【2】霧の国(☆)


 響いてきた声に、俺は瞬きをしながら顔を上げた。
 ――え?
 おそるおそる俺は周囲を見渡した。そしてポカンとした。首が鶏で、手も鶏みたいなのに二足歩行の人々が、膝をついてズラッと並んでいたのである。背筋が冷えた。恐怖に駆られながら、俺は、俺を抱きしめている人を見た。人――……というのは語弊があるだろう。そこには、赤い瞳をした巨大な鳥がいた。鶏というよりは、こちらは――……鳥だった。表現できない。鳥は鳥だ。俺に語彙はない。金色と白色に光っていて、所々が赤く、羽が動くたびに青緑と金の鱗粉が舞う、巨大な鳥がいたのだ。俺は羽に抱きしめられていて、だがよく見れば影には、鶏みたいな手もある。違う、鳥じゃない。イメージでいうと、これは竜だ……――!!

「アスナ、霧の国にようこそ。今後は永久にここで暮らしてもらう」
「……」
「お前は母親によく似ている――さらに言うなら、あの憎々しき前々皇帝に」

 俺は泣きそうになった。母が霧の国に攫われて、俺の父が救出したというのも、街で噂されているお話として、俺は聞いていた。たしか、その功績で結婚が認められたとかなんとかというもので、完全にデマだと思っていた……。

「だが、俺はお前を愛そう。愛憎は紙一重というのだから、俺にここまで執着させるその顔と血は、特別なものなのだろう」
「いえ、あの、遠慮します、俺帰りたいです」
「――悪いがそれは許さない。お前は、人質でもあるからな。ミモザの民だったのだから知らぬだろうが、帝国と霧の国は、もう長らく戦争中だ。だから帝国は、安全地帯のミモザにお前を置いたのだ。あの国の結界は強固だ」
「……」
「やっと見つけた――早速夜伽を」

 俺は気づくと涙を浮かべて震えていた。


 そのまま、俺は再び花びらに飲まれ――気づくと異様に巨大な白い寝台の上に下ろされていた。動揺しながら後ずさると、鳥の化物が詰め寄ってきた。鋭い爪が、俺の服をすぐに切り裂いた。あ、もうだめだ……恐怖で俺は凍りついた。暴れることすらできない。暴れたら殺されると直感が言っていた。固い爪が、俺の肌に触れた。そのまま押し倒され、俺は鳥の羽の感触に震えた。柔らかいかと思ったら、重くて固い。鋭い嘴が、俺の耳を挟んだ時、気絶しそうになった。ギュッと目を閉じて、なんとか耐える。

「!」

 その時、フッと耳の奥へと息を吹きかけられた。
 瞬間、ゾワリとした。

「あ」

 思わず声が出た。皮膚の内側を、何かが駆け巡ったのだ。鳥の羽が羽ばたくように、皮膚の内側に、快楽が一気に波打った。

「あ、あ、あ」

 また、息を吹きかけられた。するとゾクゾクゾクと、肌の内側で快楽が羽ばたく。弱く息を吹きかけられると小さい快楽が波のように広がり、大きく吹き込まれると全身が性感帯になってしまったかのように全身を強い快楽が襲った。力が抜け、俺は寝台に全身をあずけた。体が熱い。涙が浮かんでくる。なんだこれ。理性では怖いと思っているのだが、それも快楽に陥落して、段々思考がかすみ始めた。

「ン」

 今度は物理的な羽で肌を撫でられ、俺は声を漏らした。全身が溶けてしまいそうな気がしていた。震える体で鳥の化物を見ると、服の間から、人間ではありえないほど巨大な赤い楔を取り出したところだった。動物の鳥とも全く違う。沢山の疣がついていて、見るからに凶悪だった。固く実直なそれの先端からは、ドロドロと蜂蜜のような精液が溢れている。

「たくさんの卵を孕んでもらわなければな」
「嫌だ、やめろ」

 先端を俺の菊門に、容赦なく鳥があてがった。入るわけがない。
 それ以前に、恐怖と嫌悪で俺は泣いた。だが、力が抜けきっていて、体が動かない。
 俺は男だ、雄に後ろを暴かれるという本能的な拒絶感もある。
 だが――化物に触られておかしくなっている自分の体が一番気持ち悪い。

「やだ、いやだ」

 そう思って、俺は泣いた。
 ピシャリと頬に熱い液体がかかったのは、その時だった。
 顔を上げると、目の前にあった鳥の化物の頭が無くなっていた。

 鮮血が、俺の顔と体と寝台を汚す。
見れば、上質な黒い外套を来た一人の青年が、剣を横に払ったところだった。

「――アスナ=ウェルナースか?」

 冷たい声だった。俺は目を見開いたまま、小さく頷いた。
 そんな俺を、じっとその人物は見ていた。両目を細めて、少し顎を持ち上げている。
 それからため息をついて、彼は外套を脱いで、俺にかけてくれた。
 混乱していた俺は、それをただ見ていた。

「俺はゼル=アルファス・ゼリアという。アザレア帝国皇帝だ」
「……」
「素直に俺と来るというのであれば、霧の国の化物から救出して後宮に迎えたという美談を添えて、貴方を帝国に迎える」
「……」
「断るのであれば、既に鳥に暴かれ殺されていたとして、ここで首を落とす」
「!」
「好きなほうを選べ。早急にな。鳥は頭を落としても、不死だから明朝には蘇生する。日が昇るまで、もう一時間もないだろう」
「帝国に行きます」

 涙を浮かべたまま俺は言った。それ以外の選択肢はない。
 なにせ鳥が怖い。鳥の恐怖の方が、目の前の人間の恐怖よりは薄い。

「では寝台から降りてこちらへ」

 俺は頷いて、立ち上がろうとした。だが――体には力が入らなかった。
 さらに、気づいてみると、呼吸するたびに、肌の内側で、快楽が羽ばたくのだ。

「あ、ああっ……うあ」

 どんどん酷くなる。俺は必死で息をするのだが、そうするとなおさら悪くなる。
 目眩がして、俺は逆に寝台に倒れこんだ。体が熱い。
 もうだめだと思った。

「あ……」
「早く――」
「やっぱり殺してくれ」
「っ」
「ダメだ、自分の体が気持ち悪い」

 それだけ言って、俺は意識を落とした。そこから先は、覚えていない。





「ん」


 俺は、甘い匂いで目を覚ました。甘い、というのは、感覚的なもので、実際には澄んだ花の匂いというのが正解だろう。何度か瞬きをすると、俺は真っ白なツツジが周囲に咲き乱れている場所に居た。天井との間にも花が見える。それはツツジではなく百合だった。俺は柔らかな寝台に寝ているようで、分厚い布団がかけられていた。ここは、どこだろうか? そう考えながら起き上がると、正面には緑色に光る不思議な金の紋章が掘られた壁があった。蔦と百合に思えた。

「目が覚めたか」

 声がしたので視線を向けると、執務机が置いてあり、そこに向かって書類に羽ペンを走らせている青年がいた。確か――皇帝陛下だ。

「ここは、葉澄の宮殿の百合の間だ。正妃の執務室兼私室だ。そこの花には浄化作用がある。少しは楽になったか?」
「……帝国なのか?」
「そうだ。今後はここで過ごしてもらう。貴方を救出したことは、ミモザにも伝えてある」
「……」
「今日はゆっくり休むと良い」

 パタンと書類を閉じて、皇帝陛下が立ち上がった。
 出て行く彼を、俺は眺めていた。お礼を言いそびれたなと漠然と思った。


 この日から――俺は、アザレア帝国の正妃になったのである。