【第十一話】分からない感触
昼斗は、車の免許を所持していない。
というのも、大学生になったら合宿で取得しようと思っていたのだが、基地に半ば拘束されたため、そのような機会が無くなってしまったからだ。同様に、大学生になったらやりたかった事――たとえば、テーマパークに行った事すら、一度もない。初めて出来た好きな相手とすら、顔を合わせたのは基地のグラウンドの四阿でばかりだった。青春時代が、ほとんど潰れてしまったと言える。小中高までは、ある程度一般的ではあったのかもしれないが、実家が山奥過ぎて、遊ぶ場所と言えば、それこそダム湖くらいのものだった。
現在、自動車を運転しているのは、昴だ。助手席に座っている昼斗は、俯いてネクタイを見た。
『曲がってるよ!』
過去、何度か光莉に直された事があったから、昼斗は結び方を覚えようと努力し、そしてやめた。ネクタイなんて、しめなければいいと決めた。歪んでいても直してくれない光莉が亡くなってしまった以上、もう必要ない、と――本当は、きちんと結べる昼斗は、思っていた。だが本日、司令官室に挨拶に行く事になったため、ノーネクタイはまずいだろうと判断し、クローゼットから適当に手を取った時、昴に言われた。
『俺がやりますよ』
……料理の腕前は兎も角、昴は、ネクタイは上手く結んでくれた。いちいちそんなところから、光莉の感傷に浸るべきではないと、昼斗は分かっている。ただ、そうでもして思考を逸らしていないと、正直昴の扱いに困るのである。
「――昼斗? 昼斗さん? 聞いてました?」
「えっ? あ、ああ……なんだって?」
「聞いてないじゃありませんか。全く。だから、俺、さっきから言ってますけど、俺は司令官室に直行するように言われているので、一度食堂で合流して、午後に再度――」
昴の指示に、昼斗は頷いたが、あまり頭には入ってこなかった。
こうして向かった基地で、地下の立体駐車場に車を停車させ、二人で基地直通のエレベーターの前に立った。乗り込んでから、昼斗が階数表示パネルを眺めていると、昴が呆れたように嘆息した。視線を向けた昼斗のネクタイを、昴が引っ張る。
「どうして曲がっているんですか? さっき、直したのに」
「っ」
「お仕置きが必要ですね」
手際よくネクタイを直した昴は、そう言うと掠め取るように昼斗の唇を奪った。己の口で、唇に触れたのである。驚愕して、昼斗が目を見開く。
「次にネクタイが曲がっていたら、もっと深いキスをします。曲げないように」
訓練室は、最上階だ。扉を閉めるボタンを押して、その一つ下のフロアである十階で、昴はエレベーターを降りていった。ここには、指令室がある。煙道三月指令官の執務室があるという形だ。
「……」
目の前で扉が閉まり、エレベーターが上昇を始める。
暫しの間、昼斗は唇の感触が忘れられず、同時に――何が起こっているのか分からなかった。だから到着した最上階で、この日も新型武器のシミュレーション訓練に打ち込んだ。必死に的を狙いすぎて、現在のこの基地の人型戦略機開発チームの主任である間宮環に、ストップをかけられたほどである。
「待ってくれ。それは、もう少し先に、衛星軌道上で実験する奴のデータなんだよ! そんな風にボコボコやる奴じゃないんだ! カグツチは!」
カグツチというのは、記紀に出てくる神様の名前であるが、今回に限って言えば、日本国独自兵器である超電磁砲刀の名前である。それを別の神話の神の名を冠する人型戦略機に持たせるのもどうなのかと、有識者は訴えるが、少なくとも昼斗には、そういった知識はない。
間宮環は、二十三歳。昴や、煙道三月と同じ歳である。この基地には、もう一名、二十三歳の青年がいて、その者は、初の第三世代機のパイロットだ。瀬是と言う。何故二十三歳に集中しているかと言えば、その年代に研究が加速し、人工授精が盛んにおこなわれ、非倫理的な遺伝子コーディネートが行われたからである。ただ、本来は非倫理的だとしても、地球人類が生き残るためには、必要な事だったのかもしれない。
昼斗は、そういった事情は知らないので、「二十三歳組が多いんだな」という知識しかない。なお、昼斗と二十三歳組の間にいるパイロットは、日本国ではたった一名で、それは、円城保である。二十五歳だ。二十八歳である昼斗よりも年かさ、三十代以上のパイロットは――全員死んだ。