【五】山縣のプロフィール
「すみませんねぇ、今朝ひょっこり戻ってきたんですよ」
依頼先に行き、依頼主の腕に抱かれている猫を見て、僕は肩を落とした。ただ、猫が戻ってきたのはよいことなので、自然と僕の両頬は持ち上がる。
「よかったですね。では、僕達はこれで」
そう告げてから、僕は山縣を見た。
「ほら、行くよ」
「――ああ」
一拍の間を置いてから、興味がなさそうに山縣が頷いた。僕が歩き出して、車の運転席をあけると、山縣は助手席に乗り込んだ。山縣の一張羅は黒いスーツだ。本日、シャツに皺がついていないのは、僕がアイロンをかけたからであるし、ネクタイがピシっと締められているのは、僕が結んだからだ。山縣は一人だと、いつもよれよれの状態である。
車を発進させて、僕は溜息を胸中で押し殺す。
せっかく見つけた依頼がダメだった現在、次のあてもない。
「山縣もさ、ちょっとは依頼を探してくれないかな?」
「なんで?」
「なんでって……ポイントは2のまんま、探偵ランクは最下位……ちょっとはどうにかしようと思わないの? 逆になんで思わないの?」
「事件を解決したっていい事なんか何もねぇよ。俺はそれよりも、平穏な生活を望む」
「じゃあなんで探偵になったの?」
「なりたくてなったわけじゃねぇから」
「へ?」
探偵のプロフィールは、最重要極秘機密であるから、助手にも開示されない。よって、本人から聞く以外、知るすべはない。僕はてっきり、山縣は探偵学科をなんとなく卒業した平々凡々な探偵だと思っていた。探偵学科には、探偵才能児でなくとも、ほぼ一般人といえるような、探偵知能指数が少し高い人間も進学可能だ。逆に言うとその指数が高ければ入学できるので、EランクやDランクの探偵は、とりあえず大学卒業資格を得るためという理由で進学する事は多い。なお、その後は探偵を副業として、他の仕事をしているパターンも多い。だからコンビニのアルバイトで生計を立てていた過去がある山縣は、てっきりそのタイプだと、僕は考えていた。
「山縣って、まさかとは思うけど、探偵才能児だったの?」
「……」
窓の外を眺めている山縣は、何も言わない。だが驚いた僕は、思わず車を停車させた。
「えっ、そうなの?」
「だったらなんだよ?」
探偵才能児は、日本には約三百人しかいないとされている。世界でも珍しい存在だ。そして国内の探偵才能児のランクは、基本的にB以上だと聞いている。ごくまれに、怪我や病気により探偵業が出来ない時は、一時的に下位のランクになる場合もあるが、それは例外だ。だが、山縣の探偵ランクは最下位のEだ。
「もしそうなら……」
探偵としての才能や能力を伸ばすために補佐するのは、助手の仕事の一つだ。山縣がこのように低ランクなのは、僕の力不足といえる。困惑しながら僕は山縣を見た。すると山縣がチラリと僕へと視線を流した。
「俺は危ない仕事をする気はない。今のままでいい。生きていければそれでいいんだよ」
「で、でも……ねぇ、探偵才能児としての探偵知能指数はいくつだったの?」
探偵知能指数はほぼ一般人であっても持っている事はあるが、こと探偵才能児にかぎってはずば抜けている。それが探偵才能児の、探偵才能児たるゆえんだ。
「どうでもいいだろ。お前には関係ない」
「関係なくないだろ? 僕は山縣の助手なんだよ? 正確に把握しておきたい。ねぇ、いつ探偵才能児だと判明したの? それくらいは教えてくれない?」
今年の四月に顔を合わせて、一緒に暮らすようになって、もう二ヶ月だ。現在は六月、梅雨の季節で、車窓からは公園に咲き誇る紫陽花が見える。だがこの二ヶ月というもの、山縣は僕に何一つプライベートについては教えてくれなかった。唯一、四月の半ばに『コンビニのバイトをやめてきた』といった事だけが、僕の持つ山縣の職歴に関する知識だ。
「三歳だ」
「えっ、そ、それって、最初の検査で、って事?」
「まぁな」
「すごい……な、なのに、なんで今はこんな風になっちゃったの?」
「こんな風? どういう意味だ?」
「依頼や事件に、全然興味がないじゃないか。一般的に、三歳で検査を受けるとすれば、何か事件を解決して、小学校入学前の一斉検査より前段階で測定された場合だろ? 探偵才能児は、直観で推理できるほかに、事件に興味を持たずにはいられない特性があるはずだよ? なのに、なんで山縣は、今、なんの事件にも興味が無くなっちゃったの?」
僕が切実な声を上げると、山縣が呆れたような顔で、大きく吐息した。
呆れているのは僕の方だ。
「事件、特に刑事事件っていうのは、危険がつきものだろ。俺が行けば、お前も行く。要するに、俺はともかく朝倉にも危険が迫る。分かってんのか?」
「そりゃあ僕は助手だからね。山縣が危険な事件に臨むなら、僕も行くよ」
「嫌なんだよ。朝倉が危険な目に遭うのが」
「はぁ? 僕の事を想ってって言いたいの? だったら逆だ。事件を解決してくれ。僕は活躍しろとまではいわないけど、山縣がきちんと探偵をしている姿が見たいし、今のハウスキーパー状態の自分ほど悲しいものはないよ」
僕が断言すると、山縣が腕を組んだ。
「そんなに俺に事件を解決してほしいのか?」
「当然だろ! 助手は、探偵が推理して事件を解決した時に、充足感を感じるんだからね。だから探偵のそばにいてしまうんだよ。なのにそれもないのに、山縣の横にいるなんてさ、一方的に運命とされはしたけど、意義が分からない」
「……朝倉。お前は、何もなければ、俺のそばにはいてくれないって事か?」
「いる必要がないからね」
「つまり俺が探偵でなければ、お前にとって、俺は無価値という事か?」
「えっ……い、いや、そこまでは言ってないけどさ……」
山縣は無表情だったが、僕は困惑して口ごもった。
だが、山縣が探偵でなければ、そして僕が助手でなければ、僕達は一緒にいる必要はないし、そもそも出会う事も無かっただろう。
「……とりあえず、帰ろうか」
「今日はお前のハンバーグが食べたい」
「はいはい。途中でスーパーによるよ」
こうして僕は、再び車を発進させた。行き先は、近所のショッピングモールだ。
この日作ったハンバーグは、我ながら上出来だった。