14:遺言には、




幸輔が、ヨルムンガンド帝国第三騎士団魔術師部隊の一員として、実際に現場に出ることになったのは、その二週間後のことだった。
それまでの間はルカスと二人きり、≪ペンタグラマ派≫の魔術の鍛錬に励んだのである。別段それは、ルカスが公私混同して、幸輔と一緒にいたいがためではなかった。その辺は副団長だけあって、ルカスはきっちりと切り分ける(し、今でも幸輔に対して何らかの感情を抱いているなんて、認めたくはなかった)。――この子にならば、自分の学んできた全ての知識を教えても良いかもしれない。ルカスはそんな風に考えていたのだ。飲み込みも早く、頭も良い。そして何より、潜在的な魔力量は、やはり凄い。
だからこそ、初級の呪文習得が終わってもなお、ルカスはマンツーマンで幸輔を鍛えた。鍛え上げたのだ。そうしている内に、後は、度胸さえ付けば、それこそ浅木に匹敵するだろう実力の持ち主になると、ルカスは踏んでいた。

「これより、≪天翔る樹木精≫の討伐を開始する」

浅木の声が響き渡るのを、ルカスはぼんやりと聞いていた。
既に実戦に出ている葵は、面倒くさいなぁと思いながら欠伸をして、隣に立っている薫に足を踏まれている。居残り組のルカスと真鍋、そして騎士団長であるアーネストは、浅木の声を淡々と聴いていた。
≪天翔る樹木精≫は、本来であれば集団での実践が未経験の新人を伴うには、ハードルが高い相手だ。それだけ、ルカスが幸輔のことをかっているのだろう。
――動じた様子もないのか。
無表情ながらも、鋭い気配を放っている幸輔を見て、アーネストが腕を組んだ。あのルカスが目をかける新人。それだけでも、十分、一目置ける。
――面白くないな。
それがアーネストの率直な感想だった。
ルカスに片思いすること、有余年。
勿論騎士団長としては、優秀な人材が多いに越したことはないし、そこはルカス同様アーネストもまた、仕事と恋は別に考えている。だが、それでも、気になってしまうのだ。何よりも、その外見を見るだけで、確かに織田幸輔には目を惹くものがある。漂う空気も、紅い瞳も、人を惹きつけてやまない気がした。
――これが、嫉妬か。
自分自身がそんな感情を持っていることを少しだけ楽しんでから、アーネストは改めて幸輔を見た。
幸輔自身は、同様と恐怖からガクガクブルブルといった心境であり、今にも逃げ出したくてしかたがなかった。
――委員長、神経太すぎるだろう!
一切動揺した様子すらなく、薫の足を踏み換えしている葵を一瞥し、思わず溜息を押し殺した。先ほどから心臓が口から出てきそうな幸輔は、必死で恐怖をかみ殺していた。何せ最近のルカスの指導は、死と隣り合わせだったのだ。だと言うのに実践ではそれ以上の強敵、何人もの力で倒さなければならない相手が出てくるのだろうから、もう本当に怖くてしかたがない。
「出発する」
浅木の号令で、一同は出発することになったのだった。


