【4】大奥にて、僕は一番下っ端から開始した。



 Ωの園である大奥は、α禁制だという。これは、ついうっかりΩの発情期に、政をしている優秀なαが遭遇して、誘惑されるような事態が発生してはならないかららしい……。例外は、上様のみ。時の将軍は、徳川家森様というらしい。少なくとも僕の記憶上には存在しない将軍の名前だ。

 僕の中で大奥というのは、「将軍様の御成!」として鈴が響いて、美女がズラッと頭を下げる感じだったのだが……現在に至るまで、僕は上様の顔すら見た事が無い。

 というのも、僕が勤める事になった場所は、御半下という――大奥でいう雑用係だったのである。一番下っ端だ。全員がここから開始するわけではない。僕は元々素性が分からないのを、養子縁組で形だけ整えて、そうしてやってきた一人の超下っ端オメガという事で、御半下開始だったのである。寺子屋での評価なんて、奥仕えの際には、考慮されなかったのである。

 僕が想像していたような、上様の通り道の左右で頭を下げる人々というのは、お目見え以上と呼ばれる役を預かっている人々の仕事となるそうだった。御半下開始だと、良くても御三之間という所程度にしか上がれないそうで、つまり一生、上様を見かける機会など無いらしい。ちょっと拍子抜けしてしまった。

 だが、考えてみると、男に選ばれて、その閨に侍るなんて、異性愛者の僕からしたらちょっとキツいから、結果的には現状は幸いなのかもしれない。大奥に入る前、宮坂先生からは、新人いじめがあるから気をつけろと聞いていたのだが、現在までにそれもない。

 周囲は僕を見ると、頬を染めて、優しくしてくれる。キタコレ、さすがチート。

 しかも容姿が劣っていると聞いていたオメガであるが、ここが大奥だからなのか、みんな可愛い。まるで美少女のようなΩが多い。男しかいないから、可愛いΩは、僕にとって目の保養となっている。

 僕もそう背が高い方ではないが、ここには小柄なΩが多い。僕はこれでも170cm代であるが、多くのΩは160cm代だろう。寺子屋に来ていたβ達は、僕と同じくらいから180cmくらいまでだったから、食生活等が理由で小さいわけではなさそうだ。色白のΩが多いのは、大奥からは外に出られないからだろう……。

 ――ここで天下を目指すって、どうしたら良いんだろう?

 僕は首を傾げた。
 勤務開始から既に一週間……僕は、職場で既に、人気の新人になっていた。我ながら照れる。僕の噂を聞きつけて、方々からΩ達が僕を見に来るので、僕は笑顔を返している。Ωしかいない大奥においては、やはりΩ内での鑑賞対象等があるようで、僕が彼らを目の保養とするように、彼らもまたαっぽいΩ等を見て、心を癒しているようだった。将軍様より僕の方がモテたらどうしようかと一瞬思ったが、男にモテてもあんまり嬉しくもないので、僕は複雑な心境になった。

 だが、一ヶ月も悩む頃には、男しかいないんだから、男を愛でても良いような気がしてきた。実際、大奥で働くΩ達は、可愛い。華奢で守ってあげたくなるようなΩが多い。

 そう考えていたある日、仕事を終えたので寝所まで戻ろうとしていた僕は、多くのΩを引き連れて歩いてきた麗人を見て、慌てて床の端により、同僚と共に深々と頭を下げた。明らかに僕達とは異なる上質な衣の――彼もまたΩであるが、その歩いてきた人物は、Ωではあるが、ただのΩでは無かった。大奥総取締の瀧春様だったのである。

 僕は初めて見た時、この人物が上様かと誤解した。

 しかし彼は、Ωである。非常に美しいΩだ。男性的な数少ないΩでもある。長身で肩幅も広いのだが、覗く鎖骨は艶っぽい。まるで絹のような白い肌で、きめ細やかというのか匂い立つような……ちょっとこれは、同性愛嗜好が無くても惹きつけられるのが分からなくは無い色気を放っていた。形の良い黒曜石のような両目、艶やかな黒髪。手足が長い。ある種の芸術作品のようなこの瀧春様という人物は、この大奥の全権を握っているそうだ。

 大奥のΩは、僕が知る女性ものといえるような着物――打掛等を着ているのだが、到底女装には見えない。そもそも煌びやかな着物自体が、瀧春様の美を強調するために存在を許されている程度の添え物に思える。普通のΩが着たら、絶対に着物に負けるだろうに、瀧春様の場合は、そうはならないのだ。

 僕達の前を通り過ぎようとした御一行――が、角を曲がる手前で、瀧春様が足を止めた。

「そこの左から二番目の者、名は何と申す?」

 ――!!
 左から二番目は、僕だ。あれ、けど、瀧春様から見て左だったら僕じゃない。しかし僕の左右からは、僕に視線が集中している。僕は、僕だと思う事にした。

「水季と申します」
「――そうか。明日より呉服之間とする」

 そう言って、瀧春様が歩き始めた。僕は、頭の中で役職順を数え――……目を見開いた。お礼を言ったようだったが、無意識だった。僕は、一足飛びに出世した事に喜んでいたし――しかも、何とそれは、上様の前で朝、頭を下げる事が許された地位だと理解し、何だかこう飛び上がりそうな気分だったのである。

 同僚達が喜んでくれたし、別れを惜しんでもくれた。
 こうしてその日の夜には移動準備を整え、翌朝から、僕は呉服之間の勤務となった。
 お鈴廊下に顔を出すのは、更に翌日と決まった。

 ――もしかしたら。
 チートを駆使したら、案外出世は容易いのかもしれない。
 僕はそう考え、呉服之間の着物を着ながら思案した。

 あの美しい瀧春様に勝てると思っているわけではないが――瀧春様だって永続的に大奥総取締というわけでは無いだろう。この大奥で天下を取る……それが出世を示すのであれば、間違いなくそれは、大奥の総取締の事では無いのか? 僕は、そう考えて決意した。

 僕は、大奥総取締になってやる……!!