10:ギャラクシー・バイオレンス!!
織田幸輔は、初めてのアルバイト面接という事で、大変緊張していた。
顔にこそ出ず(無表情)だったが、気を抜くと指先がガクガクと震えそうになる。
「楽しみだね、幸輔」
ミドガルズオルム社のエレベーターの前で立ち止まった幸輔の隣には、葵が立っている。二人とも学校帰りだ。帰り際には、治樹も一緒に行くとてっきり言うかと思ったが――……「……ああ、うん」とだけ告げて、彼は帰っていった(なにせ、求人情報が見えなかった物だから、いまだに彼はからかわれていると思っているのだ)。
――まぁ、治樹はイタリアンレストランでホールのバイトをしていると言っていた品、掛け持ちはきついか。
そんな風に幸輔は納得していた。
葵はと言えば、まず一番強い想いは、兄の職場を見てみたいと言うことだった。
無論、少しでも家系の支えになればと思ってはいる。
流石に学校帰りに遊びに行くお金くらいは自分で払いたいと、葵もまた思っていたのだ。そこまで薫に頼るのは気がひけた。兄弟なのだから縁領しなくて良いと言って、薫はちょくちょく生活費の他に、お金をくれるが、それが大層無理をしている結果だと葵は気がついていた。だから、小遣いの大半は、カレールーの買い足しに消えている。最近では、グリーンカレーにはまって、カレーペーストを買ってきたり、タケノコの水煮を買ってきたりという用途で消えても行く。なんだかんだといって、カレーばかりを作っている葵だが、よくよく見てみれば、単純に深まるタイプであるだけで、全く料理が出来ないわけでもレシピが増えないわけでもないのだ。こと、カレーに限って言えば、インドカレー・タイカレー・シーフードカレー・ドライカレー・カレーピラフなどなど、そこそこメニューも増えている(何故その情熱が、他のレシピへと向かわないのだろう。薫の希望としては浅く広く色々作って欲しいのだった)。
「……面接って、落ちるんだよな?」
これまで幼稚舎時代から持ち上がりで進学してきた幸輔は、不安に駆られていた。
「そりゃ、そう言うこともあると思うけど」
別に落ちてもいいやくらいに考えている葵は、笑みを浮かべたまま首を傾げた。
「……」
幸輔は落ちることも不安だったが、必死で纏めブログを身あさった結果、初日でバッくれる結果になったらどうしようかと困惑していた。勿論、無言で止めるなんて小心者だから出来ないので、バックレとはいえ、なにがしかの理由をつけて止めるとは思う。
その後エレベーターに乗り込み、二人は、指定された六階へと向かった。
「ようこそお越しくださいました!」
出迎えてくれたのは、人の良さそうなハーフっぽい顔立ちの社員――ルカスだった。
今日は女性社員の姿はない。
――実のところあの女性社員は、男性求職者を釣るため、また、それなりの規模の会社だと見せかけるために、ルカスが正社員採用面接時のみに雇っている人材派遣会社からの派遣なのである。今回は高校生相手のバイトなので、ルカスはその費用をケチったのだ。
「はじめまして。人事担当の佐藤瑠架です。あ、座って」
エントランス脇の異質へと二人を通し、ルカスが笑った。
――へぇ、浅木君と高杉君の血縁者か。この世界でも、魔力って遺伝するんだ。
ルカスは内心そんなことを考えながら、用意しておいたミネラルウォーターの小さなペットボトルを二人の前に差し出す。ルカスがこの世界に来て一番驚いたのは、水道から魔術も無しに正常な水が出てくることと、それにも関わらず店舗に更に美味しい水が売っていることだった。ティターニア大陸では、(地球の江戸時代のように)下水道こそ整備されているが、飲料水は井戸から汲むか、わき水を手に入れるかというのが基本だったからだ。
「履歴書見せて」
ルカスがそう告げて手を差し出すと、幸輔と葵が、慌てたように鞄から紙を取り出す。
二枚の厚手の紙を受け取ったルカスは、じっくりと読み込むふりをしながら、思案する。
