【三】無茶ぶり
黴臭い地下の牢獄を回ると、独房の鉄の向こうに受刑者達の姿が見えた。最初に担当されるのは独居房だ。凶悪犯罪者が収監されている事が多い場所でもあるが、一人ずつ確認するだけだから、比較的見回りは楽だ。
ブラブラと散歩気分で歩く。道中は無言。
話しかけてやるような気遣いは、俺には無い。
ここにいるのがカイだったら明るく接してやったかもしれないが、アルトに興味は無い。
一通り歩いてから、俺はアルトに振り返った。
「終わりだ。明日から、規定時刻にこのフロアの見回りは任せた」
「分かりました」
「よし第二のオフィスに戻る。帰ったら、書類を渡す」
結構たまっている書類は多いから、即戦力が入ったという意味では有難いか。
指導を名目にアルトに投げておけば、俺の仕事は随分と楽になるのは間違いない。
帰りの道中においても、特に俺達の間に会話は無かった。
戻ってから俺は、オニキスのデスクに、『明日から地下第四エリアの見回り指導をする』というメモを残す事にした。そう、本来は研修中は、二人一組で見回りだ。だがあくまで、『本来』だから、本人も『分かった』と言っていたし、別に良いだろ。面倒くさい。
その後、俺はアルトのデスクに、ごそっと書類を持って行った。俺の席からもよく見える位置だったその机が、書類の山で埋もれる。
「三日以内に終わらせろ。早ければ早いほど良い」
「はい」
普通は一週間はかかるだろう。資料を読んだりしないとならないしな。やり方だって教えていないし。が、まぁ、基礎は学校でやってきてるはずだし? お手並み拝見といこう。顔布で表情は見えないし、声は淡々としているから、何を考えているのかはさっぱり分からないが、今の所、従順なのでよしとしよう。
とりあえず指導が俺の仕事である現在、もう今日やる事は終わったと言える。
ちょっと休憩するか。
俺はジャケットの内ポケットに煙草とライターがある事を再確認してから立ち上がった。屋上に行こう。
「俺は出てくるから、きちんと片付けておけよ」
一応上司らしくアルトに声をかける。すると頷くのが見えた。出来るものなら、本当に頑張ってもらいたい限りだ。その後オフィスから外に出た俺は、ゆったりとした足取りで階段を登り、屋上へと向かった。
ボックスから一本抜き出し、口に銜える。銀色のオイルライターで火を点けてから、俺は深々と煙草を吸い込んだ。肺を満たす煙が心地良い。それからまだ朝の色が濃い空を見上げて煙りを吐いた。
それから二十分ほどダラダラと煙草を吸いながらサボり、俺はオフィスに戻った。すると小会議室二から、オニキスとカイが出てきた所だった。まだ俺のメモはオニキスの机の上にあるのが遠目にも分かる。
……パンフレットの説明に、二時間くらい費やしてないか、こいつら。
絶対新人指導のオリエンテーションにかこつけて、何か話してたんだろうな。
気になる。俺は、ニタァっと笑いかけたが、カイの前では男前上司の印象を崩したくないので、表情を引き締めた。
「おう、そっちも終わったのか?」
「ああ。今から見回りについて教えてくる」
オニキスが優しい顔をしている。カイは満面の笑みだ。初遭遇時の今朝より、明らかに二人の距離は縮まっている印象だ。なんだったんだろうな、久しぶりの再会で緊張でもしていたのか?
「こっちは地下第四を案内済みだ」
「えっ」
「明日からアルトと担当する」
「本気か、ジェフ。あそこは凶悪犯ばかりで、いくらお前が一緒に回るとは言え、新人には荷が――……」
「平気だ」
俺は一緒に回るつもりなど毛頭無かったが、断言しておいた。オニキスは狼狽えた顔をしているが、まぁ良いだろう。知った事ではない。
オニキスはその後、俺をじっと見据えてから頷いた。
「こちらは地下第二の模範囚エリアを担当したいと考えてる」
「妥当だな。任せたぞ」
安全中の安全な場所の見回りは、新人にとっては適切だ。しかもオニキスは、自分も回るつもりで間違いない。アルトが辞めようが気にならないが、カイには是非とも俺を楽しませて欲しいので、俺としても有難いチョイスだ。
俺達が小声でやりとりをしている姿を、カイが小会議室の前に立ち止まり見ている事に気がついたので、俺はそちらに顔を向け、優しく微笑しておいた。
「所でオニキス。今夜、空いてるか? 新人の事で少し打ち合わせがしたい」
「空ける。俺も話したい事があるんだ、親友のお前に」
俺を親友だと思っているところがやはりオニキスはちょっと良い奴過ぎるが、まぁ……良いか。だってな、気になるしな。オニキスとカイの事が。
こうして約束を取り付けてから、俺は見回り研修のために出て行くオニキスとカイを見送った。そして表情を通常のものに戻して、チラリとアルトを見る。視線を向けると、万年筆を書類に走らせて、真面目に仕事をしているのが見て取れた。
それとなく歩み寄り、完成したらしき書類の方の前に立つ。
するとアルトが手を止めた。
「続けていろ、ちょっと確認するだけだ」
簡潔に告げてから、俺は書類を見た。
そこには達筆な字が並んでいる上――……内容も完璧である。こりゃあ、真面目に俺が教えられる事は無ぇな。楽で良い。他の仕事もやらせよう。
「このペースなら、明日には終わるだろ?」
俺は無茶ぶりをする事に決める。俺の言葉に、一瞬アルトの体の動きが止まった。さすがにこいつも驚いたらしい。
「終わらせろ」
「……」
「返事」
「その……」
「返事は、『はい』だ。ここでは、それ以外は認めん」
「……はい」
「明後日の分も運んできてやる。気合いを入れろ。あと、見回りも忘れるなよ」
我ながらちょっと冷ややかすぎる声になったが、まぁ良いだろう。厳しさも愛の鞭という事で、な。うんうん。そんな風に思いながら、俺はアルトの仕事を増やす事に決めた。
押しに弱そうで、何よりだ。