02


 短く息を飲む。

「いつも見ている」

 ……!
 僕の部屋を視聴している人は、本当にいたのか。
 それも三澄ほどの有名人とは……。呆気にとられるというのは、こういうことを言うのだと思う。

「それとも部屋に連れ込んでいないだけで、想い人がいるか?」
「ええと……どういう意味ですか?」
「お前ほど綺麗ならば、すでにお前を囲い込んでいる男の一人や二人いるだろうと思ってな」

 僕が、綺麗? 囲い込んでいる男? 言われている言葉の意味が全くわからない。
 ただ、学内でも有名人であり、近寄ることさえ畏れ多いとされている三澄が、どうやら僕の部屋を視聴しているらしいということだけはわかった。何が面白くて僕の部屋を視聴しているのかはさっぱり分からなかったけど。

「もしいないのであれば、付き合ってほしい。食事くらい、良いだろう?」
「その……手持ちが無くて」
「『宮』が手持ちを気にする? 新しいな、お前は。全てはこちらで支払う。何も気にするな」

 三澄はそう言うと、エレベーターのボタンを押した。
 首をかしげつつ、僕は慌てて彼の隣に並んだ。

「三澄さん」
「俺のことを知っているのか? 嬉しいな」
「有名人ですし」
「お前ほどじゃない」

 繰り返すが、僕は自分が有名になった覚えなど全くない。
 だから不思議な心地だったが、それよりもまずはわからないことを聞くことにした。

「あの、『宮』ってなんですか?」
「奨学生にそれぞれあてがわれる通称だ。お前だったら、『泉水の宮』だ」

 へぇそんなものがあったのかと思っていると、エレベーターの扉が開いた。

「宮は皆、様々なものの寵愛を受ける」
「寵愛?」
「――本当に何も知らないのか? 噂通り」

 噂とはなんだろうか。
 ただ、僕が何も知らないのは本当だった。
 構内において、僕には友達が一人もいない。

 富裕層は基本的に、奨学生とは接触しないらしく、こちらも一歩退いてしまう。
 そして何故なのか、奨学生同士は、皆仲が良くないようなのだ。
 それ以前に僕は構内で嫌われているのかもしれない。
 皆、僕の姿を目にすると、凍りついたようになり、その場が静まり返るのだ。

「俺でよければ教えてやるぞ」
「あの、是非お願いします」
「そう言うことならば、お前の部屋にあげてもらえるか?」
「全然いいですよ。そんなに綺麗じゃないけど」

 こうして僕らは、僕の部屋へと向かうことになったのだった。

 それから僕らは並んで歩いた。
 正確には、僕の方が歩くのが遅かったので、懸命に歩いた。

 三澄はなにを言うでもなかったが、何度かチラリと僕を見る。その度に僕は、心臓が掴まれたような気持ちになったものである。黒い眼光が強すぎると思うのだ。

 僕から何か話しかけた方がいいかとも思ったが、話題が思いつかない。

 そうこうしている内に、バス乗り場とは逆の、大学の正門へと着いた。
 長い階段の下には、当然のように高級車が止まっていて、三澄の秘書らしき人物が、後部座席のドアを開けた。

「乗れ」
「はい……ええと、僕の家に行くんですよね? 場所は――」
「知っている」

 その言葉に、僕は何度か瞬いた。学生寮はいくつかあるからだ。監視カメラの映像には、住所も出ているのだろうか?

「調べさせたことがあるんだ」
「え?」
「ファンだと言っただろう。お前を出待ちしたこともある……話しかける勇気は、その時は出なかったけどな」
「……」

 本当に意外すぎて言葉が出ない。僕は三澄を改めてみた。
 逆ならばまだ分かるだろう。僕は別に三澄の取り巻きになりたいわけではないが、三澄と仲良くなったら就職に困らないという評判を聞いたことがある。それにしても嫌気がさすほど端正な顔立ちをしている。

「退いたか?」
「え、いや、あの」

 正直、反応に困った。僕は、アイドルではないし、出待ちと聞いてもパッとこない。音楽だってもっぱら聞くの専門だから、出待ちをした経験もない。

「お前はいい匂いがするな」
「はぁ……」

 匂い……? 僕の安物のシャンプーの香りだろうか? いや、さっき体を拭いた制汗剤かもしれない。匂いなんてそれこそ三澄の方がいい香りがする。高級そうな香水の匂いがするのだ。三澄によく似合っている。

「髪も間近で見ると、本当に柔らかそうだ」
「……」

 三澄は……ちょっとおかしい。先ほどからなにを言っているんだろう。
 僕が言葉に詰まっている内に、寮へと着いた。