6:西洋世界観と和風ファンタジー




織田幸輔は、溜息をついていた。
クラスメイトの前では、いつもと変わらず何も言わない高杉葵を見る。
学級委員長、リア充である。
しかしながら、その点もそうだし、中二病罹患中だと知られていることも手伝い、幸輔は葵と二人になるのが大変怖かった。もっとも二人きりになる機会などそうそう無いので、特に問題はない。が、出来ることならば、幸輔は、絶対に黙秘してくれるよう葵に頼みたいと考えていたのだ。
葵はと言うと、今日も親友らしい長野治樹と、楽しそうに話している。
なんだか今日の長野は、眼鏡をしていない上、髪型も弄っていて、最初は誰だか分からなかった。昨日まで縛っていた髪を、上手いこと後ろから流していて、ヘアカタログ特集に載っていそうな頭になっている。カノジョでも出来たのだろうか。やはりリア充の周りにはリア充が集まるのだろう(そして幸輔の周囲には、誰も寄ってこない)。
――長野か……委員長を誘うとすれば、最大の敵は、長野だ。
ひっそりと溜息をつきながら、幸輔は考える。
言動を見る限り、長野は幸輔の同類に見える。
それもオープンな中二病を患っている様子だ。だからこそ、葵も幸輔に偏見がなかったのかも知れない、と、内心で考える。実際幸輔も、長野と話しがしてみたいと思うことは度々あった。しかしながら、浮かんでくるのは葛藤だ。
――長野は、和風ファンタジー信者なんだよなぁ、多分。きっと錫杖振りかざして護符とかで相手(鬼や妖魔)を(脳内)でなぎ倒しているはずだ。間違いない。
無論それは、あくまでも幸輔による感想(決めつけ)である。
しかし堕天使の末裔であり、機械神につけねらわれている(脳内)世界に浸っている幸輔とすれば、世界観が乖離しすぎていて、話を合わせる自信がない。
話を合わせる必要がないことに、幸輔は気がついていなかった。
幸輔だって、和風ファンタジーも嫌いではない。陰陽師とか、萌えて萌えて仕方がない。

「なんか織田、いつにもまして怖くないか?」

クラスメイトの誰かの声に、葵は顔を上げた。
「明らかにこっち見てるよな」
「委員長、何かした?」
「昨日、喫煙止めて、目つけられちゃったとか?」
ざわざわと周囲から声をかけられたが、葵は苦笑した。
それから思い出して吹き出しそうになるのをこらえるために躍起になる。
――きっと今日も織田は、何かと戦っているのだろう。
そう考えると、穏やかな気分になった。もしかすると≪追跡者チェイサー≫とやらから、自分を守るために奮闘しているのかも知れないと、まで考えて、葵は震えそうになった。
「大丈夫だよ。織田、良い奴だから」
葵がそう言うと、隣の席で、ガタっと椅子の音を響かせ長野が立ち上がった。
「いつの間に呼び捨てする仲になったわけだ?」
「え? いやだって、クラスメイトだし。どうしたんだよ、治樹」
なんだか顔が怖い治樹の姿に、葵は首を傾げた。
「葵……」
名前を囁かれ、葵は困惑した。
治樹は、もしかすると何かあったのかも知れない。
今日は驚くほど、イメチェンして登校してきた。転校生かと勘違いしそうになったほどである。これまでは髪型と眼鏡のせいでいまいちじっくり顔を見ることがなかったが、改めて確認するとえらく男前だった。
「……治樹?」
周囲も静かになっている。興味津々だと言った視線が飛んでくる。
「……大切な話しがあるから、帰り一緒に……」
いつも聞いているような台詞だというのに、治樹は何故なのか真剣さと苦しさを滲ませてそんなことを言った。やはり、何かあったのだろうか? 葵は混乱した。大切な話しとは一体何だろう。イメチェンに繋がる大切な話し……これで髪でも切ってきたのだったら、失恋したのかと想像することも出来るが……いや、今のご時世、失恋して髪を切るって事も無いか?
そこまで考えて、葵はハッとした。
「ま、まさか、治樹……」

