15:二人





浅木が目を覚ました時、そこはミドガルズオルム社の一室、ソファの上での出来事だった。
額には、冷たい熱を冷ますシートの感触がする。
うっすらと目を見開き――嗚呼、現実へと戻ってきたのだなと、ぼんやりと思った。
「目……醒めたのか……」
「!」
するとのぞき込むようにコチラを見ている幸輔と視線が合い、思わず浅木は息を飲む。
紅い瞳にどこか、心配そうな色が浮かんでいるように浅木には見えた。
心配だと無表情の目が訴えているのを分かるくらい、よく似た妻と幾多の日々を過ごした過去があるからだ。
そして実際、織田幸輔は心配していた。
「ごめん……」
それが何に大してなのか、幸輔自体分からなかった。
自分を助けてくれたことに大してなのか、それとも父親だと気づくことが出来なかったからなのか。ただどちらにしろ、その時の幸輔の胸中を閉めていたのは、悔恨と安堵だった。
「無事、か」
浅木がポツリと呟く。
無表情のまま、静かに幸輔が頷いた。

それを帰還した薫と葵、そしてルカスが見守っていた。

今にも浅木に駆け寄りたそうにしている薫と、空気を読んでそれを制している葵。
そうした彼等を後目に、ルカスは一人腕を組んでいた。
浅木の持つ強い杖があったとはいえ、≪天翔る樹木精≫を一人で倒した幸輔。
また彼を庇った浅木。
ルカスは一人、スッと目を細めて、あの後の出来事を回想していた。
終末創造槍エンダストリアルアーツ≫等という呪文は、≪ペンタグラマ派≫の魔術ではない。技能を叩き込む前に幸輔が勝手に呟いていた呪文の一つなのだろうとルカスは推測していたが、それが確かな効果を持つところを確かに見てしまった。
同時に快癒魔術が使える葵が居なければ浅木を失っていたこと、ひいては幸輔のことを失っていただろう事を想うと、嫌な汗が浮かんでいる。
――所詮異世界から雇用した魔術師なんて、捨て駒だとしか思っていなかったはずなのに。
兎も角幸輔のおかげで、騎士団は多大な被害を被ることなく、無事に討伐ご帰還できた。
それだけで嬉しいはずなのに、なのに。
幸輔の無事を喜んでいる自分自身のことが、ルカスにはよく分からないでいた。

「俺達、帰ります」

その時、薫が言った。
隣では、葵が帰る支度を調えて、鞄を手にしていた。
「お疲れ様」
いつもの通りの笑顔を取り繕い、ルカスが告げる。
「「お疲れ様です」」
そうして高杉兄弟は、彼等を残して帰って行った。


帰宅してから、葵がキッチンへと立った。
ダイニングテーブルに腰掛けて、発泡酒の缶を開けながら、薫がそれを見守る。
今夜はチキンカレーである。
浅木と織田を二人きりにしてやろうという配慮。それはどちらとも無く生まれたモノだった。ルカスは大抵、社員やバイトを見送った後、ティターニア大陸に変えるのだと知っていたからでもある。
「はい、どうぞ」
昨日から煮込んでいたカレーを差し出しながら、葵が言う。
「有難うな」
皿を受け取り置いてから、グイグイと薫が発泡酒を煽る。
「だけどあんなに危ない仕事だとは思わなかった」
初めて人が死ぬかも知れない場面を見た葵が、ポツリと呟いた。
薫は、うつむきがちに、以前に浅木から聞いた『皆亡くなった』という言葉を思い出す。
「薫は気をつけてね」
「葵こそな」
そんなやりとりをしてからどちらともなくスプーンを手に取る。
「――それにしても、幸輔と浅木さんが親子だなんて思わなかったよ」
葵が言うと、薫が溜息をついた。
以前に奥さんが亡くなり、18歳の頃に出来た子供がいると知ったことがあったからだ。
「みんな色々抱えてるんだな」
薫はそう言いながら、俯いた。
両親と祖母の死、祖父の容体の悪化――そうした事実から、ニートにもフリーターにも慣れなくなった現実から、薫は、自分はそれなりに不幸だと思って暮らしてきたのだ。ただ、葵がそばにいてくれることだけが、生きていてくれることだけが幸福だとすら思っていた。だけどそんなの所詮、自己憐憫の極みだったのかも知れない。
「ねぇ薫」
「ん?」
「俺、薫が死んじゃうの嫌だよ」
ピクルスを取り出しながら、葵が少しだけ真剣な調子で呟いた。
「俺だって葵が死ぬのは嫌だ」
薫が素直に返すと、葵が顔を上げた。
「というよりも、自分が死ぬとか、葵が死ぬとか、そう言うことすら考えたくない」
きっとそれは現実逃避なのだろうと、薫は思う。
だけど確固として思うことが一つだけあった。
「ただ、何でなのか分からないけどな、俺、浅木さんの力になりたいんだ」
「薫……」
「例え死ぬ日が来たとしても、俺は浅木さんの側にいたい」
その言葉に、葵がスプーンを皿に置いた。
「何でそんなこと言うの?」
「え?」
「俺には薫しか居ないんだよ? なのに、死ぬって何?」
「葵……」
「俺のこと一人にしても、浅木さんのために死ねるって事?」
「――一人にするつもりなんてないけどな、そうなることもあるかも知れない。人間、一死ぬかなんて誰にも分からないだろ?」
だって。
だって、だ。
両親が亡くなるなんて事すら、自分たちは考えては居なかったではないか。
薫はだけどそれを口に出さなかった。
それでも十分、それは葵に伝わっていた。
伝わっていたからこそ、葵は声を上げずには居られない。
「バカ!!」
机を音を上げて叩き、葵が立ち上がった。
「お、おい、葵?」
「……――バカ!」
それだけ言うと、葵は財布と携帯電話だけ持って、マンションから飛び出したのだった。