【五十一】笑い方





 僕が意識して、名前を――心の中でも呼び名を『クライヴ』に変えた日。
 それはクライヴが休日の場合は、時々僕が玩具のリーシュを服の下に身に着けるようになった日でもある。クライヴは今度、もっと本格的なリーシュも購入しようかなんて笑っていたけれど、僕には今の黒い紐のリボン付きのリーシュも大切な宝物となった。

 そんな日々を過ごす内、いよいよ明日が、収穫祭となった。
 即ち、本日こそが民間伝承を由来とした前夜祭である。

 明日の準備があるからと、僕は早めに起床した。するとクライヴが、一緒に起き上がり、僕を横から抱きしめた。

「今日はリーシュをつけていくか?」

 羞恥に駆られて、僕は思わずクライヴを軽く睨んだ。するとクスクスと笑われた。最近たまに、クライヴは僕に対して意地悪な冗談を口にする。しかしそんな部分まで大好きだから、我ながら困ってしまう。

「んン」

 クライヴにキスをされ、僕は目を閉じた。ねっとりと舌を絡めとられた後、口を放してから、クライヴが僕の頬に触れた。

「機嫌を直してくれ」
「……うん」

 最近の僕は、《命令》に力を借りつつではあるけれど、敬語も控える努力をしている。名前を呼び捨てにするようになってから、少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、僕は目に見える形で心を開く努力をしている。ただ、当初こそ努力しなければと感じていたはずなのに、クライヴのそばにいると、僕は自然体でいられる時間が増え始めている。

「さぁ、朝食にしよう」
「はい」

 僕達はそれぞれ身支度をしてから、手を繋いでダイニングへと向かった。
 明日の公務では、麦を祭壇に捧げたり、収穫物でつくったクルミのパンを食したりするのだけれど、軽くその打ち合わせなどを行う。クルミは領地の備蓄としても、今季は沢山取り扱った。ただ、僕はまだ、口には一度も運んでいない。だから明日が楽しみでもある。

 もうすぐ、冬が来る。
 ダイニングの窓の外にも、雪囲いが見える。それは様々な部屋の窓が同じであるし、街の民家も変わらない。豪雪地帯ではないが、この王領には雪も降る。僕はあまり降雪しない王都で暮らしてきたから、まだ大変さも分からないが、そもそも雪を見るという経験がほとんどないため、楽しみな部分もある。

「今年はルイスのおかげで、昨年より安心して冬を迎えられそうだ」

 僕の視線に気づいたらしく、クライヴが微笑した。僕がそちらを見ると、クライヴはデザートのプリンにスプーンを向けながら、優しい顔で僕を見据えた。

「昨年は俺も王都で過ごしたが、こちらの仕事も大変だった。それが、ルイスのおかげで予想の半分以下しか、俺は仕事をしていない」
「……クライヴは、毎日忙しそうだけど……」
「ああ、書類と手配以外の仕事にな。俺はもともと、自分の目で見て回る方が好きなんだよ」
「お役に立てているのなら光栄ですが……手配はバーナードがしてくれるから……」
「しかし指示を出すのはルイスだ。ありがとう」

 その言葉に嬉しくなって、僕は両頬を持ち上げた。
 するとクライヴが息を飲んだ。なんだろうかと小首を傾げると――不意にクライヴが頬に朱を差した。

「……初めて笑ってくれたな」
「あ……」

 僕はその声に、自分の表情筋が自然と動いたことに、やっと気づいた。
 自分でも信じられない思いで、頬に指で触れてみる。

「……クライヴの言葉が嬉しいと思ったら、自然に……あ、僕……」
「そうか。俺の方こそ嬉しくてたまらない」

 改めて僕を見て、目を細めて笑ったクライヴが、愛おしくてたまらない。

「ルイス、もう一度、確認させてほしい」
「は、はい?」
「――君に、首輪(カラー)を贈っても、本当にいいんだな?」
「! ぼ、僕でいいのであれば……」
「ルイスがいいに決まっているだろう。そうか、嬉しい。では、その際に、改めてパートナー契約も正式に行おう。構わないか?」
「う、うん。嬉しい……嬉しいです」

 頷きながら、僕は目を伏せる。
 そして今度は、自分の気持ちに素直なままに、クライヴを見て、再び両頬を持ち上げた。するとクライヴが息を飲んだ。僕は、自分の頬も唇も、瞳も、全てが歓喜をきちんと表現できるように戻ったことを悟った。

 この日から、僕の表情筋は、少しずつ笑い方を思い出したようだった。