これまでにも、転職サイト・就職サイトの他に、勿論アルバイト求人サイトにも、広告は出していたのだ。しかしながら、高校生から――織田幸輔からバイトが来たのは、こちらの世界で会社を設立して以来、初めてである。魔術で身辺調査をし、なるほど浅木の血縁者ならば、求人情報が見えるくらい魔力が強くても当然かと納得したものだ。高校生だったから、学校終わりの時間を見計らって電話をかけようとして、魔術で居場所をサーチしていたところ、偶然にも高杉の弟の存在も見つけられたことで、ルカスは自分の仕事に満足していた。単に、あの求人サイトを利用する高校生が少ないだけで、この年代にも、魔力を持つ者が居るのだと分かっただけでも収穫だった。就職難などの背景が影響していたのかも知れないが、地球において魔力を持つ者は、二十五歳以上が圧倒的に多かったのだ。若くして死の危険にさらすことは可哀想だと思わなくもないが、士は若くない物に取っ手だって等しく残酷な現実だとルカスは思う。だからこそ、死なない実力を養うためにも、ティターニア大陸の魔術師よりも明らかに、魔力を持つ者の数は少ないとはいえ、持っている者は多大なる力量を誇る地球の人間を、早い内から育成したいという思いが前々からあったのである。そもそも若い方が、魔術の元となる想像力は豊なのだから。
「二人とも希望日と時間は、月・水・金・土で十七時からラストまで、かぁ。助かるよ。基本シフト固定制だけど、学校の都合で休まなきゃならない時とかは、いつでも言ってね。後は、他の曜日――特に土日祝日みたいに、日中こられる時にバイト入れられるときは教えて。土日祝は、自給1350円だから」
にこやかにルカスが言うと、二人が、安堵するように息を吐いた。
「次の予定曜日から、来てもらえると助かるよ。特に事前準備もないし、ここは遅刻も緩いから、学校が長引いたら、先に連絡してくれればそれでOKだし」
その言葉に、バイトの面接に受かったのだろうか……と、幸輔は一人震えた。昨日合った浅木という人の言葉は気になっていたが、それよりも合格したことが嬉しくて仕方がない。
――そういえば、あの人、見覚えがあるんだよな。
幸輔がそんなことを考えている隣で、満面の笑みを浮かべた葵が頷いた。
「頑張ります!」
何をするのか具体的には全く分からないが、おいしくて規則の緩いバイトだと言うことが分かったからだった。遅刻、急な休みOKなんていうバイトには、そしてこんな高時給には、高校生である現在、中々お目にかからない。
「威勢が良いね、高杉――葵君。お兄さんと似てるね。顔は似てないけど」
「そうですか?」
「うん。高杉君――薫君はね、即戦力として頑張ってくれてるんだ、兄弟として誇りに思って良いよ」
そう告げてからルカスは、幸輔へと視線を向けた。
現在の浅木と織田幸輔の間に、やりとりがあるとは把握していないから、余計なことは言わない方が良いだろうと判断する。
「一応一ヶ月間は、研修して貰おうと思ってるんだ。勿論、その間も自給は変わらないから。――今日から、初めて貰えると嬉しいな」
「頑張ります!」
葵がそう言うと、幸輔もまたおずおずと頷いた。
「じゃあ研修中は、私っていうか僕・佐藤……本名は、ルカス・シュガーレットっていうんだけど、僕が、織田君の研修を担当するね」
――なにせ圧倒的な魔力を持つ浅木と、嘗て名を馳せた、織田春菜の息子だ。実力をこの目で見たいし、鍛えたい。
そんなことを思いながら、ルカスは続けた。
「それで、葵君の担当は――……」
本来であれば、浅木に任せたかったが、浅木は騎士団にいなくてはならない存在で、人を教育している時間はないだろうし、何せ地球人だから、生まれながらの魔術師ではない。さらに高杉薫は、まだまだ入ったばかりだし、その上高杉葵の実兄だ。兄弟同士で修行させるというのも面白くはない。そうなると現在のミドガルズオルム社(地球)を知る、それなりの経歴の持ち主は、一人しかいなかった。パンと音を立てて、ルカスは手を叩く。
「真鍋勇人くんていう、社員を紹介する。薫君は、真鍋君に研修指導をして貰って」
