第十九話(★)



 雪の気配の合間に、春の気配が顔を出すようになったのは、三月に入ってからのことだった。森永が亘理に接触した最初の日から数えても、既に三ヶ月が経過している。その頃には、亘理と森永の関係は、『噂』として、多くの者が知っていた。これは森永が部下を通じて流したからだ。『事実』として認識している人間は、大貫中佐ばかりであるが、直接問いただす事は無いにしろ、そう考えている軍の者は多かった。

 苛立っていた大貫は、当初こそ亘理に対してあたりをきつくした。
 だが――遇津コーポレーションとの大口の取引があるとして、すぐに気を取り直したようだった。変わり身の早さは、大貫の数少ない長所である。よって、亘理の仕事が減る事も無かった。

 亘理と森永が顔を合わせるのは、夜だ。外での仕事が無い限り、待ち合わせているわけでも無いのに、亘理が外へと出ると、いつだって森永の車が隣に停る。無言で乗り込んで煙草を断らずに吸うようになるまでには、そう時間を要しなかった。

 行き先は、亘理の家である。帰宅すると、最初に亘理は妹と通話をする。その間に、気を使っているつもりなのか、森永は浴室に消える。そして通話が終わった頃、出てきた森永と入れ違いに、亘理がシャワーを浴びに行く。髪を拭きながら外へと出ると、大抵の場合は、森永が用意したその日の食事が並んでいる。新しいテーブルを購入して持ち込んだのは森永だ。食器も、グラスも、鍋も菜箸も、日増しに増えていった。

 食事の席では、密談をする事は無い。今もキャビアを乗せたクラッカーの味について森永は語り、亘理は静かに頷いて耳を傾けているだけだ。テーブルの上に、森永が酒を用意している日は、大切な話が何も無い事を、既に亘理は理解していた。よってその後――二人で寝室へと向かった。明日は二人共、休日だ。休暇の前の夜、時折体を重ねるようになったのは、自然な流れだった。亘理は、少なくともそう考えていた。

 迂闊に誰かと寝れば、森永が自分と付き合っていないのは明白になる。
 しかし適度に性欲は溜まる。
 毎夜顔を合わせているため、自分で処理をする暇がない。
 なのだから――……そんな風にそれとなく迫った森永の言葉を、亘理は特に疑わなかった。そういうものなのかと考えただけだ。

「ぁ……っ……」

 枕に額を押し付けるようにし、シーツを両手で握って、亘理は挿入される衝撃に耐えた。猫のような体勢になった亘理に、後ろから森永が陰茎を進める。声をこらえる亘理が愛おしい。もっと声を聞きたくなるのが常で、だからこそ執拗に感じるらしい場所を突き上げてしまう。実直な森永の熱に貫かれ、亘理は震えた。嬌声を飲み込む。

 次第に切ない痛みにもローションのぬめりにも、何より律動する森永の楔にも、亘理は慣れつつあった。交わる時、熱と熱が熔け合うように感じ、全身が汗ばむ。森永が腰をゆっくりと動かすたびに、卑猥な水音が響いた。奥深くまで抽挿され、ギリギリまで引き抜かれる。その動作が次第に早さを増して行き、気づいた頃には亘理は身動きを封じられている。

「あああっ、あ、ああっ、ン」

 堪えきれずに声を漏らしたのは、前立腺を突き上げられた時だった。それに気をよくした様子で、何度もそこばかりを森永が責める。無意識に逃れようとした亘理の体に体重をかけて、森永は腰を揺すった。征服欲が顔を覗かせる。乱れる亘理を貫いているだけで、森永の陰茎はさらに硬度を増す。長く硬い肉茎で穿たれた亘理は、喉を震わせ嬌声を上げた。

「ン……あ、森永……ああっ」

 名前を呼んで解放を懇願しようとした時、後ろから首筋に噛み付かれた。その刺激さえ快楽に変換され、目をきつく伏せて亘理が耐える。目尻から涙が垂れた。

「ひっ、う、うあ……あ、あ、あ」

 森永が亘理の耳の後ろをねっとりと舐める。指では耳の中を擽った。ゾクゾクとして思わず大きく口を開けた時、森永の骨ばった指が亘理の唇の奥に入ってきた。舌を嬲られる。繋がったままで少し動きを止め、森永は、震える亘理の体を楽しんだ。

「う……ぁ……っ、あ、ああっ……」

 その内に、亘理の声がより一層獣のように変わる。息遣いが荒くなり、内部が絡みついてきて森永を離さないかのように蠢く。これは亘理が理性を飛ばす予兆だ。森永は、もうその事を知っていた。意地悪く、今度は背筋を舌で舐める。すると亘理がむせび泣いた。

