「ラプソティ様が言ったとおり、僕には名前が無いんだ」
「え」
「潜入する時は、その都度偽名を使ってはいたけど……」
「じゃあ、ナイ。ナイって呼んでも良いか、これまで通り」

僕は最近ではそう呼ばれるのが自然な気がしていたから、小さく頷いた。
だけどどうしてエースを殺そうとした僕のことを、エースはここに連れてきたんだろう。自殺願望でもあるのだろうか……力量的に、僕にエースを殺すことは出来ないと思うけど。

「ナイはさ、これから何がやりたい?」
「これから……」
「俺に出来ることなら、手伝うからな」

エースの言葉に涙が出そうになった。どうしてエースはこんなに優しいんだろう。
僕は、エースみたいな人に、仕えたい。もう暗殺はしたくないけれど。だけどいきなり、エースに主人になって欲しいなんて言ったら迷惑だろうし、僕だって奴隷を続けたいとは思わない。そもそもだ。エースに裏がないとは限らない。何か目的があって僕を連れ出したのかもしれない。嬲って殺すとか。僕は簡単には人を信用できない。ただ。

「……おなかがいっぱいになるまで、食事をしてみたい」

僕がそう言うと驚いたような顔をして、エースが二度瞬きをした。

「それだけか?」
「うん」
「そんなのいくらでも叶えてやるよ」

エースはそう言って微笑むと、上半身を起こした僕の頭を撫でてくれた。
――ゾワッとした。
ラプソティ様がよく性奴隷に同じ事をしているのを見たからだと思う。

「ニコポ・ナデポ……」
「何?」

直後エースが意味不明の言葉を口にした。魔術だろうか。しかし魔力の気配はない。
僕は昔から魔力の気配が分かる。どうして分かるのかは、分からないけれど。

「と、とにかく食事を用意するから……! それまでに、やりたいこと、考えておけよ」

エースはそう言うと部屋を出て行った。
一人きりになった僕は、毛布の上に視線をおろした。両手で指輪を持ちながら、僕はその輝きをじっと見た。忌々しかった指輪が、今は僕の手の上にある。僕のピアスは未来永劫はずれない魔具だ。この指輪を奪われれば、僕はその相手に逆らえなくなる。なんとかその支配力を振り切ったとしても、心臓を止められたら――……あれ? 僕は常に胸を締め付けていた魔力の気配が無いことに気がついた。
もしかしてエースが解いてくれたのだろうか。
どうしてエースは僕にこんなに良くしてくれるのだろう。やはり下心があるとしか思えない。僕に出来る事なんて暗殺だけなのに。

「ナイ、用意できたから、食べよう」

その時エースに呼ばれたので、僕はおそるおそるベッドから降りた。
そして隣の部屋に向かうと、そこには様々な料理が並んでいた。僕が知っているのは、パンとお米だけで、他は見たことがないものばかりだった。美食家を名のっていたラプソティ様の食事風景ですら、こういった食べ物は見たことがない。エースは旅人だと言うから、これは他の国の食べ物なんだろうか?
「パエリアにピザ、ナポリタンにクロワッサン。キッシュにミートパイ。ラザニアと厚焼き卵。それと焼き肉。後はスープはポタージュ。なんか無秩序で悪いな」
「……これ……」
「ん? 嫌いな食べ物あるか?」
「無いけど……」
何せこれまでは、食事を食べられるだけで満足だったのだ。

「さ、座って。食べよう」
「これ……僕も食べて良いの?」
「ナイのために用意したんだから、当然だ」

僕は本当に良いのだろうかと伺いながら、フォークを手に取った。それからエースが先に食べた品を、意を決して皿に取る。事前に解毒剤をエースが飲んでいたのでなければ、毒が入っている心配はない。ただ――入っていて、死ぬことになっても良いかなと思った。おなかいっぱい食べられるのだから。

「どうだ?」
「美味しいよ」
「良かった。そういえば、やりたいこと見つかったか?」
「……」
「ま、急に言われても困るよな。見つかるまで、ここで一緒に暮らすか? 夜逃げしなくて良さそうだし」
「ッ」

驚いて僕が視線を向けると、満足げにエースが笑っていた。
そして――僕は、エースと暮らすことになったのだった。