言葉を失った様子の葵の姿に、長野治樹は唇を噛んだ。
外見に性格に努力してイケメンになって、何とか葵に告白しようと思っていた矢先の、『織田は良い奴発言』に、正直彼はイラッとしていたのである。
どころか、眼鏡を取ってきたところで、特に葵に外見変化について触れられることはなかった。触れてきた人々なんて、朝玄関で、キャーキャー格好いい、などと口走っていた見知らぬ人々(おそらく親衛隊)だけである。しかしその声援には、それなりに元気を貰った。だから、葵にもいつか格好いいと言って貰いたいと、それだけを考えていた。
なのに、だ。
――やっぱり、葵は、織田のことが気になっているのか?
治樹は、胸が鈍く痛むのを自覚したが、どうしようも出来なかった。
その上葵は、現在困ったようにこちらを見上げている。
――告白されそうになっているのに気づいて、退いてるのかな……。
治樹は、焦って告白しそうになっている自分の、浅はかな言動に苦悩した。

「もしかして治樹も、≪追跡者チェイサー≫から俺のことを守ろうと……?」

ガタガタガタ!! と音を立てて、幸輔は立ち上がった。
遠くから、聞こえてはならないはずの葵の声が、はっきりとマスキングされて単語だけ響いてきたからだった。
動揺で体が震え、声が喉に張り付く。
机が倒れ、椅子も倒れた。
クラス中の視線が、幸輔に向かう。
羞恥で真っ赤になりそうだった(そして実際朱くなっていた)。
「おい……」
頼むからそれ以上言わないでやってあげて下さい本当お願いします、という言葉が、緊張のあまり続けられず、幸輔は視線で訴えようと葵を見た。

葵からしてみれば、一体何事だろうかという感じだった。

てっきり、日常的に言動がおかしい治樹もまた、中二病を患っているのだと葵は思ったのだ。その上記憶が確かならば、幸輔と治樹は、小さい頃からこの学園に通っているという話しだったので、てっきりメールなどで≪追跡者チェイサー≫ネタについて二人が話し合ったのではないかと判断したのである。

そんな事実は全くないので、動揺したまま幸輔は、葵の元へと歩み寄った。
「ちょっと来い」
「え、ああ、うん」
なにか大変恐ろしい剣幕の幸輔の姿に、反射的に頷いて葵は立ち上がった。

「待てよ」

しかし、治樹が葵の手を取り、一歩前へと出た。

「今は俺と話してるんだよ」
「……知るか」

治樹の声はいつもの明るさなど欠片もなく大変冷たく怖いモノだったが、羞恥で一杯の幸輔には、それどころではなかった。後でどうなろうとも、今、彼は、何とかして葵の口を閉ざさなければならないと考えていたのである。普段ならば、クラスメイト(の一人である治樹)相手にそんな台詞を吐けないほど小心者の幸輔だったが、本当にその時はせっぱ詰まっていたのだ。
「丁度昼休みになったところだし、三人でお昼ご飯食べる?」
状況がよく分からない葵の言葉に、二人の視線が揃って向かった。
こうして三人は、教室を出て行った。

その光景を見守っていたクラスメイト達は、扉が閉まった後ざわめいた。

「うわぁうわぁうわぁ――……! 長野が委員長のこと好きだって言うのは、丸わかりだったけど、まさか織田もッ」
「委員長やり手だな」
「それに見たかよ、あの織田。すごいなアイツも。長野が告りそうな気配察知して止めたぞ、止めたよな!? 顔真っ赤だったし、相当あれは、委員長に惚れてるよな!」
「見た見た見た。長野も凄いよな。あの織田を相手に、堂々と委員長のこと引き留めてさ。殴られたらどうするつもりだったんだろ」
クラスメイト達の視線には、じれったい三角関係が繰り広げられているように移っていたようだ。
――織田と長野が委員長を取り合っている。
「だけど一番凄いのは、委員長だよな。あの二人を、揃って昼食に誘うなんて。ある意味修羅場!」
「気づいてないんだろうな、愛されちゃってることに」
「どっちと付き合うんだろう、どっちも見たいわ」
このようにして、昼食を各々が取り始めた。


購買でパンを購入し、三人は屋上へとやってきた。
「それで、織田はどうしたの? 治樹の大切な話しって言うのも気になるけど」
葵の言葉に、袋を破りながら、治樹は俯いた。

――守ろうと、と言う言葉だけを、治樹は覚えていた。

もしかして葵は、自分の知らないところで、何か危ない目に遭っているのだろうか。そう考えれば、危険の渦中に常にいそうな織田と知り合ったというのも、不思議ではない。その上、『治樹も』ということは、少なくとも織田は、葵を守っているのだと、治樹は考えた。腕に自信など全くない治樹は、そういう事情ならば、葵のために出来ることなど警察へ連れて行くことだけである。

「言わないでくれ!」

幸輔の声で、治樹は我に返った。
『危ない』事柄について、言うなと幸輔は口にしているのではないのかと、治樹は思案した。反射的に先ほどは声を上げてしまったが、この状況では、何を話せば良いのか分からない。