「うああっ……あ、あ、ああっ……――ひっ、ああ!」

 見計らっていた森永が、前立腺を突き上げると、亘理の体が跳ねた。シーツを白液が汚す。それを見て喉でくっと笑ってから、森永は激しい抽挿を再開した。亘理を余韻に浸らせてやることはしない。

「いやだ、あああああ、待ってくれ、あああっ」

 亘理の理性が飛んだ。森永が捕食するように、そんな亘理を思う存分貪る。激しく突き上げ、今度は内部での絶頂を促し、亘理を泣かせた。普段凛としている亘理の情欲と涙に濡れた瞳が、どうしようもなく扇情的だった。

 内部だけで亘理が達したのとほぼ同時に、森永も放ち、その夜は過ぎていった。


 翌日は、二人で海の風景を見に行った。ここまでの週末、森永は有言実行を絵に描いたかのように、動物園に出かけたり、そこに隣接する自然公園に亘理を連れて行ったり、時にはプラネタリウムに行き、美術館など十はまわった。そして夕食を外で食べる。様々なレストランに連れて行かれた亘理は、軍から支給されているカードで支払う森永を、いつも見ていた。これもまた、いつか公開されれば二人の仕事だったという扱いになるから、経費として落としても良いのだろうかと考える。

 そしてまた、夜が来る。
 今夜は琥珀色の酒を舐めながら、森永が膝を組んで亘理を見た。

「見つかった?」
「……何が?」

 既に亘理は、気安い口調を覚えていた。だから自然体で聞き返した。

「好きなもの、嫌いなもの」
「……」

 考えた事が無かった。亘理は腕を組んで、右手の指を顎に添えた。

「僕なんて、この三ヶ月で、好きなものも嫌いなものも増えてしまった」
「例えば何だ?」
「――亘理大尉」
「はい」
「そうじゃなくて……亘理依月大尉が好きになってしまった。嫌いなものはね、仕事を口実にしなければ、会う事が出来ない現実」

 驚いて亘理は、森永に顔を向けた。いつもの冗談だろうと考えながら、左手では無意識に煙草の箱を探していた。

「本当に付き合っちゃおうか?」

 森永の微笑はいつもと変わらない。
 だがこれは、森永の本心だった。見ている内に――最初は、亘理が時折見せる寂しそうな瞳に惹かれた。当初は暗い目だと感じていた黒い色の奥に、確かに見える悲愴、そういったものを、この手で癒すことが出来たならばと、いつからか考えるようになっていた。

 それは、誰かを抱く夜に常々用意する、睦言とは異なる。今では亘理一人だけにしか、愛を用意する気になどならない。こんな予定では無かったが、最初に体を重ねたあの夜から、予感はあった。信頼関係を築きたいなどと口にしたのは、ただの方便である。どうやって口説き落とすかしか考えていなかった。

 相応に反応が怖かったから、慎重に時を見た。そして、今ならば振られたとしても、亘理の個人的な仕事上において、有益な情報源である自分が切られる事は無いだろう――つまり関係は維持されると判断して、告白をしてみた。もっともそれは理性的な言い訳であり、感情的には、単純に脈を感じたからにほかならない。ここの所、時折亘理が自分の前で笑みを見せるように変化していた。森永から見れば、それは大進歩だったのだ。

「……」
「亘理大尉も、僕の事が好きになったんじゃない?」
「っ」

 動揺しながら、亘理は煙草を銜えた。火を点けながら、何故なのか冷や汗をかいた事を理解した。冷静な思考は、恋などしている場合では無いと訴える。だがそもそも、思考が冷静な時間は激減していて、ここの所、森永の事ばかり考えている自覚があった。森永の笑顔を見ると、心が軽くなる。森永の好きなものを見に連れて行かれる度、同じものに興味を持つようになった。一緒にいると、何故なのか嫌な現実が遠ざかっていく気がする。

 妹を前にした時の作り物の笑みとは異なる、自然な表情筋の動き――時間を忘れそうになるなどという経験、それらは、亘理にとっても貴重だった。亘理は、森永が好きだった。

「……ああ。そうだな」
「亘理大尉の好きなものが、僕であると覚えておくよ。恋人として、ね」
「……そうか」

 短い言葉だったが、否定しなかった亘理に、森永は内心で歓喜した。

「来週にでも、一緒に指輪を買いに行こうか」
「――木曜日から出張だ」
「ああ、そうだったね」

 そんなやりとりをし、二人は酒を傾ける。幸せが、怖かった。