【五】忘れ物と残業と呑みニケーション
その後、慌てふためくオニキスを酒の肴に、俺は酒を飲んだ。オニキスは終始何か言いたそうだったが、すぐに俺は話を変えて、今年の春は暑いから夏も最悪だろうという世間話に切り替えた。
そして――魔導通信機が無い事に、四杯目を呑んでいる途中で気がついた。
「あ、やべ。忘れてきたわ」
これでも主任の俺には、緊急連絡の可能性は常にある。
「取りに戻らねぇとな。悪い、先出るわ」
「俺も帰る。な、なぁ、ジェフ。カイの事なんだが――」
「仕事の話は終わりだ終わり。マスター、会計を頼む」
俺は適当に濁して支払いを済ませた。外に出ると、夜風がまだ涼しかった。既に空には星が散らばっている。青味がかかって見える暗い空を一瞥してから、俺は坂を上り始めた。オニキスも慌てたようについてきたが、何も言わない。カイの事で、実際には言いたい事だらけなのだろうが、俺には聞いてやるつもりは無い。
「じゃーな」
そうして俺は寮の前で、オニキスと別れた。オニキスは俺を引き留めようとしていたが、俺は『通信機が無いと困る』として、取り合わなかった。
そのまま刑務所へと戻る。暗い階段を登っていく。夜勤がいるから鍵は開いている。ゆったりと階段を登り、俺は第二のオフィスを見た。時間は午後十時過ぎ。夜勤組のオフィスは別にあるため、予定では灯りは消えているはずだった。
が。
電気がついている。
誰だ?
激務薄給の職場であるし、仕事で残る者は珍しくは無いが、今日は特に残業をしそうな人間に心当たりは無かった。多くの場合残業は、新しい受刑者が入った時に生まれるからだ。今日入ったのは刑務官側の新人だけで――……と、思いながら扉の窓から中を見る。
「!」
するとオフィスにたった一人で残っている、アルト=ベックフォードの姿が見えた。万年筆を動かしているのが見える。
「ふぅん」
熱心なのは良い事だが……誰か、帰るように言ってやれよな。ま、本来はそれは、俺の仕事だが。俺は、わざとらしく音を立てて扉をノックした。そして音を立てて扉を開ける。
「まだ残っていたのか」
「っ、はい」
アルトが目に見えてビクリとした。随分と集中していた様子だ。
「確かに明日には終わるだろうと言ったのは俺だが、普通は勤務時間内に仕事は済ませるものだ。残業しないと終わらない無能だという自己紹介と取ったぞ」
「……っ、す、すみません」
「で、どこまで進んだ?」
「……明日一日あれば、終わるくらいまでは」
「じゃ、さっさと帰れ」
俺は自分のデスクへと歩み寄って、魔導通信機を手に取った。これは魔導カメラとレコーダーがついていて、通信機能の他に魔導動画や音声の録画・録音なども出来る、高機能魔導具だ。
「おら。早く帰り支度しろ」
「っ、え、あ……はい……」
「明日寝不足で遅刻したなんて言ったら減給だからな」
「……はい」
「晩飯は食ったのか?」
「いえ……」
「お前な、自己管理は学校で習うまでもない、基本中の基本の資質だぞ? それすら出来ないんじゃ仕事にも期待出来ねぇな」
俺はそう吐き捨ててから、これみよがしに溜息をついた。真面目なだけで柔軟性に欠ける人間なんぞ、特に不必要である。刑務官のイメージとしては、真面目な方が好まれるのかもしれないが、俺の部下に限った場合。
「……」
「ほら、帰るぞ。立て」
「は、はい」
苛々しつつ、俺は鞄を持つアルトを見ていた。それから扉に向かう。並んで立つと、1cmしか身長が違わないから、無駄にイラっとした。
「これからはもっと早く仕事をしろ。で、帰る時は電気を消すように」
「はい」
「残業をする場合も、体力が落ちないように必ず飯は食え」
「はい……」
「一階に売店もある。昼はどうしたんだ?」
「その……忘れていて」
「お前は馬鹿だったのか。明日からはきちんと、規定時間には昼休憩を取れ」
「……はい」
俺は素直にアルトが扉から外へと出たのを見てから、電気を消した。
寮は皆同じ棟なので、一緒に帰る事になる。
俺が先に階段を降り、アルトは無言でついてきた。
一階まで降りきり、俺はチラリと後ろを振り返った。アルトは、喫煙所に顔を向けている。そういえば施設案内をしなかったな。まぁパンフに書いてあるし良いだろう。きっと物珍しいのだろうなと思いながら、エントランスへ向かう。
しかし、飲み足りないな。
「おい」
「はい」
「呑みにでも行くか?」
「――え?」
「夜の蝶がいる店的な所に」
俺は結構気軽に他者を飲みに誘う方だ。辺鄙な土地ではあるが、娼婦や男娼、花は売らないが酒を注いでくれる美形がいる店は、繁華街の隣の通りに並んでいる。
「夕食まだなんだろ?」
「いえ……結構です」
「上司の誘いを断るのか? あ?」
「……え、でも……明日も朝四時から牢獄の見回りがありますし……」
「それはそうだな。じゃ、部屋呑みにするか」
「……」
「付き合え。俺の部屋に幸い、この前転属した奴が置いてった缶の麦酒がある」
俺が述べると、明らかにアルトが困ったような気配を醸し出した。俺は人を困らせるのが好きだ。なお俺は主任なので、一人部屋だが、アルトには同寮者がいるはずだ。だから俺の部屋に誘っただけである。
「さっさと歩け」
「……はい」
アルトはやはり押しに弱い様子だ。俺に否と言えていない。それに内心で吹き出しながら、俺は寮へと急いだ。そして第一棟のエレベーターホールへと、アルトを引っ張っていった。
「お前は二棟だったか?」
「三棟です」
「へぇ。誰と同室だ?」
「カイ=フォスターです」
「ふぅん」
まぁ配属を考えれば妥当である。到着したエレベーターの中に、問答無用でアルトを押し込み、俺は七階のボタンを押した。そして到着した七階で降りて、自分の部屋の前まで歩く。アルトは無言でついてきた。
「入れよ」
こうして俺は、アルトを自分の部屋に招いたのだった。