【12】僕は基本的に授業中は寝ているかスマホ三昧だった……。



「黒船の要求は、何なの?」

 僕が聞くと、老中達が唸った。

「食料等の補給や、休息……と、通商条約と……その他色々ですが、奴隷貿易等も希望していて……これにはΩを当てるとして、失敬――ええと、昨年には、隣の強大国である中華の国もアヘンで骨抜きにされたとか……」

 僕は、Ω奴隷の件よりも、アヘン戦争と黒船伝来の時間軸のすり合わせを脳内で行う事に必死になった。僕は、世界史の時間も日本史の時間も寝ているかスマホを見ていた。どっちが先だったかなんて知らないのだ。

「こちらに有利な条件を提示して、開国するわけには行かないの?」

 必死に考えながら僕は言った。もし未来が僕の知るものに近づくならば、どのみち未来は開国だ……!

「有利な条件って、例えば何ですか?」

 家音に聞かれた。僕は言葉に詰まった。笑顔のまま固まるしかない。僕にも分からないからだ……。結局、その日の会議では、良い意見は何一つ出なかった。それは、以降の会議でも同じである。

 気づいた頃には、鎖国派と開国派に分かれていたし、お城の外には、怒涛の勢いで尊皇攘夷思想が広まっているようだった。僕は、江戸城無血開城って、誰がどうやって成したんだったかと、必死に思い出そうと試みている。しかしチートを貰ってはいるが、僕の元の頭が良くなっているわけでは無いので、微塵も思い出せない。

 そんな中、幸いだった事もある。
 無事に家音に発情期が訪れ、それは御台所の今回に限りαである優雅様の前で、二人は結ばれ、無事に第一子――将軍後継の御子が生まれたのである。まだαかどうかは分からないが、ひと段落と言えた。それを祝福した生松は、自分は最も異国からの驚異が強い藩の養子になると言って、江戸城を出ていった。将軍御三家等は、この江戸風異世界には存在していない。大体力あるどこかの藩に、将軍の第二子からは養子に行くようだ。

 この、現代知識と違う部分、特に藩の名前が困る。外様かどうかを確認するには、御右筆の誰かにお願いするしかないくらい、僕には覚えられない。聞いた事のある藩がゼロなのだ。強いて言うなら、徳川のみ、僕は聞いた事がある名前だった。確か、史実では、薩摩藩とかが頑張ったと思うのだが、どこがそれに該当するのか分からない。日本地図もまだ無い……。日本地図も、もしかしたら、そろそろ作成されるのだろうか……?

 僕ももう、三十代後半である。心穏やかな老後を夢見始めている……。

「まだまだお美しいですね」

 と、頻繁に僕は言われるが、嬉しくない。
 美しくても意味が無い。転生トリップ直後であれば、この意味は、周囲に女の人がいないからであったし、現在であれば悪名を高める結果にしか繋がらないからである。最近の僕は、大奥で取っ替え引っ替えαを漁っていると噂されているようだ……。これは良い案が浮かばない幕閣達の憂さ晴らしらしい。元々の世界の人生が幸運だったわけではないが、今回もプラスマイナスで見たら、決して幸運度が強いとは言えない気がする……。

 ――江戸城が燃えたのは、そんなある日の事だった。

 眠っていた僕は、突然の火の気に驚愕した。え?
 とっくに部屋の人々は逃げていた。彼らは僕によく尽くしてくれるのだが、自分の命にはもっと素直だったらしい。僕は迫り来る炎を見ながら、両腕で体を抱いた。火は勿論暑いのだが、体には寒気が這い上がってきていた。煙が四方から襲いかかってくる。しゃがみこんだのは、体勢を低くして煙を吸わないための意図ではなくて、単純に怖くて立っていられなくなったからだ……。火事だ、嘘……。

「水章院様!!」

 その時、誰かが煙の向こうから飛び込んできた。驚いて顔を上げた僕を、一瞥してから見知らぬ青年が、抱き上げた。

「ご無事で良かった……!!」

 そう口にしながら、余計な動作は一切せず、青年が走り出した。慌てて僕は、彼の首に掴まった。誰だろう? 記憶にはない、初めて見る青年である。だが、僕は将軍の聖父であるし、有名人といえるから、この江戸城で知らない人はいないだろう。彼が僕を知っていても不思議はないのだ。そして僕が彼を知らない事もまた、特別不思議な事では無い。

 長身の青年は、体つきからして、αだろうなぁという感じだった。逞しいし、筋肉の付き方がΩとは異なる。αとΩでは、馬と鹿くらい違う。僕イメージで、だと。横長であるが若干垂れ目の青年は、その眼差しに鋭い光を宿している。

 そのまま避難者集団のいる庭まで、僕は連れて行って貰った。
 そこで、僕を座らせた青年が微笑んだ。

「ご無事で、本当に良かった」
「あ、有難うございます……」
「――実は、過去にも一度お会いした事があり、ずっとその時のお礼をお伝えしたかったんです」
「え?」
「蹴鞠を拾って頂いた事があって」
「!」

 僕はその言葉に息を飲んだ。トリップ初日の事が、頭をよぎった。確かに、あの時、目の前に蹴鞠が転がってきた気がする。

「あの男の子? 柳の所にいた、ほら、付き人の所に走っていった――」

 上手く表現できなかった。しかし、伝わったようだった。

「!! 覚えていて下さったのですか!?」

 満面の笑みになった青年を見ていたら、僕の胸の奥が、トクンと温かくなった。
 こんな気分は久方ぶりである。