「あれ、チェ――」
「だから言うな!」
「ごめん」

何だ、二人で話し合った訳じゃなかったのかと、葵は理解して吹き出しそうになった。
――そりゃ教室で暴露されかかったら、織田も焦るよな。

「悪気はなかったんだよ、本当ごめん」

にこやかに葵がそう言うと、疲れたように脱力した幸輔は、フェンスに背を預けた。
二人のそんな様子を見て、治樹は首を捻る。
雰囲気的に、葵が被害に遭っているという様子では無かったからだ。
安心してイチゴ牛乳にストローを指し、それを飲む。
「あれ、じゃあ、治樹の話って何なの?」
治樹は盛大に咽せた。
「もしかして……」
葵の顔が真面目そうになる。

――今度こそ、今度こそ好きバレしたか?

緊張で、嫌に鼓動が耳に付いた。治樹が慌てて幸輔を一瞥すると、いまだに幸輔は放心した様子で、空を見上げている。人前でフられるというのは、結構恥ずかしい。

「……治樹は、破戒僧で忍者だって言う話し?」
「は?」

続いた葵の声に、ポカンと治樹は口を開けた。
想定していない単語が出てきたからだ。
「安心しろ、長野……委員長なら、『安倍晴明の末裔であり、十二神将を従えた、現土御門家分家が祖先なんだとしても。仮に、神道から神仏分離令により僧侶になった祖先がいて寺の血も引きつつ、それにも嫌気がさして家を飛び出し破戒僧になてしまったんだとしても。だから今、平凡な一学生のふりをしながら日夜妖魔を退治しているんだろうが……。分かるぞ。母方の血筋は忍者で、実は母が抜け忍だったため日々、そちらからは命を狙われている、そんな優秀すぎる≪掃除屋イレイサー≫』のお前だって、受け入れてくれる」
「……な、何だって?」
「あ、治樹はそう言う設定なの? ≪掃除屋イレイサー≫』だったんだ」
呆然としている治樹の前で、葵が笑い出した。
幸輔は未だ空を見上げている。
たった一人、現状を理解できないのは、治樹だった。
「設定? ……いや、それより、織田? お前、どうしたんだ?」
「へ?」
治樹の言葉で、幸輔は顔を二人へと戻した。
「俺だって和風ファンタジーの知識が無いわけじゃねぇよ。読むときは雑食だ」
「……ほぅ」
当然のように呟く幸輔の前で、治樹は引きつった笑みを浮かべた。

「あ、織田は、堕天使の末裔でアルビノ設定だから銀髪紅目にしてるんだし、治樹のイメチェンは、破戒僧で抜け忍っていう設定により近づくためとか?」

ありえるなと葵は一人頷いた。

治樹は、『織田が、堕天使の末裔でアルビノ設定だから銀髪紅目』という言葉に、自分の耳を疑った。やはり事態に理解が追いつかない。
「暴露すんな!!」
幸輔が、反射的に空になった牛乳パックを、葵の頭に投げつけた。
兄弟喧嘩で培った反射神経を生かし、葵がそれを避ける。
「織田だって治樹の設定暴露ったんだから、いいんじゃん別に。あーあ。俺も何か設定作ろうかなぁ」
「止めた方が良い、戻れなくなるぞ委員長……というか、俺の考えた和風ファンタジーは何処まで長野の妄想と合致してたんだ?」
「はっきり言って、俺はそんな妄想したこと無いぞ」
にこやかに治樹が言うと、幸輔と葵がそれぞれ硬直した。
その様子に、言葉を失いながらも、治樹は、ふと気がついた。
いやしかし、完全に否定してしまえば、『大切な話しとは何なのか』と、葵に聞かれることになる。

