【四】励ましたりはしない。







「――で?」

 勤務終了後、新人も初日くらいは定時で上がる事が多いのだが、カイはオニキスに促されて早々に帰ったものの、アルトは絶賛仕事をしている現在。帰り支度を整えた俺は、オニキスの背後に立ち、その肩を叩いた。

「ん? あ、ああ。行くか……?」

 オニキスは振り返ると笑顔を浮かべてから、我に返ったようにアルトへと視線を向けた。その瞳が語っている。『放って帰るのか?』と。

「行こう」

 俺はナチュラルに無視した。オニキスは、深く追求しては来なかった。カイの事は別として、やはり基本的にはオニキスだって、己の仕事を増やすタイプでは無いのは明らかだ。

 サクっと荷物をまとめたオニキスが立ち上がる。俺は先に扉へと向かった。特にアルトに対して声をかける事もない。先にオフィスを出て、階段を目指して歩いていると、すぐにオニキスが追いついてきた。

 その後俺達は、刑務官寮脇の坂を下りて、小さな街の繁華街を目指した。辺鄙な土地のため、飲食店はほとんど無い。その中で俺とオニキス――に、限らず刑務官の行きつけの酒場が、『光のタマゴ』という創作酒場だ。マスターの気分で料理が作られるため、メニューは毎晩変わる。店外と店内の黒板に白いチョークで手書きされている事が常だ。

 俺が扉を開けると鐘の音が響いた。店内は混雑しているとは言い難い。刑務官くらいしか来ない店だが、基本的に魔導刑務官の仕事は激務なので、定時に上がれる事が少ないからだ。俺は今日はアルトに押しつけてきたし、新人研修担当者の場合は研修期間の三ヶ月程度は普段の業務が少し減るからオニキスも余裕が有るようだが。一応管理職にあるから、俺には通常業務以外にも色々と仕事が有る。さすがにそれはアルトに任せる事も出来ないが、俺は手を抜く事も得意だ。

「マスター生、二つ」

 俺はカウンターに座りながら頼んだ。隣にオニキスも座す。俺達がそろった場合、基本的に一杯目は生麦酒だ。豪快に笑って頷いたマスターが、お通しの紫鳥のたたきを俺達の前に置いた。

「お疲れ」

 すぐに届いたジョッキを、俺はオニキスに向ける。

「乾杯」

 ジョッキを合わせたオニキスが、グイッと煽った。それを見て、俺も呑む。俺もオニキスも酒は強い方だし、量も呑む方だ。

「どうだった、新人は?」

 俺は迷わず水を向ける。さも気遣っている上司兼親友風だろうが、ただの好奇心からだ。

「カイは頑張ると話しているし、実際頑張り屋だ。だから応援したい気持ちは有るし、仕事である以上、指導に手を抜くつもりは無い」

 オニキスが透き通るような目をして述べた。

「頑張り屋? 一日で分かるもんか?」

 俺はカマをかけた。するとオニキスが、グイッと続けて呑んでから、そのまま麦酒を飲み干した。ペースが早い。そのままオニキスが二杯目を頼んだ。いつも自分のペースで呑むオニキスにしては珍しい。

「――カイは、俺の義理の弟だったんだ」
「弟?」
「俺の父とカイの母親が、再婚したんだ。俺の母は、俺が子供の頃に亡くなってる。だから血は繋がっていないが、戸籍上は兄弟だったんだ」

 初めて知る情報に、俺は腕を組む。

「その後俺は、本家に跡取りがいなかった為、伯爵家の養子になった。だから厳密には、再び籍の上では兄弟ではなくなった」

 なるほど、それで過去形の『だった』なのか。
 この国内には、貴族制度が根付いている。例えば、オニキスのセネット伯爵家なんて名門中の名門の一つである。俺はジョッキを傾けながら、静かに話を聞く事に決める。