真鍋は、浅木の二つ後――第三世代目に入ってきた社員だった。
ちなみに、浅木の次の世代は、全員退社するか死亡している(浅木の世代は、浅木以外が死亡した)。真鍋の代でも、残っているのは真鍋だけである。真鍋以外は、全員退社した。彼が入社した頃から、社員の質が少しだけ変化して、死んでも仕事をやり通す人間よりも、退社や転職を選ぶ者が出始めたのだとルカスは体感的に感じている。何時の世代だって止める人間は辞めるが、辞めやすい時代の空気のようなものがある気がした。
真鍋は普段在宅で仕事をしているため、まだ高杉薫と顔を合わせたこともないし、社内で顔を合わせたことがあるのは、ルカスと浅木だけである。
「じゃあ早速行こうか。あ、着替えはこちらで用意するから、制服は、次に移動した部屋に置いていって」
スーツよりもよっぽど弁償費を請求されたら面倒そうだと考えながらルカスは笑顔で告げた。
通されたコンクリートうっちぱなしの部屋で着替え、制服をハンガーに掛けた。
結局仕事内容を聞いていないという事を今更ながらに後悔しながら、幸輔は、渡されたローブを手に取った。
――なんだ、これ?
明らかに中世ヨーロッパの錬金術師や、秘密結社に属していた魔術師達が着ていそうなローブだったからだ。コスプレか? いや、そもそも魔術師募集と言われていたんだし……?
混乱する脳内をなんと加勢しながら、黙々と幸輔は着替えた。
葵はといえば、特に恥じらうこともなく、とうに着替え終わっていた。
葵には、これは単なる作業着だという認識しかなかったのだ。
「用意できた?」
そこにルカスが顔を出した。
先ほどまでは、薄手のニットに黒いチノパン姿だった彼は、現在では二人が着ているものよりもよっぽど凝っているローブ姿になっていた。幸輔はポカンとしたが、葵はやはりこれが作業着なのだろうと納得していた。
「はい、これを持って。帰る時間になったら、溶け井上のネジを押してくれれば、この部屋に戻ってこられるから」
「この部屋に戻ってこられる?」
どういう意味だろうかと葵が首を傾げると、ルカスがニヤリと笑った。
「これから君達二人には、異世界トリップして貰うんだ。つまりその世界から、此処へと戻ってくるための道具って事だよ」
「異世界トリップ……!」
幸輔は思わず目を見開いていた。唇が震える。
異世界トリップなんて、本来であれば『転生トラック』と呼ばれるエルフやキャンター、スパーグレート(あたりだろう、不謹慎だが多分)に轢かれて亡くならなければ出来ない事柄だ!
「よし、じゃあ行くよ」
ルカスは何でもないことのようにそう呟くと、細い木の棒を振った。
「!」
気がつくと幸輔は、火山の麓にいた。
遠目に見ても、所々に、マグマが噴出しているのが分かる。
「君には此処で、ちょっと≪烟霞鵺≫というモンスターを、魔術で討伐して貰うことになる」
「モンスター……? 魔術?」
「この杖を君にあげるよ、織田君。起こって欲しい魔術をイメージしながら杖を振ると、その通りの結果になるから」
ルカスに差し出された細い木の棒を受け取りながら、幸輔は呆然とした。
――ここはどこだ?
――っていうか、魔術?
妄想のしすぎで、ついに自分はおかしくなってしまったのだろうかと、幸輔は苦悩する。
石が転がっている夕暮れのその場所では、眼前を年老いた猫が歩いていく。
布が巻いてある杖を握りしめ、幸輔は唾液を嚥下した。
「大丈夫、自信を持って。自信が何よりも重大な要素だからねぇ」
ポンポンとルカスが幸輔の肩を叩く。
その言葉に頷いて、幸輔は杖を掲げた。
目の前には、火焔を吐くおどろおどろしい怪鳥が現れた。
――俺は、ファンタジーが好きだ!
どれほどまでに、異世界を夢見てきたかは分からない。
勿論妄想は現代世界における、自分が参加しているファンタジーだが、自分が参加さえ出来るのであれば、場所なんか問わない。
此処が何処なのかはいまいち分からないが――……俺は、此処で、ハーレムを築く!