それはまずい。

「――俺の妄想は……」
治樹は、吹っ切ることにした、羞恥心を。
「……前世が抜け忍で、その前が、破戒僧だったっていう流れなんだよ。ああ、そうなんだよ、聞いて欲しい。抜け忍というか、俺はお庭番だった、徳川幕府のな! その昔、吉宗公に仕えていた。破戒僧だったのは……そ、そうだ、まだ戦国時代の頃だな、懐かしい。御仏に仕える日々も、悪くはなかったが、世情に嫌気がさして破戒僧になったんだよ。そして現在に至る。輪廻転生有り! これが、俺の、妄想だ! イメチェンしたのはその……抜け忍の時にかかっていた追っ手連中が転生した相手との戦闘が無事に終わり、もう姿を偽る必要が無くなったからなんだよ。勿論全部空想の設定だけどな! 言わせんな、恥ずかしい! 大切な話しって言うのは、妄想が原因でイメチェンするなんてやり過ぎだろうか、って相談したかったんだよ!」
語り終え、何やってんだろ俺、と思いながら治樹は俯いた。
少し間をおき、拍手が聞こえてきた。
顔を上げると、幸輔が拍手していた。
「現実の歴史ネタを上手く盛り込んでて良いと思うぞ。それに、外見を変えることだって決して悪い事じゃない! 安心しろ、俺がいる! だけどな、この話題は、此処だけの話しだからな。絶対に教室で言うなよ。委員長も良いな?」
真剣な幸輔の顔と言葉に、見守っていた葵が頷く。
「了解。あ、俺次の数学の資料取りに職員室こいって言われてるから、先に行くわ」
葵はそう言って立ち上がった。

パタン。

非常階段の扉が閉まるのを眺めながら、幸輔は腕を組んだ。
――理解した。
それから改めて、治樹をじっと見る。
「長野さ……妄想、本当はしてないんだろ?」
「っ」
その幸助の言葉に、治樹は体を強ばらせる。
「長野が妄想してないって事を俺は黙っておくから、お前も俺が妄想してるって事は黙っていてくれ」
「……おぅ。え、織田……さっきの、『堕天使の末裔でアルビノ――』」
「さーせん、さーせん、本当恥ずかしいんで絶対に口外しないでやって下さい!」
反射的に幸輔は土下座していた。
真っ赤になって泣きそうになっているその姿を見て、治樹は、笑いをこらえるために努力した。
「分かった。言わない。約束する」
治樹はそう言うと、幸輔の隣にしゃがむ。
幸輔も大勢を直し、再びフェンスに背を預けた。
「悪かったな、何か……」
治樹が呟くと、幸輔が自嘲気味の笑みを浮かべて首を振る。

「いや、いいんだ。俺の方こそ、折角良い雰囲気だったのにぶちこわして悪かったな」

「――へ?」
「教室で。委員長に言おうとしてたんだろ?」
「!」
「だけどな、あそこで≪追跡者チェイサー≫なんて単語を、委員長に暴露させるわけには、いかなかった俺の気持ちも分かってくれ。大変、申し訳なかったと思ってるけど」
幸輔は、普段教室で見せるような、気怠そうな顔で真っ直ぐ正面を見ている。
「俺が葵に、何を言おうとしてたって……?」
「ん、ああ? 告白とか?」
興味がなかった幸輔がさらりと言うと、治樹は動揺した。

――バレている。

それに幸輔が中二病を患っているらしいことは、治樹にも分かったが、幸輔が葵のことをどう思っているのかについては全く分からない。ライバルなのか、否か。そもそも問題は、葵の気持ちだ。治樹は悶えた。
一方の幸輔は、落胆していた。

――折角同士が見つかったかと思っていたのだが、まさかこんな展開になるとは。

なにせ妄想歴が違う。
妄想癖の強さも違う。
そのため、幸輔には、治樹が同士ではないと言うことがすぐに分かった。
しかも口走りながらその場で設定を考えている姿がありありと伺えたし、その顔には、馬鹿にするような羞恥があったし、全く酷いし――ただそれでも、幸助は何とはなしに、治樹は治樹で必死なのだろうと考えていた。それでも何とか無事に、委員長の口から教室で暴露されることは阻止できたが、結局、結果だけ見れば、治樹という更にもう一人のクラスメイトにも中二病のことがバレてしまった。幸輔は、いたたまれない気持ちだった。
「……織田って、好きな奴いるの?」
淡々と治樹がきいた。
「ん、嫁ならいるよ」
――二次元にな!
幸助は内心だけで、そう続けたのだった。

治樹には幸輔のことがよく分からなかった。
しかし、嫁という言葉が、葵を指しているわけではないように思えた。

二人で教室へと戻ると、クラスメイト達からは、聞きたいけど聞けない、と言うような空気がまとわりついた視線が飛んできた。
鬱陶しいなと思いながら幸輔が目を細めると、全員が顔を背けた。
――やっぱりバレているんだったりして。
「ダリィ……」
ごまかすように呟きつつ、半ば怖くなりながら、幸輔は席に着く。
一方の治樹は、これから事態はどう転ぶのだろうか、そしてどのように葵に接するようにすればいいのだろうかと思案していた。

結局その日は、三人で帰ったのだった。