03
二人で車を降りて(秘書の人がドアを開けてくれた)、寮の階段を上る。ここは3階建てである。カード型のキーを探していると、三澄が呟いた。
「一年の学生寮は、人気を博しそうな順に上の階なんだ。危険だからな」
だからその『人気』とは、なんなのか。
僕はわからないまま扉を開けて、三澄に振り返る。
「どうぞ」
「ここが……緊張するな」
三澄でも緊張することがあるのかと、少々意外だった。スリッパはないが、畳の部屋なので問題はないだろう。僕は遮光カーテンを開けてから、何か飲み物はあったかなと思案した。残念ながら、水しか思いつかない。
「ミネラルウォーターしかないですが」
「なにも構うな」
お言葉に甘えるしかない。そこで、コタツを挟んで向かいに座りながら、僕は尋ねてみることにした。
「その、『人気』って、どうやると出るんですか?」
それが分かれば、僕も奨学金を上乗せしてもらえるかもしれない。
そうしたら、新しい携帯を買いたい。
すると三澄は監視カメラを見上げてから、すぐに僕へと視線を戻した。
「抱かれる者が多い」
「――え?」
「寵愛を受けた相手に、抱かれるんだ」
僕は、首をかしげつつ、瞬きをした。
抱かれる? 抱く、とは、なんだろう?
僕は文学を専攻しているので、パッと出てきたのは性交渉だ。女性が男性に抱かれる、なんていう表現だ。しかしこの構内には、男子学生しかいないのだから、そんなはずはない。じゃあどういう意味なんだろう? そもそも寵愛とは?
「寵愛っていうのは何ですか?」
「愛人になるということだ。大概の者は、構内に複数の愛人を持つ」
三澄の言うことは、いよいよおかしい。これは倫理的にもおかしいだろう。
「あの……僕には、男の恋人をたくさん作って、そ、その、SEXするって聞こえるんですけど……」
ははは、と空笑いしながら僕は言ってみた。すると初めから変わらない無機質な表情で、三澄は頷いた。
「そうだ」
「はい?」
「その通りだ」
開いた口がふさがらないというのは、こういう事を言うのだろう。
三澄は、僕の事をからかっているのだろうか?
「勿論、お前のように、清楚で純粋で近寄りがたくて、見ているだけで幸せになれる宮もいるけどな」
???
いよいよ混乱した。僕が清楚? 純粋? 近寄りがたい?
近寄りがたいというのは分かる。カップラーメンをゴミ箱に放り投げる学生に、富裕層はあまり近寄らないだろう。しかも純粋……『抱く』で、すぐに『SEX』を連想するのだから違うと思う。清楚にあてはまないだろう。そもそも一番違うと思うのは、『見ているだけで幸せになれる』だ。何故?
「だが俺は、お前が欲しい」
「へ?」
「部屋に入れてくれたという事は、期待していいんだろうな?」
「な、何をですか」
「俺の寵愛を受けてくれ」
「や、だ、だからその……意味がよく……」
「俺の、俺だけの愛人になれと言っている」
僕は双眸を伏せた。唇には引きつった笑みが浮かぶ。
「ひどい事はしない。他の人間のような事はしないと誓う」
「ひどい事?」
「別にお前をSM調教して快楽堕ちさせる姿をカメラに映して喜んだりはしない」
「な」
「俺にはそういう自己顕示欲はない。できればお前の心が欲しいんだ」
「いや、え?」
「ガードの堅い泉水の宮の部屋に初めて招かれてカメラに映る事ができた栄誉だけで、今はまだ満足だ」
三澄の表情が初めて変わった。笑みをかみしめているような顔だ。
何故なのか幸せそうである。しかし僕には事態が全然わからない。
「俺は、泉水晴佳、お前が好きだ。お前をカメラで見るひと時が、至福の時なんだ」
コタツの上に両肘をつき、僕は掌で顔を覆った。まさかこんな事になるとは思ってもいなかった。そもそも、そもそもだ。
「あの……男同士ですよね? 色々と今のお話、おかしいんじゃ……」
「色気あるその腰を、着替えのたびに見るひと時、俺がどんなに眼福を感じる事か」
「そ、それは特殊なご趣味ですね……」
「風呂上がりの上気した頬や体を見た時の胸の高鳴りといったらない」
「……そうですか……」
「ところで何故敬語なんだ?」
はじめは三澄を畏怖していたからだが、今は違う意味で怖いからだ。
「良かったら、もっと気安く話してくれ。直衛と、呼んでくれたら俺は泣いて喜ぶ」
僕も泣きそうだ。勿論別の意味で。指の間から三澄を窺うと、鋭い眼光が『呼べ』と語っていた。
「直衛さん……」
「さん、は、いらない。俺たちは同じ歳なんだからな」
「直衛……くん?」
「呼び捨てを希望する」
心底お断りしたい。しかし、強い眼光でじっと見据えられて、僕は折れた。
「直衛……じゃ、じゃあ僕の事も、晴佳で」
「良いのか。ああ、声をかけて本当に良かった」
直衛は唇を片手で覆った。骨ばった端正で大きな手が、彼の口元を隠している。
僕はまだ色々とこれから聞かなければならない気がしたが、とりあえず、あんまりにも直衛が幸せそうだったので、しばし見守る事にした。言葉を失ったとも言う。