幸輔は決意した。
それはもう、強く決意した。
杖を握る掌に力を込めながら、静かに目を伏せる。
まつげが影を落とし、彼の端正な顔を彩った。
その時幸輔の紅い瞳は、瞼の裏を見据えていた。そこに、つい今し方見たばかりの怪鳥の姿を思い浮かべる。
相手は火を噴いていたのだから、恐らく火属性(そんな属性があるのか幸輔は知らなかったが、そう言うことにした)。定石ならば、水の攻撃をするべきだ。しかし――中二病の血が騒ぐ。ここは、日をも凍らせるほどの、圧倒的な氷属性魔術を放とう……! そう、地獄の業火すら凍り付かせる、史上最凶の、最狂の、最強の魔術! ひらめいた!
「≪流星紫氷≫!!」
気がつくと幸輔は叫んでいた。
カッと目を見開き、杖をビシッと相手に突きつける。
結果――……≪烟霞鵺≫がまき散らしている羽の内の一つが、一つだけが、凍った。
「あー……」
氷の矢すら出なかった。
ルカスは、笑ったままだったが、内心舌打ちしていた。そりゃもう大きく舌打ちしていた。
呪文を唱える、というのはまあいい。言葉にすると、具現化しやすくなるのは、魔術の一つの側面だ。そしてその呪文自体も……いまいち意味不明だが、なんだか格好良さげである。しかし幸輔が発動させた魔術の効果はと言えば、その辺の街を歩いている観光客に声をかけて引っ張ってきて無理矢理杖を持たせて魔術を使わせた場合よりも、最低最悪に、無力だった。
いくら魔力量があったところで、才能があったところで、それを発揮できず仕えないんなら、魔力がない者と価値は同等だ。やらないと出来ないは同じ、何の価値もないのだ。
実力主義者、成果主義者であるルカスは、表情こそ笑みを崩さなかった者の、失敗したなぁと思っていた。
――コイツ、かっこつけてるけど、超弱い!
優秀な親を持っているからと言って、子供もすごいというわけではない典型例だろう。
勿論、潜在能力は目を惹くが、これでは、実践にはとても投入できない。
「氷結――頽れろ」
ルカスはそう静かに呟いて、杖を振った。
瞬間、≪烟霞鵺≫が凍り付き、ひび割れて崩れ落ちた。
ルカスと幸輔の共通点を唯一上げるとすれば、魔術の行使方法だろう。ルカスも又、呪文を駆使するのだ。ただしルカスの場合は、≪ペンタグラマ派≫という、それなりに高名な魔術学派の手法を取り入れているだけである。≪ペンタグラマ派≫の新進気鋭の魔術師がルカスであるとも言える。それまで研究面ばかりを強調されがちだったペンタグラマ派が一気に有名になったのは、ルカスがそれを攻撃魔術に転用してからだ。
ペンタグラマ派では、まず『氷結』などのように、使用する属性の季語(地球語変換)を先に述べる。そして、起こしたい現象を口にするのだ。慣れない内は、この『口にする』というのが難しく、『火焔にて身を焦がせ』やら『冷水にて溺れ逝け』やら『暴風にて複雑骨折』やらといった定型句を使う。しかしルカスのようになれてくれば、一言で発動できるようになるのだ。
「あのさぁ、織田君」
「……」
「返事!」
眉を顰めて、ルカスが睨め付ける。
「……はい」
ルカスから見ると、ふてくされるような顔で、幸輔が答えた。実際の幸輔の内心としては、ルカスの表情が怖くなったことと、上手く魔術なんて使えなかったことで、返事をする余裕すらないほど動揺していたのである。
「率直に言って、今の君は足手まといだ」
腕を組んだルカスは、糾弾するように告げる。ルカスは、褒めて育てるとか、おだてられて伸びる子、なんて言う者は大嫌いだった。だが、一応採用したのは自分だし、名のだから、織田幸輔が根を上げるかきっちりと魔術を身につけるまで、厳しく相手をするのが義務だと考えていたのである。実際、ルカスに直接指導をしてほしがっている人間など、掃いて捨てるほどいる。だが、織田幸輔を選んだのは自分自身なのだからと、こめかみを指で解しながら、半眼でルカスは続けた。
