【第十話】初めての朝食







 ――引越しを、したのだったか。
 朝。
昼斗は瞼を開けて、白い天井を見上げ、最初自分が何処にいるのか分からなくなった。似たような天井は多いが、初めて見るような気がした。白い升目が規則正しく並んでいて、そのところどころにライトが嵌めこまれている。

 ぼんやりしていると、頬に触れられた気がした。元々、その感触で昼斗は目を覚ましたのだ。視線だけを緩慢に左へ向けると、そこには昴の姿があった。

「!」
「おはよう、義兄さん。食事にしよう?」
「っ……あ、ああ」
「昼斗? どうかした?」

 慌てて昼斗は飛び起きた。すると鼻をくすぐる味噌汁の香りがした。ゆっくりと二度瞬きをし、それから改めて昼斗は昴を一瞥する。

「昼斗は和食が大好きだって、姉さんが言ってたから、今日は和食を作ってみたんだ」
「……」
「口に合うといいんだけどね」

 そう言って昴が微笑を深めてから、不意に昼斗の額にキスをした。触れるだけだったが、その柔らかな感触に、昼斗は虚を突かれて目を見開いた。

「さぁ、冷めない内に」
「い、今……」
「ん?」
「……」
「どうかした? 早く食べよう。これから、基地にも行かないとならないんだからね」

 昴はそう言うと、ポンポンと掌で二度、昼斗の頭を撫でるように叩いた。
 呆然としつつも、昼斗はおずおずと頷き、寝台から降りる。
 この家には、ベッドは一つきりしかない。昨夜は先に昼斗が眠ったから、昴がどうしていたのかを、彼は知らなかった。

 夢でも見ているような心地で、昼斗はダイニングのテーブルへと歩み寄る。そして昴が引いてくれた椅子を見た。

「座って?」
「あ、ああ」

 頷いて従ってから、卓上に並ぶ、朝食を目にして息を飲んだ。輝くような黄色の厚焼き玉子、焼き鮭、ひじきの煮物、きんぴらごぼう、レタスときゅうりのサラダには黄色のコーンと星型のチーズが乗っていて、よい香りがする味噌汁には油揚げとねぎが見える。白米は一粒一粒が煌めいて見えた。和風の完璧すぎるような朝食だった。

 目を瞠っていると、対面する席に座った昴が咳払いをしたから、昼斗は顔を上げた。
 そこには優しく頬を持ち上げている昴の顔がある。やはり、光莉に似ていると感じたが、それはあくまでも造形だけだ。昴が用意してくれた厚焼き玉子は綺麗だが、光莉の卵焼きはいつも焦げていた。けれど光莉の瞳は、いつも穏やかだった。しかし昴の瞳は、昼斗から見ると、笑っていないように見えた。ただ口元が弧を描いているだけに感じる。

「いただきます、っていうんでしょう? 日本では」
「ああ……いただきます」
「俺は、今回の件があるまで、ずっと海外にいたからね」

 そう言って微苦笑してから、昴もまた手を合わせた。光莉の話によれば、二人の父親は日系独逸人で、母親は日系米国人だったらしい。ただ祖父母の日本人の元に戸籍があったと、そんな話を昼斗は聞いた事がある。光莉も昴も、Hoopに備えて生まれてきたという話だ。逆に、このご時世になる以前より、完全に民間人である者が関わる方が珍しかったのだという。

「味はどう?」

 昴の声で、昼斗は我に返った。最近、味がしないざるそばしか口にしていなかったからなのか、泣きそうなくらい美味しく感じる。まっとうな人間らしい食事をしたのが、一体いつ以来なのか、昼斗本人にも不明瞭だった。

「……まぁまぁだ」
「そこはお世辞でも美味しいというところじゃないのかな?」

 すると昴が冷ややかな声を放った。途端に昼斗は萎縮する。背筋が冷たくなった。ビクビクしながら箸を持っていると、自然と目が潤んでくる。

「見た目は……いい」
「俺が聞いているのは、味だけど?」
「……しょっぱい」
「しょっぱいってスラング? 塩辛いって意味だと検索で出てきたんだけど、キチンと砂糖も入れたんだけど」
「お、俺は……出汁の味が好きで……」
「それはだし巻き卵とは違うの? 俺が作ったのは、厚焼き玉子だけどね?」
「……っ、そ、その、焦げてないし、だ、だから」
「だから何? 不味いんでしょう?」
「……でも、その……焦げていないから」

 光莉よりは上手だと、昼斗は言おうとして止めた。昴の不服そうな顔を目にし、そこは姉弟そっくりだなぁと内心で考えていた。

「? 火加減はレシピサイトに載っていたし、調味料の量も適正だと思うんだけどね。昼斗の舌が、間違っている可能性はどの程度?」
「え、えっ……? 分からない」
「参考にならないサンプルだなぁ。でも――今日から俺が、暫くは毎日作るんだから、慣れてほしいし、きちんと言ってね。言ってもらえないよりは、嬉しかったよ。義兄さんって、不味くても食べそうだから」

 若干不貞腐れた声ではあったものの、そう言ってから、昴が笑った。その表情を見ていたら肩から力が抜けて、気づくと昼斗も苦笑していた。思えば、表情筋を動かすのは、久方ぶりの事だった。