第二十話
「森永少佐、すごく嬉しそうな顔してますけど、何か良い事でもあったんですか?」
翌週、軍の執務室で、森永に副官の高瀬大尉が声をかけた。
すると森永は、カップを手に、回転椅子を回した。
「分かる? いやぁ、高瀬大尉は鋭いなぁ」
「顔が緩みきってますからね」
「聞いてよ」
「何ですか? 少佐こそ、勿体ぶらないで教えてください」
どこか呆れたように高瀬大尉が言うと、非常に幸せそうな顔で森永が答えた。
「亘理大尉と、恋人同士になったんだ」
「――と、言いますと?」
「もう偽装は終わりで、相思相愛」
楽しげな上司のその声に、高瀬大尉は遠い目をした。
「俺達部下には遇津のVRシステムを探らせたり、軍中央の本部の首脳部の洗い出しをさせたりと、比較的難易度が高い密命を与えて下さりつつ――ご自分は青春時代に立ち返っておられたと?」
「そうなるね。それで、報告は?」
悪びれるでもなく、森永はいつも通りの笑顔で頷いた。軽く頭痛を覚えながら、高瀬が報告書に視線を落とす。
「まず首脳部ですが、護衛が厚すぎて、本人の姿さえ一度も目視は出来ませんでした。ようやく入手できたのは、今後の会議の日程です。この中の何人が、大貫中佐を傀儡に暗躍しているのかすら、まだ不明です。何度も申し上げている通り、相手が悪すぎます。遇津よりたちが悪いですからね」
「なるほどね。直近の会議は、いつ?」
「今日の夕方です。四時から、最上階の第二司令室と調べてあります」
「ありがとう。遇津に関しては?」
森永は静かに瞬きをしながら、ゆっくりと珈琲を飲む。怜悧に変わった森永の表情に、高瀬大尉は少し身震いしてから続ける。何気なく聞いている風でも、上司の頭が高速で回転しているのは、もう長らく副官をしているから気配で感じ取れた。
「――森永少佐と亘理大尉のデート風景の監視に忙しそうでしたね」
「それは知ってるよ。ただ動機が不透明だなとは思う。別段遇津にしてみたら、亘理大尉が僕に、家族の体が脳だけだと話したとしても、不都合なんてないだろう。逆に僕のことも取り込めるとして、喜びそうなものなんだけれどね。最初は、そのために僕の身辺調査がなされているのかと考えていたんだけど……どうやら違うようだね。僕単独だと、監視も尾行もすぐに消える」
「既に手駒の亘理大尉を監視する理由ですか……そりゃあまぁ、当初の俺達同様、弱みを握りたいってことでは?」
「これ以上、さらにって事かい?」
「確かに……そう言われますと……なんだろうなぁ。これが大貫中佐指示なら、嫉妬で気が狂ってストーカーしていると言われても納得できるんですけどね」
高瀬大尉が嘆くように言った時、森永がカップを置いた。両手を組む。
「なるほど、それが真理かもしれない」
「え?」
「亘理大尉が優秀な研究者だったから目をつけたのか、目をつけた亘理大尉がたまたま優秀な研究者だったのか。いずれにせよ、遇津――遇津雪野は、亘理大尉を手中に置くことに成功している。結果は同じことだ。そうなってくると、そもそもの亘理大尉が被害にあった爆弾テロ自体も、改めて考えてみるべきなのかもしれないな」
「遇津雪野が、亘理大尉を好きだってことですか? そんな、まさか。森永少佐、自分がいくら好きだからって、変なことを言い出さないで下さい」
「あながち間違っていないような気もするんだけどね」
「間違いであることを祈りますよ。俺の仕事量的にも、亘理大尉の貞操的にも」
大きく溜息を吐いた高瀬大尉を見て、森永少佐が苦笑した。
――夕方、四時。
森永は、一人で屋上にいた。一つ下の階で、現在首脳部の会議が行われているらしい。
