【十六】登校日
翌日は、登校日だった。助手をしている場合、高等部への通学は絶対ではないのだが、月に一度のスクリーニングと、テスト期間は、登校が義務づけられている。もっともこれも、事件が入ればそちらが優先されるのだが。今は夏休みだが、スクリーニングは変わらずに行われる。
久しぶりに学校へと行き、僕は椅子を引いた。
すると隣の席の日向が咳払いをした。
「なんか雰囲気変わった?」
「え?」
「おはよう、朝倉。なんか……何? 恋人でも出来たの?」
「へ……? な、なんで?」
「色っぽくなった気がするよ」
「……っ、べ、べつに?」
心当たりは、山縣とSEXした事だけだ。初めてのあの夜の後も、僕と山縣は定期的に体を重ねている。大抵の場合、山縣が気まぐれに僕を押し倒す。
「それはそうと、山縣ってどうなの? 噂の天才高校生探偵は、やっぱりすごい?」
「えっ……う、うん。山縣は、なんていうか隙もないし、完璧だよ」
これは事実だ。最近では、僕にも少しずつ料理や洗濯を任せてくれるようになってきたが、基本的に山縣は、全部自分でやっているし、僕を足手まといだと口にする。実際、完璧な山縣を前にすると、その言葉は正しい。これは僕の自己評価が低いというわけではなく、客観的な事実だ。
「御堂が、山縣の事ばっかり気にしてるからさ」
「え?」
確か日向の運命の探偵だったなと思い出しながら、僕は首を傾げた。
「同じクラスみたいなんだけど、山縣は事件に引っ張りだこだから全然学校に来ないみたいだね。御堂はAランクになったばかりなんだけど、やっぱり宿命のライバルは、山縣だって思ってるみたい」
「宿命のライバル……」
「一度、朝倉にも会いたいって話してたんだけど、暇な日、ない? 助手として、セッティングしておこうかとは思う」
日向が若干不機嫌そうに言った。僕はスマホのスケジュールを確認する。
「水曜か土曜の午後なら」
「じゃあ水曜は? あと、俺も山縣に会ってみたいから、君の家でいい?」
「い、いいけど……山縣がいるかは分からない」
「分からない? 助手なのに?」
「……そ、その……うん。ごめん」
怪訝そうな顔をしてから、日向が頷いた。
その日僕が帰宅すると、ピアノの音が響いてきた。立ち止まって顔を上げてから、あまりにも巧みな音色に呆然としつつ、僕は気配を殺してリビングへと向かった。すると僅かに開いていた扉の向こうで、真面目な顔をして山縣が鍵盤を叩いていた。あまりもの迫力に、僕は気圧される。僕だって幼少時からピアノを習っていたけれど、比べ物にならない技巧だというのがすぐにわかる。山縣が弾き終わるまでの間、僕は立ち尽くしていた。
すると演奏を終えてから、流すように山縣が、鋭い目を僕に向けた。
「なんで入ってこないんだ?」
「その……邪魔をしたくなくて」
「……へぇ」
山縣は興味がなさそうな顔でうなずくと、立ち上がった。僕はようやく一息ついて、リビングへと入った。この日の夜は、山縣が作った中華料理で、いずれも美味だった。シェフの料理だと聞いても、誰も疑わないだろう。
僕は食後、リビングのテーブルに、ルーズリーフとタブレット端末を置いた。そして数学の予習に取り掛かる。後期の頭にも、テストがあるからだ。
「うーん……」
僕は問題を見つめ、唸った。数式はあっているはずなのだが、答えが間違っている。シャープペンを片手に僕が悩んでいると、皿洗いを終えた様子の山縣がやってきた。そして首元のネクタイに触れながら、ルーズリーフを覗き込んだ。
「簡単すぎるだろう」
「……」
一応これは、本来は高三で習う問題だ。僕達はまだ、高校二年生である。目を伏せて、僕は思わず笑ってしまった。僕だって全国二位だが、目の前にいるのは、完璧の権化である、全国一位の山縣だ。
「ここが間違ってる」
山縣が呆れたような声を出した。驚いて僕が目を開けると、僕のペンケースからボールペンを取り出した山縣が、さらさらと達筆な字で間違っている個所に注釈を入れた。
「あとこっちも間違いだな」
「あ、本当だ」
「それと、こちらもだ」
「! あ、ありがとう!」
「ここは――」
そのまま無表情で、山縣が、僕に数学を教えてくれた。その横顔が、無駄に格好よく見える。僕はドキリとしてから、次第に集中し、無事に予習を終えた。