【七】探偵の才能







 帰宅すると、エントランスに黒い革靴があった。来客だろうかと首を傾げながら、僕はその場合に備えて、静かにリビングへと向かった。するとまだ午後だが灯りがついていた。今日は雨だから、薄暗い。

「だから、頼んでるだろう。力を貸してほしいんだ」
「検討しておく。朝倉が帰ってきたみたいだから、そろそろ口を閉じろ」

 その声に、僕は邪魔をしてしまったようだと判断しつつも、リビングの扉を開けた。
 するとそこには、背広の上に緑色の外套を羽織っている青年が一人立っていた。
 切れ長の目をしていて、黒い短髪をしている。僕を見ると、その青年は満面の笑みを浮かべた。二十代後半くらいに見える。

「お。こんにちは」
「こ、こんにちは」

 僕が会釈をすると、ソファに寝そべっていた山縣が、キッチンの方へと視線を向ける。

「朝倉、珈琲が飲みてぇ」
「あ、俺も飲みたいな」
「青波はとっとと帰れ」

 それを聞いて、僕は対面する席に座っている青年の前に、何も飲み物がないことに気が付いた。慌てて僕はキッチンへと向かい、珈琲を三つ用意して、リビングへと戻る。すると起き上がった山縣が、僕の座る場所を開けていた。

「お気遣いなく。でも、ありがとう。ごちそうになる」
「いえ……ええと……」
「――こいつは、青波悠斗(あおなみはると)。よろしくする必要はない」

 山縣の声に、僕は座りなおす。

「はじめまして。山縣の助手で、朝倉水城といいます」
「――はじめまして、か。そうだな。確かにそうなるんだろうな」
「え?」
「いいや、なんでもない。俺は青波。よろしくな。俺としては、よろしくしてほしい」

 笑顔の青波さんは、楽しそうな目をして僕を見た。

「朝倉くんからも、山縣に言ってくれないか? 事件を解決してほしい、って」
「事件、ですか? え? どういった?」

 驚いて僕が目を丸くすると、外套の胸ポケットから、青波さんが黒い手帳を取り出した。僕は思わず息を飲む。

「警察からの依頼だ。俺は特別指定事件担当の実績で、これでも警視正だ。若いだろ? 史上最年少だ。まだ二十七歳なんだけどなぁ。ま、職務内容としては、探偵に依頼をもっていって、犯人を教えてもらって、証拠固めをするって係だ」
「それってAランク以上の事件担当の部署じゃ……?」
「その通り。探偵が真相を暴く、警察が証拠を固める。この流れにのっとり、俺は証拠を固める捜査会議のトップをしている事が多い。ただ、探偵に依頼する時は、所轄と同じように、自分の足を使ってる」

 明るい声で述べてから、青波警視正が改めて山縣を見た。

「と、いうわけで、山縣にも依頼にきたわけだ。いやぁ、居場所探しにこれほど手間取るとは思わなかったよ、俺は」
「考えてはおくが、マイナスの方向だ。とっとと帰ってくれ」

 冷ややかな山縣の声に、僕は二人を交互に見る。

「あの、どんな依頼なんですか?」

 僕が尋ねると、困ったように青波警視正が笑った。

「連続放火事件なんだ。手がかりが何もない。山縣なら、犯人を見つけてくれると思って、ここに来たんだよ」
「山縣なら……?」
「そ。山縣は、こういう手がかりがない事件も得意だからさ」
「え? そ、そうなのですか?」
「俺が知る限りは、そうだよ」

 笑顔の青波警視正の言葉に、僕は目を丸くする。

「青波、余計なことを言うな」
「俺、おしゃべりだから、山縣が引き受けてくれないというんなら、もっとペラペラしゃべるぞ?」
「――分かった。もう一回資料を出せ」
「そうこないとな」

 僕が見ている前で、青波警視正が、鞄からいくつかの写真や分厚いファイル、捜査資料が入っているらしいタブレット端末を取り出した。僕は、山縣に捜査依頼をする警察官が存在する事にも驚いたが、山縣が事件を過去に解決した実績がある事にも驚いたし、犯人を見つけられそうだという話にも唖然とした。山縣が、本当に……?

 山縣は捜査資料の分厚いファイルをパラパラとめくった。読んでいるようには見えない。仮に読めていたとすれば、速読だ。続いてそれをテーブルに放り投げてから、山縣はタブレットを手にした。助手には閲覧権限があるので、僕はファイルに手を伸ばす。その正面で、青波警視正はカップを持ち上げた。チラリとそちらを見て目が合うと、優しい顔で笑われた。明るく快活な印象を受けながら、僕はファイルを見る。

 連続放火事件の概要が書かれていた。一軒目のあとで、連続して二軒目と三軒目、そして最新の事件で七軒目らしい。共通点は、各家の子供が、全員同じ小学校に通っている事と書かれている。テーブルの上には、各被害者宅の全員の写真が並べられている。

「このガキだ」

 山縣はタブレットを置くと同時に、最初の被害者宅の三男である小学生の写真を、指先でコツコツと叩いた。

「ありがとう」

 両頬を持ち上げた青波警視正は、それから資料をしまい始めた。
 何故、とも、理由は、とも、根拠は、とも、尋ねない。
 本来優れた探偵才能児とは、そういう扱いを受ける存在だ。見れば犯人が分かるし、事件の全容も即座に把握できる。そこに間違いはない。よって、証拠固めや警察の仕事となるのだが……優れたと評されるような探偵才能児は少数であるから、多くの場合は、理由を問われる。しかし、青波警視正がそうする事はなく、当然のように鞄に全てをしまい、彼は立ち上がった。

「助かったよ。じゃあな、二人とも。珈琲、ごちそうさま」

 朗らかにそういうと、青波警視正は帰っていった。
 僕はポカンとしていた。

「朝倉」
「な、なに? え? 山縣……君って、本当に探偵才能児だとして、え? レベルは?」

 探偵才能児には、レベルがある。探偵ランキングにも探偵ポイントにも左右されない、生まれながらの資質だ。助手レベルと似たくくりである。

「どうでもいいだろ。それより腹が減った。今日の夕飯はなんだ?」
「すき焼きの予定だけど……」
「おお、いいな。早く食べたい、作ってくれ」
「うん? 待って、状況を説明して。青波警視正とは元々知り合いだったの?」
「ちょっとな」
「ちょっとって何? 詳しく話して」
「やだね。それより腹が減ったって言ってんだろ」
「……山縣。ねぇ、お願いだから教えてよ。僕は君の助手なんだよ?」
「俺の中では、話す事よりも、すき焼きの方が優先順位が明確に高い。早くしろ」

 結局山縣は僕には教えてくれなかった。