「俺は喜んだよ」
「喜んだ?」
「――ずっと、カイの事が好きだったからだ。義理であっても兄弟間では結婚できない。男同士の場合は、最近、同性婚の法整備が進められたから、可能になっただろ?」
「ま、可能にはなったが、ほぼ例は無いな」

 無い上に、跡取りがいなくて養子に迎えられたのだから、オニキスには女性以外と結婚する未来があるのか不明だと思うが。

「カイも俺の事を想ってくれていた。だから将来、必ず添い遂げようと約束した過去がある。ただ……」

 そこまで言うと、オニキスの顔が曇った。静かにオニキスがジョッキを置く。

「王都で魔導テロがあったのを覚えているか? エファルダ塔に魔導爆弾がしかけられた事件だ」
「まぁなぁ。史上最悪のテロ事件だ」
「――あの日、俺はカイとエファルダ塔にいたんだ。そこで、爆発からカイは俺を庇って負傷した。数ヶ月意識が戻らなかった」
「!」

 俺は書類で見た、王立学院の休学騒動について思い出した。なるほど、テロ事件とも時系列がぴったり合う。

「俺はあの日から、犯罪者を憎んでいる。だから、周囲の反対を押しきって、魔導刑務官になった」
「そうか」
「同時に――カイと離れたかったんだ。また、俺を庇ってカイが傷つくような事があったらと思うと、俺は怖かった。俺がそばにいなければ、カイが傷つく事は無かった」
「ほう。それで、つまりはその事件をきっかけに別れたという事か?」
「……いいや。俺が一方的に距離を取っただけだ。ただ、自然消滅を疑っていなかった。俺はこの土地に逃げてきたんだよ。実家とも養子先とも連絡を絶っていた。そうしたら……春先に、カイがこの土地に来るという連絡があったんだ」

 オニキスの目が暗くなった。それから、苦笑を表情に滲ませた。

「カイは、俺に言ったよ。さっき」

 おいおい、お前らさっきまで仕事中だったろうが。

「俺を追いかけてきたと。俺の事が忘れられないと。そんなの、俺だって同じだ」

 酔ってるな、オニキス。酒にじゃなく、自分の境遇に。というか、カイもカイだ。勝手に願って逃げ出した男を追いかけてくるとは……。これまで良い奴だと思っていたが、俺の中でオニキスの評価は下がったし、カイに関しては恋愛脳認定が出来た。

 うん。容赦なく二人を俺の玩具にして、引っかき回してやる事に罪悪感が消えた。

「だが、俺は怖い。またカイを失ったらと思うと……だから今後は、ただの親戚として、そして指導教官として頑張るつもりだ」

 オニキスは三杯目を頼んだ。愚痴っぽいこいつを初めて見たが、本当に思い悩んだ結果なのだとは思う。こんな時、本当の親友なら、励ましたりするのだろうが、俺はそんなに性格が良くは無い。

「じゃ、カイは俺が貰うわ」
「――は?」

 三杯目を受け取ろうとしていたオニキスが、ジョッキを取り落としかけた。
 俺は満面の笑みだ。

「俺、カイみたいな美少年系タイプなんだわ。良いよな、可愛くて」
「な」
「このむっさくるしい場所でのオアシスというか」
「……ほ、本気で言ってるのか?」
「おう。お前は諦めるんだろ? だったら、良いよな?」

 俺は笑顔のまま言い切った。励ましはしないが、たきつけるくらいはしてやる友情はある。尤も、どちらかに隙があれば本気でヤり捨てさせてもらう所存だが。

「お、俺としては、カイにはこんな危ない仕事は退いて、王都に戻って欲しくて……」
「でもカイはやる気に満ちてる頑張り屋なんだろ? お前、進路に口出しする権利有るのか?」
「カイはただ俺を追いかけてきただけで――」
「だとしても、刑務官になったのは本人の意思だ。動機がなんであれ、俺は頑張る奴は適切に評価するぞ」
「……」
「マスター、俺に二杯目!」

 こうして俺も二杯目を頼む事にした。オニキスは唖然とした顔をしている。
 その顔が面白かった。