12:顔写真
あれから数日が経った。
「……」
疲れたなぁと考えながら、コンクリート打ちっ放しの部屋へと幸輔は戻ってきた。
ローブを側のハンガーに掛けて、オフィスの中へと戻る。
するとPCのキーボードを打つ音が響いてきた。
「……っ」
その時、顔を上げた浅木が、幸輔を見ると顔を強ばらせた。
眉間には深々と皺が刻まれ、鋭い瞳が険しくなる。
「……」
――あいさつ! あいさつ!
視線をしっかりと合わせたまま、内心幸輔は焦っていた。
しかし端から見ると、にらみ合っているようにしか見えない。
「……珈琲でも飲むか?」
実の息子に睨め付けられるというのは、それなりに心が騒ぐものだなと、浅木は思った。いや、息子だからと言うだけではないのかも知れない。ぐらぐらと思考回路が揺れていくのは、多分――そこに懐かしい妻の顔そっくりな造形があるからだ。胸がどうしようもなく痛み出す。そんな心境を振り払うように、浅木は立ち上がりコーヒーサーバーの方へと向かった。
「……」
結局何も言えないままだった幸輔は、おずおずと先ほどまで浅木が座っていた席の方へと歩み寄った。PCの脇には、金色の細い鎖が付いた、ハート型のロケットがある。蓋が僅かに外れていて、中には写真が入っていた。何気なくその中を見て、幸輔は目を見開いた。
――俺の写真?
始めはそう考えたが、その髪の長さや女性らしい丸みのある顔を見て、すぐに自分ではなく、母親の写真ではないかと判断した。そういえば同じ写真をアルバムで見たことがあるような気がする。
――だけどどうして、この人が母さんの写真を……?
慌ててPCデスクから距離を取り、コーヒーサーバーの前で、気怠い顔をしている浅木を伺うように見える。
「座れ」
浅木がカップを手に振り返った時、幸輔は世界の全てを嫌悪するような凍てつく瞳で浅木を見ていた。やはり――恨まれているのだろうか。浅木はそう考えると、冷水を浴びせられた心地になって、すぐ側のソファの前にカップを奥手すら、震えた。
無論本当は、何で母さんの写真を、と思っていただけである。
幸輔は幸輔で、非常に冷たい顔をしている(ように見える)浅木を見据え、困惑していた。何か嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。バイトとして、社員に嫌われるってどうなんだろう。そう考えるだけで、体が震えた。
促されるままにソファに座り、カップを受け取る。
「「……」」
二人の間に会話は生まれない。
「お疲れ様でーす」
そこに真鍋が帰ってきた。
「浅木先輩、と、ああもう一人のバイトの子かぁ」
真鍋は空気を読まないことが特技だった。
というよりも、あんまりにも空気を敏感に察するとこの仕事は続かない。
何せ笑顔でキレているルカスと、デフォルトでキレ顔の浅木と共に、仕事を日々送ってきたのだ。その上現在の真鍋勇人は、新しい恋に出会って浮かれていた。本人自身、その恋が実ると楽観視はしていなかったが。
「今日は葵くん来ないの?」
「……委員長は今日、学園祭実行委員会のクラス通達会議だから……」
「え、葵くんて委員長なの? ちょっとそこの所、詳しく。それに学園祭? いつ?」
真鍋の言葉に、浅木が生唾を嚥下した。
――学園の行事になんて、一度も行ったことがない。
いつも寂しい思いをさせてきたのだろうか、そう考えると、言いしれぬ悲しみがこみ上げてくる。
「……」
一方の幸輔は、唐突に話しかけられて狼狽えていた。
だからしっかり相手を確認しようと視線を向ける。
それを見て取った真鍋は、体を硬くした。
――え、何か睨まれてる? まさか、まさかのライバル!?
しかしライバルが居るという事は、もしかすると奇跡的に、葵はそっち系に人気があると言うことではないのか? 周囲がそう言う環境ならば……こっちの道に転んでくれるかも知れない! ゲイとして生きてきて良かった!
その様にして三すくみの多大なる勘違いがオフィスの無言の空気かでわき上がっていたところに、扉の開く音が響いた。
「お疲れ様です――って、え?」
底に広がっている異様な空気に、高杉兄こと薫は、動きを止めた。
――全員がにらみ合っている?
