【十二】出会い






 指定された場所に行くと、三階建ての一軒家があった。四角いフォルムと灰色の壁を見てから、僕はエントランスへと向かう。鍵を回してから、僕はそっと扉を手で押した。カードキーよりもセキュリティ性が高い最新の鍵だと分かる。

 玄関には背の高い観葉植物と、傘立て、その隣に収納スペースがあった。僕は靴を脱いで、中に入る。傍らにあったスリッパを見て、一足手にした。

 人の気配はしない。
 山縣正臣は、これから来るのだろうか?
 そう考えながら、歩いていくと、右手に浴室と洗面所、トイレがあり、正面はリビングに続いていた。象牙色のソファを一瞥してから、僕は広がっているアイランドキッチンを見る。料理をはじめとした家事は、多くの場合助手の仕事であるから、これから僕はここで色々なものを作るのだろう。山縣は果たして、気に入ってくれるだろうか?

 リビングの奥にはピアノがある。
 逆側の壁には、二階へと続く階段があった。生活感がまるでないその家で、僕はまず珈琲を淹れた。そしてゆっくりとソファに座った。

 エントランスのドアが開く音がしたのはその時で、何気なくそちらを見ていると、俯きがちに山縣が入ってきた。顔を上げた山縣は、立ち止まると顎を少し持ち上げて、忌々しそうな顔で僕を見た。

「お前が俺の助手か?」
「あ、うん……朝倉水城と言います」
「出て行ってくれ。俺には助手なんて不要だ」

 冷ややかな声音だった。端正な顔で睨まれると、迫力がある。一方の僕は、息を詰めてから、必死で笑顔を浮かべた。

「何か僕にもできる事があると思うし、その……これから、よろしく」
「できる事? 何か一つでも、お前に俺よりできる事があるのか?」
「え……? ええと……――夕食は食べた? 何か作ろうか?」
「お前は料理が出来るのか? とてもそういう手をしているようには見えないが」
「一応、一通りの料理は覚えているよ」
「一応、か。俺の嫌いな言葉だ。やるのならば完璧をせめて志せ」
「っ」
「俺は風呂に入る。その間に出ていけ」

 ブレザーのネクタイを緩めながら二階に登っていく山縣を眺め、僕は俯いた。出て行けと言われても、全寮制だった学園には、もう僕の部屋はないし、実家に帰るとなると、既に飛行機がない。溜息をつきつつ、少しずつ慣れていこうと考えて、僕は夕食を作る事にした。

 冷蔵庫から材料を取り出し、この日僕は、肉じゃがを作った。
 すると浴室から戻ってきた山縣が、片目を眇めて、僕を睨みつけた。

「まだいたのか」
「っあ、あの……夕食の用意をしたから、よかったら」
「これは?」
「肉じゃがだけど……」
「朝倉財閥では思いのほか庶民的な食生活を送っているらしいな」
「え? なんで僕の実家を知ってるの?」
「迂闊な口だな。推測しただけだ。俺は口が迂闊な助手など、それこそお断りだ。仕事に支障しか生まれない」
「……っ」
「まぁ料理に罪はない。わけろ」

 その声に、僕はおずおずと頷いて、肉じゃがを皿に盛りつけて、リビングのテーブルの上へと運んだ。他には白米とみそ汁、きんぴらごぼうとほうれんそうのお浸しを用意した。それらを見ると、山縣が嫌そうな顔をした。

「家庭料理なんて食べたことはないが、いかにも不味そうだな」
「……そ、その……味は悪くないと思うよ?」
「思う? 思うという言葉も俺は嫌いだ。断定しろ」
「僕は美味しいと思ってる!」
「そうか」

 無表情のままで手を合わせ、山縣が箸を手にした。そして一口食べると、箸を置いた。

「食べる気が起きない」
「不味かった……?」

 僕がおろおろしながら問いかけると、シラっとした顔をして、山縣が立ち上がった。そして無言で、キッチンへと向かう。

 ――一時間後。
 僕が冷めた肉じゃがを見ていると、山縣が皿を持って戻ってきた。僕は目を見開く。そこには輝くような子羊のステーキが盛り付けられた皿があって、テーブルの上にはフレンチが並んでいく。

「料理が出来るというのならば、せめてこのくらいは作れ」
「……ごめん」

 クオリティが違うのは、明らかだった。確かにこれでは、僕の肉じゃがなど無価値だろう。俯きつつ、僕は作り笑いを頑張った。その後一人でナイフとフォークを手にし、山縣が食べ始める。終始俯いていた僕は、皿洗いを申し出ようと思っていた。そんな山縣が箸を手にしたのは、最後の頃だった。

「食材には罪はないからな」

 山縣はそう述べると、冷めきっている肉じゃがを、また数口食べた。

「あ、あの! 僕は皿を洗うよ」
「できるのか?」
「うん」
「――そうか。じゃ、頼んだ」

 こうして食後、僕はお皿を水で流し、食器洗い機へと入れた。するとやってきた山縣が僕に対して怪訝そうな顔をした。

「おい」
「うん?」
「俺は流し台に水を飛ばして汚しているようにしか見えないが、どこをどうきり取れば、皿洗いが出来るということになるんだ?」
「っ」
「もういい俺がやる。本当に役立たずだな」

 冷淡な声音でそういうと、山縣は僕の体を軽く突き飛ばした。
 よろけてから、僕は渋々とリビングへ戻り、ソファに座った。そして見守っていると、山縣がお皿をピカピカにした上で食器洗い機へと収納し、その時には流し台もHIのヒーターの周囲も完全に綺麗になっていた。

「明日には出ていけ。お前はただ邪魔なだけだ」

 山縣はそういうと、二階へと戻っていった。僕はそれまでずっと上辺には笑顔を浮かべていたけれど、一人になった時、思わず唇を噛んだ。上手くやっていける気がしない。

「ううん、まだ初日だしね。これから少しずつ、歩み寄っていけるよね」

 一人そう呟き、僕は自分を鼓舞してから入浴した。