【六】初めてのゆっくりとした会話
執事の後について二階のリビングルームへと僕は向かった。扉を開けてもらい中に入ると、窓際にクライヴ殿下が立っていた。すぐに振り返った殿下は、僕を見ると、紫色の瞳を眩しそうに細めて笑った。
「来たか、ルイス」
「……これは、宜しくお願いします」
僕も微笑み返すくらいしたらよかったのだろうけれど、僕は自発的に笑う方法を忘れてしまって久しいせいで、無表情のままそう告げた。声も抑揚のないものになってしまった。これは、なるべく怒らせたくないという、これまで身につけた習慣からだった。
「座ってくれ、少し話そう」
「分かりました」
素直に頷き、僕は長椅子に座った。テーブルをはさんで正面の席に、クライヴ殿下が腰を下ろす。そこへ侍従達が紅茶の入るカップやティースタンドを運んできた。
「その……気を楽にしてくれ」
「ありがとうございます」
僕は膝の上で両手を握り、静かに俯いた。緊張と恐怖が先行していて、とても楽に出来る気分では無い。
「――なんというか、改めて言うが、悪かったと思っているが、後悔はないんだ」
「え?」
「ルイスには拒否権が存在しないに等しかった婚約と結婚、俺の事を好きになってもらえたら嬉しいが、仮にそうでなくとも、俺はお前が欲しくてたまらなかったんだ。だから、機会を逃すつもりはなかった。悪いな、ルイスの意思を汲まずに」
つらつらと、どこか苦笑交じりの声で、クライヴ殿下が述べた。
チラリと視線を上げて、僕はその表情にも苦笑が滲んでいるのを確認した。
「いえ……」
僕は小さくかぶりを振った。僕としては、ヘルナンドのもとを離れられるのならばそれでいいと思っていたし、その後の身の振り方を悩まなくてよかったのは、幸いでもあった。ただ分からないのは、『欲しい』という言葉の意味だ。
「俺は、ずっとルイスが好きだったんだ」
「……え?」
「昔、まだ俺達が子供の頃、王宮主催の茶会が幾度かあっただろう?」
その言葉に、僕は頷いた。クライヴ殿下は、僕の四歳年上の二十七歳だったから、その当時はずっと大人に見えたのだが、貴族の令息が招かれて、茶会での礼儀作法を皆で学ぶというものがあった。
「他にも、絵画教室や音楽会もあっただろう?」
「ええ……」
「そこで会う度に、俺はお前に惹かれていたんだ。そして……甘やかしたいと、ダイナミクスが判定される前から思っていた。お前をドロドロに可愛がって愛して蕩けさせたいと、ずっと思っていたんだ。だが、ルイスは、ヘルナンド卿の許婚だと知っていた。仮にも公爵家と侯爵家の二人を敵に回して奪う事は困難だろうと、俺はずっと自分の気持ちを押し殺してきたんだ。それが、神は俺を見捨てなかった」
嬉しそうに口早に語られて、僕は虚を突かれて、ぽかんと口を開けてしまった。