【13】僕がもだもだしている間に歴史は動いた……!



 その後、江戸城と、特に被害が甚大だった大奥の後処理をする日々が訪れた。だが、元々、次期将軍がまだαと決定したわけでもなく、かと言って未決定でもないという理由で、募集も先延ばしにされてきていたので、半数を宿返しして、残りのメンバーで、僕の孫が二次性徴を迎えるまで大奥を続ける事となった。特にα達は、黒船との対話のためにも、大奥の外にいた方が良いという理由もあった。それに家音は、御台所の優雅様以外を側室に設けたりもせず、本当に仲睦まじく過ごしているから、問題も無い。既に二人の間には、三人の子供がいる。

 さて――火事の日に劇的な再会を果たした青年、彼はそんな僕の孫の一人である、次期将軍予定の武松の御台所に、自分の甥をと言われていて、江戸城に来て、遅くまで話し込んでいた所だったらしい。火事の後の現在も、その話がまとまるまでは、江戸城に顔を出すのだと言って、毎日やってくる。やってきたからといって大奥にいる僕が会えるわけは――と、思いきや、大奥の僕の部屋は燃えてしまったので、新たに用意された部屋が、丁度、彼が毎朝通る道の真正面だったため、顔を合わせている。

 あんなに幼かった小学校低学年くらいの子供であるが、話を聞いたら、もう二十八歳だと言う。僕から見たらまだまだ若いが……もう立派な大人だ。彼は外様大名の流れを汲む、南の方の藩の藩主だという。まだまだ寂しい独り身なのだと嘆いていた。僕は不思議に思った。

「モテそうなのに」
「――初恋の相手が忘れられないもので」
「初恋?」
「ええ。僕はあの瞬間に、世界には運命の番が存在すると理解しましたからね」

 そう言って彼は笑っていた。南鈴藩という藩の藩主だから、そろそろ後継者を必要としていて、その相手以外と添い遂げる事は考えられないから養子を取ろうと考えていたらしい。が、その人物を、養子にした後、さらに宮家に養子に出して、その上で、僕の一番上の孫の御台所とする案が浮上しているそうだ。困ってしまったらしい。僕には複雑でちょっとよく分からない。

「眞明様は、将軍家との縁戚関係には反対ですか?」

 僕が聞くと、彼が苦笑した。

「そういう訳では。ただ、僕にとって将軍家は、初恋の相手を奪った憎き存在でもありますので」
「え!?」

 そんな話は初耳だったので、僕は驚いた。

「い、今からでも、探し出して、見合いの手はずを整えますか!?」

 誰だろうか。瀧春様でさえなければ、僕の力でも再会くらいはさせてあげられるかもしれない。瀧春様は、ご家族と幸せに暮らしているようだから、引き出しては可哀想だが。

「大丈夫ですよ。もう再会が叶いまして、僕としては、叶わぬ恋とは分かっているんですが、毎日口説いているつもりなんです。思ったよりも鈍いようでして。聡そうな方なのですが――そんな所も愛おしくてならない。気長に待ちます。振り向いて貰える日を」

 僕は苦笑した彼を見て、小さく頷いた。もしかしたら、それもあって、毎日城に彼はやってくるのかもしれない。とすると、この江戸城に、彼の想い人がいるのだろう。僕は内心で、ひっそりと応援する事に決めた。

 だが――段々応援できそうになくなってきた。
 火事場の吊り橋効果だったのかもしれないが、最初から、僕は彼を見ると、胸がトクンとしていたのだが――最近になってそれは、ドクンドクンという動悸に変わったのだ。僕はこれまでの人生で、激しい動悸に襲われた事が、実は一度も無かった。そのため、御典医に見てもらったのだが、体に異常はないという。火事の恐怖が体から抜けていないのだろうかと悩んでいたある日、家音が苦笑しながら僕に教えてくれたのだ。

「父上、それは運命の番と出会った時の、Ωの正常な反応――即ち、恋の病です」
「え」
「――父上も、望んで側室になられたわけでは無かったのでしょう?」

 僕は家森様の事が脳裏をよぎり悲しくなったのに、何故なのか顔からは火が出る程恥ずかしくもあった。そんな、まさか、と、思った。誰になんと言われようと、僕の運命の相手は、家森様だったはずだ……。そう思えば思うほど、いちいち眞明様との会話が楽しく感じて、僕は葛藤した。

 眞明様のお話が面白いのは、異国に近い南鈴藩のお話が目新しいからに違いない。
 必死で自分にそう言い聞かせるのに、気づくと毎朝、彼の来訪を心待ちにしながら、庭を見ている僕がいた……。そんな馬鹿な。年の差だってあるし。第一彼には、好きな相手がいるというのに。

「はぁ……」

 僕は、溜息をつく日が増えた。それは、江戸城の中が落ち着いていっても変わらなくて、寧ろ日増しに溜息も増えた。――完全に、恋煩いをしていた。

 何があったかと言われたら、火事から救い出された事を覗くならば、だいぶ遠い日の蹴鞠の件くらいのものであり、ただただ会話をしているだけなのだが、それが無性に楽しいのだ。話すだけで、心が満たされる。顔を見られるだけで、幸福感が全身を包んでいく。僕は、こんなにも穏やかな気持ちを、これまでの人生で知らなかった。断言して、家森様の事を好きだったと思う。だが、それとは別の部分で、直感的に、眞明様を見ていると、欠けていたパズルのピースがハマるように、自然と何かが満たされるのだ。

 僕の悩み事から黒船の姿は消えた。代わりに、眞明様の事で一色になってしまった。
 そうして気づいてみたら、家音や生松達、孫達――何より南鈴藩等の助力により、時代は動いていた……!! 江戸城は無血開城される事に決まったと、ある日僕は、「あ、今日の夕食は鯖です」と同じようなノリで、家音に報告された。ポカンとした。

「それで、父上、今後ですが」
「う、うん。僕は、どこのお寺で生涯を過ごしたら良い?」

 首を傾げて尋ねると、家音が微笑した。どこか家森様に似ていた。

「――南鈴藩の島津眞明様が、父上の事をお引き受け下さるそうです」
「え……?」
「新しい時代になりますから、婚姻も自由ですよ。良かったですね!」

 僕は目を見開いた。僕の気持ちを家音が知っているのは知っていたが――このような結果は考えていなかったのだ。それに……と、僕は俯いた。

「眞明様は、片想いをしておられるようだから、僕のような年嵩の未亡人――還俗した元将軍側室なんかをお抱えになられるのは……」
「その眞明様たってのご希望です」
「お優しい方だから……」
「けど、無血開城の条件の一つに、水章院様を下さいと、申されまして……」
「え?」
「僕の口からお伝えする事では無いでしょうが、安心して降嫁なさって下さい」

 こうして――僕は、江戸城から南国に送り出される事となった。