「やる気ある? 続ける気ある? それなら、教えるけど」
「……」
「返事!」
全く、一々無言を挟むというのが、また殊更に苛ついた。もっとはきはきと出来ないものなのだろうか。寡黙と言えば浅木も寡黙だが、あちらは実力があるから未だ良い。正直乗りだけ良くってお喋りでも仕事が出来ない奴なんて、即刻懐古だが、それと同じくらいに無愛想というのも気に障る。
「あります」
そんなルカスの心境など全く知らず、ただただ幸輔は怯えていた。
涙が浮かんできそうになるが必死にこらえる。
――やっぱりバイトって、社会って、厳しいんだな。
それが率直な感想だった。
「とりあえず今日はこの本を読んで、30頁までに載ってる呪文を全部仕えるように練習して。それが終わったら帰って良いから。帰り方はさっき説明したよね? じゃあね」
ルカスはそれだけ言うと、幸輔の周囲に魔物よけの結界を張ってから、転移で姿を消した。分厚い本を手渡された幸輔は、ただそれを呆然と見送ったのだった。
その頃葵は、砂漠の上に立っていた。
着替えは用意されたが靴は用意されなかったので、スニーカーの中に、砂が入り込んでくる。すぐに研修指導者が来るとは聞いていたのだが、今のところ人気はない。
――そもそも、なにこれ?
葵は、はっきり言って、夢を見ているのじゃないかとすら考えていた。
先ほどまで池袋のビルにあるコンクリート打ちっ放しの部屋にいたはずが、気がついたら砂漠にいたのだ。あきらかにおかしい。白昼夢という奴でないのだとしたら、一体これは何だ?
きょろきょろと葵は周囲を見渡す。
――可愛い。
それを、巨大なサボテンの影から、真鍋勇人は眺めていた。
今年で二十五歳になった彼は、大学卒業後、すぐに退職して、第二新卒としてミドガルズオルム社に入社し、三年と少し過ぎたところだった。
唐突に、ルカス副団長から呼び出されて狼狽えていたのが、十分前のことだ。あの人はいつも唐突なのだ。今日は非番だったにも関わらず、低所得故、休日にすることはと言えばネトゲである彼は、まぁいいかと思いながら、初めて出来たの後輩の指導にあたることになったのである。普段は、ヨルムンガンド帝国第三騎士団諜報部所属魔術師として暮らしている彼は、滅多に誰かと職場で会話をすることはなかった。それこそ、ルカス直属の部隊なので、彼の腹心である浅木と話すのが関の山である。
そんな自分に急に振られた新人研修指導。
しかもその相手が――大変、可愛かった。色素の薄い茶色の髪と、瞳をしている。アレ目とまでは言わないが、優しげな瞳をしていて、まるでカピパラのようだ。
真鍋勇人が、自信を同性愛者だと自覚したのは高校生の頃のことだ。
当時告白されて、好奇心から付き合ったカノジョと、初めてベッドを共にしようとした時――クラスでも可愛いと評判だった友人(男)の顔が過ぎって、何故なのか裏切っている気分になり、起たなかったのだ。結局友人とどうにかなることはなかったが、大学生になり成人してから、二丁目デビューを果たし、ハッテンバで好みの可愛い彼氏(?)が出来て、童貞を卒業してからは、もうハッキリと自覚するしかなかった。可愛い男の子と体を重ねることが好きだという性癖を! 無論、同性愛者の母数は多くないし、ハッテンバでは、恋愛関係よりも一夜限りの体の関係を目的に声をかけられることが多かったが、贅沢は言えなかった。これまでに何度も、俺だけのモノになって欲しいと勇人は言おうとして、二度と会えなくなるのが怖くて口を閉ざした経験がある。
――ましてや普通の高校生、ノンケなんて、恋をする見込みも体の関係を持てる可能性もない。
そう自嘲した後、決意して、勇人はサボテンの影から出た。
