3:本気なのか……?
事後、俺は気だるいからだで、毛布にくるまった。息が上がってしまっている。まだ収まらない。虚ろ瞳でラスカを見る。俺の老いた体には、若いラスカの体力についていく容量が無かったらしい。
しかし……なんでこんな事になってしまったのだろうか。
そう考えた時、ラスカが俺を見た。
「準配偶者の届けを持ってきたから、サインをしてくれ」
「……本気なのか?」
「うん? ああ、私は本気だ。バルトは今後、私の準配偶者だ」
差し出された羊皮紙を見る。本物の届けだ。渡された万年筆で、俺はぼんやりとしたまま自分の名前を書いた。それを渡しながら、俺は尋ねた。
「それで、俺はこれからどうすれば良いんだ?」
「今まで通りで良い。何も気にしないでくれ!」
ラスカはそう口にしてから、帰っていった。残された俺は、その後眠った。
翌日は、いつもの通り、クランへと向かった。
俺のクランは、個性豊かな人間が多い。没個性的な俺以外。
強いて俺の特徴を挙げるとするならば、コミュ障のぼっちのおっさん、これにつきる。
クランというのは、同じ職業の者同士の集まりだ。みんなで大規模な仕事を受注したり、個人で請け負う際には協力を要請したり、まぁそう言った場所だ。このクランは、賞金稼ぎのクランである。
誘われて俺がこのクランに入ったのは、一週間前である。
それまで俺は、一人だった。
「おはよう、バルト」
俺がクランの扉を開けると、ラスカが振り返った。
彼はこのクランで生まれ育ったというから、クラン歴では叶うわけもない。二十年近く、ラスカはこのクランに所属しているようだ。俺は繰り返すが一週間である。以前からラスカの事は知っていたが、まともに話をしたのも一週間前が最初である。
「どうも」
我ながら無愛想な俺は、俺なりには必死に挨拶を返した。
昨日のことが脳裏をよぎったが、特にラスカは触れてこない。いつもと同じに見える。
意識しているのは、俺の方である気がした。
だから逃れるようにその後、奥のカウンターへと向かった。クランにも、冒険者ギルドから依頼書が届くため、俺はここ一週間は酒場に募集を見に行かず、クランのカウンターで依頼書を見るようにしている。
カウンターに座ると、自然と琥珀酒が出てきた。酒、と、名前に入っているが、これにはアルコールは入っていない。ノンアルコールビールである。見た目は麦酒だ。味も麦酒だ。だが、酔っては仕事にならないため、俺は日中は飲まない。それをカウンターの奥にいる、このクランのマスターは知っているのである。
「ありがとうございます」
ニコニコ笑っている老人に礼を言い、俺は琥珀酒を傾けた。泡が美味しい。
同時に手渡された、おすすめの依頼書を見る。
黄色食虫植物討伐の依頼だった。簡単に言えば、草むしりである。
魔術師以外だと、魔力を吸われて命が危うくなるのだが、少しでも魔力があれば、黄色食虫植物はただの雑草としか言えなくなる。けれど、黒魔術師や白魔術師のような優れた魔力の持ち主は、草むしりなどしないから、この種の依頼は、灰色魔術師に回ってくる事が多い。俺の主要な金策でもある。
「行ってきます」
俺が答えると、マスターが笑みを深くした。
「バルトのように、こういった地味な仕事を堅実にこなしてくれる魔術師が入ってくれて、わしは幸せじゃ」
お世辞だろうが、言われて悪い気分はしない。
琥珀酒を飲み干してから、俺は立ち上がった。
よく磨かれた木の床の上を歩き、出口へと向かう。するとラスカが扉の隣に立っていた。
「バルト、依頼に行くのか?」
「……ああ」
「依頼書見せてくれ――ってまた、地味だな。手伝いは、いらない、か……?」
「ああ」
草むしりである。さすがに俺も一人で大丈夫だ。
だが、こうして声をかけてもらえるだけでも、今まで一人だった俺には、新鮮で有難い事である。と、昨日までならば思っていた。だが、今日の俺は彼の言葉の意図を探ってしまう。
「……行ったら、邪魔か?」
すると、ラスカが続けた。意味が分からず、俺は首を捻る。
「いいや……?」
草むしりには、何人いても特に問題はない。けれど来ても利点は無いだろう。草むしりの報酬は、5000ゴールドだ。メインで依頼を受けた俺が3000としても、ラスカには、多くても2000ゴールドしか入らない。
「良かった。よし、行くか」
しかしラスカは、一緒に来るつもりらしかった。俺よりも先に、扉から出ていく。俺は首を傾げつつも、静かにその後に従った。
二人で街を歩く。目的地は郊外だ。石の路を歩きながら、俺はラスカをそれとなく観察する。意図がよく分からない。新人の俺に気を遣ってくれているのだろうか。先程から、ラスカは、一人でずっと喋っている。内容は、天気の話、好物の話、武勇伝。俺は適度に相槌を打っている。元々俺は話すのが得意ではないから、頷くので精一杯だったが。
それは、草むしりの間も続いた。ラスカは、次第に会話の内容を質問にシフトしてきた。俺にプロフィールを根掘り葉掘り聞いてくる。聞かれて困るような事柄は無かったため、俺は適当に好きな色等を答えた。こんな事を知ってどうするのかと思ったが、あちらもあちらで気を遣ってくれているのだろうからと、俺も必死に答えた。
依頼を終え、依頼主に受領印を貰う。後はギルドに戻ってそちらのハンコも貰えば、依頼は完了である。帰路につきながら、俺はラスカを見た。そしてこの日初めて、自分から話しかけた。
「報酬の何割いる?」
「へ? あ、いらない。私は、ただその、そ、その、バルトと話をしたかっただけだからな」
「そうか」
俺は頷き、マスターの采配を仰ごうと決めた。本人がいらないと言っても、俺にはまだクランのしきたりがよく分からないため、支払った方が良い可能性もある。結果マスターにも報酬は俺一人が受け取って良いと言われた。
この日の仕事はここまでと決めて、俺は帰ることにした。
「家に行っても良いか?」
すると入口の所でラスカに言われた。瞬間、クラン中の視線が集まった気がした。
「……」
俺は言葉に詰まった。断る事は、法的に難しい。だが奇異の視線にさらされて、体が硬直する。俺が灰色魔術師だという事はみんなが知っている。家に来て良いとここで口にすれば、俺達の関係は皆が知る所になってしまうわけだ。
「届けを提出してきたから、その控えを渡したくて」
ラスカが続けた。するとクランの建物の中が、水を打ったように静かになった。
そして――次の瞬間、大歓声に飲まれた。
ポカンとしたのは、俺だけである。
「実ったのか!? おめでとう、ラスカ!」
「絶対に無理だと確信していた」
「言えよバルトも」
「おめでとう!」
各地から麦酒が飛んできて、俺はびしょ濡れになった。この周囲の反応に困惑していると、ラスカが俺の前で苦笑した。
「私がバルトに片思いしているというのは、みんなが知っていたんだ」
それを聞いて、俺は目を見開いた。
――片思い?
魔力の供給関係での準配偶者書類だと、俺は考えている。だが――同性同士の結婚時も、実は同じ書類なのだ。俺は動きを止めた。
「お幸せに!」
そのまま、俺はクランの人々に送り出されたため、何も言うことが出来ないままラスカと外を歩くことになった。