直接乗り込む事は不可能であるし、エレベーター自体、専用のものだから立ち入る術もない。だが、だからと言って、すぐそばにいる敵の姿を見に行かないという選択肢も、森永には無かった。入手しておいて非常階段の鍵を手に、堂々と下へと向かう。軋んだ階段の音にも気を払う事はない。中へと通じる扉を開ける時も、非常に落ち着いていた。
中へと入る。フロアには人気が無かったが、仮に見る者がいたとしたら、誰もが森永は命令を受けてやってきたとでも勘違いしただろう。あまりにも森永は堂々としていたのだ。
真っ直ぐに歩きながら、森永は人気があまりにも無い事に拍子抜けしていた。監視カメラがあるとはいえ、他の階よりも警備が手薄に思える。現に、非常階段からあっさりと中へと侵入できてしまった。これが罠ではないのは、日中に下調べをした時にも確認していたので、明らかである。不思議なのは、総合玄関も見張らせていたのだが、本日要人がやってきた記録を一度も見つけられていないことだ。地下駐車場から直通のエレベーターがあると考えるしかない。
しばらく進んでいき、森永は第二司令室の前に立った。扉を一瞥する。普通のドアノブで、鍵はかけられるが、かかっていないように見えた。そこを通過し、隣室に入る。地図を頭に叩き込んだ時から、その予定だった。
小さな隣室の通気口から、カメラ付きのドローンを放ち、手では小型のタブレットを見る。あっさりとドローンは隣室の通気口に到達し、会議が行われている第二司令室の風景を映し出した。
声がした。会議が行われているという事実に、森永は心の中で部下を褒めた。しかしそれは一瞬であり、タブレットに映し出された風景を見て、眉をひそめた。円卓には、誰も座っていない。無人である。熱探知も同時に行ったが、人体の気配は皆無だ。だが、声はする。ドローンのカメラの角度を変えた時、円卓を囲むようにして、各壁に備え付けられたモニターの中で口を開いている人々を見た。なるほど、遠隔から映像通話で会議しているのだ。これならば護衛は不要だ。納得しながらも――森永は首を傾げそうになった。
遠隔の映像通話は、各個人が好きな場所で発信し、受信できる。特定の部屋を会議室として行うなどという話は聞いた事がない。改めてタブレットの映像を見ると、不可思議な事に気づいた。発言者のモニターに、他のモニターから都度視線が向く。本来の遠隔通話では、自然に正面の映像が展開されるため、視線は動かない。
そう考えて見ていくと、各個人の背景も不穏だった。青空の下にいる者、湖を背にしている者、夜景がよく見える窓の前にいる者、明らかに夏の花が咲く庭にいる者――本来いるべき執務室を背景にしている人間が一人もない。季節も時間も天候もバラバラである。
嫌な予感した。会話が耳に入ってきたのは、その時の事である。
『早く仮想現実同士の共有が出来るようになれば良いんだがね』
『それまでは、こうして各々モニターを通さなければならないというのは不便なものだ』
森永は冷水を浴びせられた心地になり、思わず片手で口元を覆った。
軍が何故、遇津コーポレーションにVR技術の促進を命じているのか、明確に分かった。自分達が脳のみになっているからだ。そして――国には認可させていない理由にも検討がついた。自分達にとって邪魔な人間までが、長々と口出ししてきては、困るからだ。選民意識とでもいうのか、担う自分達のみが、不要な肉体を脱ぎ捨てて軍を統括する。会話の節々から、森永はその意図を感じ取った。
ドローンを回収し、小部から外に出る。取り急ぎ部下達と話し合おうと考えながら、非常階段へと急いだ。扉のノブに手をかけ、小さく嘆息する。怖気がした。
――背後で、何かが振り下ろされる気配を感じたのは、その時の事だった。
目を見開き、小さく息を飲みながら、森永は軍服の中の拳銃に触れつつ、振り返ろうとする。だがそれよりも一歩早く、左首を殴りつけられ、衝撃で森永は意識を失った。