「はじめまして。高杉葵くん? よろしく。俺は、真鍋勇人。分からないことがあったら何でも聞いて」
柔和な笑みを浮かべている真鍋を見て、葵は顔を上げた。
――良かった、優しそうな人だ。
緑色(茶色っぽいアッシュとかではなく、本当に真緑)に染めた髪に、切れ長の黒い瞳をしている、自分よりも少し背の高い青年だった。多分薫より年下だろうと、葵は考える。しかしキャリアは、薫よりも上のはずだ。
「はじめまして、高杉葵です。よろしくお願いします」
「そんなに堅くならなくて良いから。俺、かたっくるしいのって嫌いなんだよね」
笑顔でそう告げ真鍋が笑う。
こういう奴に限って実は礼儀に煩かったりするんだよなぁと葵は考えていた。
真鍋の服装は、ローブではなくて、ゲームの村人Aといった感じの、白いTシャツと若草色の緩いボトムスと言った代物だった。まだこの作業着より、そっちの方が良いなぁと葵は思う。
「百聞は一見にしかずっていうし、じゃ、やってみよっか」
「はい……何をしたらいいですか?」
「あれ、ルカス副団長から聞いてない?」
「はぁ」
「魔術だよ、魔術」
真鍋のその言葉に、あの求人タイトルはネタではなかったのだろうかと、葵は顔が引きつりそうになった。
「丁度あそこに≪闇宵存在証明≫がいるから、ちょっと攻撃してみるか。まずは俺が見本を見せるから。ちなみに魔術の発動方法は聞いてる?」
変な名前だなと思いながら視線を向けた葵は、そこにいた巨大な雀を見て、忍びない気持ちになった。アレを攻撃するというのだろうか? 鬼畜だ。
「いいえ」
「脳内で、起こって欲しいことを想像して、杖を振れば良いんだ。あ、そうそう。これが杖。葵くん……って呼んで良いかな?」
「はい」
「俺のことはなんて呼んでも良いから。とりあえずそれを振ればOK」
面倒くさいので、葵は先輩と呼ぼうと決意した。
見守っていると、真鍋が杖を振った瞬間、巨大な雀の腹部に船のイカリのような鉄のかたまりが刺さった。黒い血が、雀のふわふわの気を汚していく。可哀想だ。
葵は、その鉄のブツが地に落ちるところと、巨大な雀の傷が癒えるところを想像した。
そして杖を振る。
すると辺りに、温かい風が吹き荒れた。
「……うん、快癒魔術って高度だと思うよ」
間をおいてから真鍋が言う。
「快癒魔術?」
「怪我を治すこと……俺としてはとどめを刺して欲しかったんだけど」
「ごめんなさい」
まだあまり本気で考えられない、魔物(笑)状態の葵は、別に首になっても良い矢と考えながら、とりあえずそう言った。
「ああ……いきなり、生き物倒すのはきついかな。明日からは、もっと無生物的なモノにしようね。今日は、魔術の座学にしよう!」
――なんて心優しいんだ!
真鍋がそんな風に感動していたことを、葵は知らない。
このようにして、二人の初日のバイトは過ぎていった。
懐中時計のネジを押し、コンクリート打ちっ放しの部屋へと戻り、制服姿に着替えた二人は、まったくどうでもいい学校の数学のテストについて語り合いながら、タイヤしてエレベーターで階下へと降りた。
「――ぶっちゃけどうだった?」
なにやら分厚い書籍を読みふけっている幸輔に、葵が声をかける。
「俺、自分の力不足を実感した」
「え、そうなの? だって、こういうの幸輔得意そうじゃん」
「……全然何にも出来なかった。だから、これから頑張る」
真剣な眼差しで、歩きながら本を読みつつ幸輔が言う。
葵は、何をそんなに真剣になっているのか全く理解できなかったが――……せっかく友達が熱中するモノを(妄想以外に)みつけたみたいで、嬉しくなった。そして、ちょっとだけ寂しかった。
「分かった。俺も頑張る。一緒に頑張ろう」
このようにして、二人のアルバイト生活は幕を開けたのだった。
ちなみに数学のテストは、一位が幸輔、二位が葵、十四位が治樹だった。