今回の討伐対象の魔物は、湖の周囲に広がる森林にいた。
巨大な鹿の頭が付いている、木の根と言った感じの魔物である。
その根の蠢きが職種のように見えて、幸輔は思わず硬直した。
薫るのはなった最初の攻撃で、土からいぶり出されて、木の根が討伐隊へと襲いかかってくる。浅木がそれを結界で防御する。石つぶてがいくつも結界に接触しては、地に落ちていった。
――動けない。
ドクンドクンと鼓動を耳に感じて、幸輔が唾を飲む。
地に足が縫いつけられたかのように感じ、幸輔は周囲の争乱をただ眺めるしかない。
「織田、攻撃!」
浅木の声が響く。
浅木は浅木で、幸輔のことが心配でならなかった。
攻撃と防御の魔法を繰り出しながらも、不安で視線がどうしても、幸輔へと向いてしまうのだ。ただでさえ初任務での死亡率は高い。ルカスは一体何を考えているのだ。そう思わずには居られなかった。
そんな思考の乱れが悪かったのか、木の根に結界を破られる。
「っ」
圧倒的な魔力が跳ね返ってきて、浅木は杖を取り落としそうになった。
氷がひび割れるように、結界が崩れていく。
「浅木さん!」
攻撃魔法を放ちながら、思わず薫が声を上げた。
それから薫はすぐに、結界魔法を再構築した。
浅木は、薫の腕を信頼していたから、安堵の息を吐きながら、周囲に視線を走らせる。
その間にも、木の根が全体を襲った。
そしてその内の一つが、幸輔を襲おうとしているのを、浅木はしっかりと目に取った。
「織田!」
「っ」
目の前に迫っている木の根を、ただただ呆然と幸輔は見ていた。
「織田――……っ、幸輔!!」
気がつくと、思わず浅木は走っていた。
嗚呼、名前をしっかりと呼ぶなんて、何年ぶりのことだろう。
反射的に抱きしめて被った瞬間、背中に熱が走った気がした。肉が抉られる感触に、だけどそれよりも腕の中に感じた温もりの方が強く実感できて、震えそうになる――失ってはいけない、失いたくない。浅木はそう考えてから、ゆっくりと目を見開いた。
「え、あ」
浅木の体から力が抜けるままに、幸輔は地面に座り込んだ。
ずっしりと浅木の体の重みを方に感じたまま、目を見開く。
左手が滑ったから持ち上げてみれば、その手はどす黒い紅で染まっていた。
「浅木、さ……っ」
幸輔が呟くと、血の気の失せた顔で、浅木が微笑んだ。
「無事、か?」
「……っ、なんで」
「幸輔、お前は……俺の……」
浅木の声を、周囲にいた一同は、木の根から待避しながら、聞いていた。

「息子だ……!」
「!」
「これ、を」

浅木はそう言って目を伏せながら、それまで自分が使っていた杖を差し出す。
「父さ、ん……?」
杖を受け取りながら、幸輔は息を飲んだ。
――だから、母さんの写真を持っていたのか。
どうして、もっと早く言ってくれなかったのだろう。
いや、それよりも、どうして俺は気づかなかったのだろう。どうしようもない後悔が、幸輔へと襲いかかってくる。
「俺の代わりに、その杖……で……幸輔なら、きっと……」
浅木はそこまで言うと、ぐったりとした。
腕の中で失われ行こうとしている父の命、それを自覚しながら、ゆっくりと幸輔は浅木の体を地に横たえ、立ち上がった。
――父さんが守ってくれたこの命、無駄には出来ない!
強い決意と、魔物に対する怒り。
幸輔は杖を握りしめて、≪天翔る樹木精≫を正面から見据えた。
もう、無我夢中だった。

「≪終末創造槍エンダストリアルアーツ≫!!」

瞬間、まばゆい光が周囲を覆っていた。
ルカスから教えてもらった魔術のことなど、頭からすり抜けていた。
轟音が辺りに轟く。
断末魔が響き渡り、瞬時に木の根が消し飛んでいく。
「すごい……」
「たった一人で、≪天翔る樹木精≫を……」
騎士団の面々が口々に呟く。
「倒した!」
ハロルドがそう叫んだのを聞きながら、薫が浅木の元へと駆け寄った。
浅木は、幸輔に抱きかかえるようにして、目を伏せている。
「よく……やった、な……」
「父さん!」
「……っ」
呻いた浅木と涙を浮かべている幸輔を見据えてから、薫は葵を見た。
「ごめん、な……」
浅木は、そう告げ意識を失った。
それが浅木の遺言には、

――ならなかった。
その直後、サクッと葵が快癒魔術をかけ、皆無事に帰還を果たしたのだった。