「あの……なにかあったんですか?」
薫が切り出すと、ちらりと浅木が薫を見た。
その笑顔を見た瞬間、浅木は全身の力が抜けそうになる。顔を見ているだけで嬉しくなってくる――それがこれまではどうしようもなく、光に思えたのに、今は亡くなった妻と、寂しい思いをさせてきたのかも知れない子供への悔恨と一緒くたになり、やりきれなくなる。――だというのに抱きしめたいと願うのは、きっと罪だ。
「高杉さん、高杉さん! もしかして、もしかすると、同性愛者なんですか!?」
色々と思考過程をすっとばして、真鍋が聞いた。
「「ぶ」」
ほぼ同時にカップを手にして傾けていた浅木と幸輔が吹きだした。
この二人は、案外仕草が似ていたりする。
「は? 誰が?」
――もしやこの微妙な空気をうんだのは、俺の話題?
笑顔を引きつらせながら、薫が首を傾げた。
しかしなにがどうなって俺がホモだなんて話しに?
よく分からなかったので、薫は自分の分のコーヒーを手に、椅子に座る。
「葵くんです!」
真鍋の言葉に、浅木が目を細めた。
――どういう思考回路してるんだ?
幸輔は幸輔で、呆気にとられて首を捻る。
その様子を見守っていた薫は、よく分からないままだったが首を傾げた。
「まぁ織田なら知ってると思うけど、匂ノ宮だし、浮舟幸町学園は他よりも同性愛者というかバイは多いかもなぁ」
薫はそう言って朗らかに笑った。
「ただ弟と性癖の話なんてしないし」
「え、ええええ? 葵くんも織田くんも、匂ノ宮なの?」
筋金入りの、ゲイ率高しの学園名に、真鍋が目を輝かせた。
「俺もそうですよ」
薫が続けると浅木が内心でドキリとした。
「……薫も、そうなのか?」
「えー、俺ですか? そうだなぁ、ルカスさんくらい綺麗だったらちょっとグラッと来るかも知れませんけど」
「「「え?」」」
「いや、冗談ですけどね……ってそんな三人とも……えええ? 真に受けないで下さいよ!?」
「高杉さん趣味悪……」
「よりにもよってルカス、だと……?」
「葵と一緒で鋼の神経……?」
「だから、冗談だって。やだなぁ。だけど何でこんな話しに?」
薫の言葉を聞きながら、幸輔は思案した。
彼は自分自身のことには、比較的聡い。
真鍋→葵←長野治樹のトライアングルと、浅木→高杉兄→ルカス(?)の一方通行を発見した。嫌、後者は冗談だと言っているし、浅木→高杉兄だろうか。どちらにしろ、高杉兄弟はモテるのだなと分かった。二次元に嫁が居る身としては、幸輔には興味が無かったが。「あ、そうそう、匂ノ宮の学園祭の話です。いつなんですか?」
真鍋が聞くと、薫が首を傾げた。
「毎年、次の日曜日くらいだけど――今年はどうなんだ、織田?」
「え……」
話を振られた幸輔は、顔を上げた。
「知らない」
「なんで? お前、たこ焼き班なんだろ?」
「行かないんで」
「どうしてだ?」
思わず浅木が尋ねた。
「……別に」
幸輔は俯く。学園祭と言えば、恋人達のイベントの側面もある。治樹が葵と回るんだと楽しそうにしていたことを思い出せば、もし誘ってくれたらと期待している自分は、やはり当初の予定通り行かないにこしたことはない。
「葵が折角保健所の許可を取り付けてたんだし、それに寂しがるぞ? あいつ、お前のたこ焼きを楽しみにしていたからなぁ。第一、学園生活の思い出にもなる。学生時代の記憶は、将来大切なものになるぞ」
薫が続けると、真鍋が大きく頷いた。
「その通りだよ。俺、絶対学園祭行くから!」
何でお前が行くんだよ、と考えながら、浅木はハッとした。
きっと家族の来ない学園祭を始めとした行事に、幸輔は嫌気がさしているのではないかと。
一度くらい、そうだ、一度くらい、言ってみようではないか。例え、親子だと名乗りでないとしても。
「……俺も行く」
「俺、葵から職権貰ってるんで、じゃあ一緒に行って、織田のたこ焼きを食べましょっか」
このようにして、彼等は学園祭へと出かけることになったのだった。