16:トルテ村


 ダンジョンでコンビニの確認をし終えた僕は、ウォルフがトイレに行きたいと言ったのでそれを見送っていた。勿論尿意もあるのだろうけど、おそらく早く装備をつけてみたいのだろうと思う。コンビニ――レジを使うのが難しそうだったので、使い方を近くの壁に表記してみた。後は何をすればいいかな。コーヒーを入れる器具とか合った方が良いかな。

 その時だった。

『この前はお見送りに出られなくて、ごめんなさいっ、ファウストです! 実は、これからグリムさんお忙しくなりそうなので、先にお伝えしておこうと思うことがあります』

 何だろうかと思いながら、僕は腕を組んだ。

『まずは、ダンジョンの名前を決めて下さい。デフォルトだと≪常闇の森の地下迷宮≫になりますっ』
「別にそれで良いよ」
『承知しました、後は、人の呼び込みですっ』
「呼び込み?」
『ダンジョンがあるって誰も知らなかったら、冒険者が来ないじゃないですか。そろそろ近隣の村に噂を持って行ったり、遠くにいる冒険者にそれを伝えた方が良いですよ。冒険者が来るまでには、徒歩や馬、馬車でも数日かかりますし。電車はないですからね。勿論車も飛行機も気球も! ましてや転移なんて、最高位の人間魔術師やエルフの魔術師でも使えるか微妙ですし、本人以外は基本的に飛べないと思います』
「分かった。じゃあ今日にでも行ってみるよ」
『お願いしますっ、あ、ですけど勿論、一年が経過するまで、ダンジョン入り口は見えないからご安心下さい。では!』

 こうしてファウスト君とのやりとりを終えた頃、丁度トイレからウォルフが出てきた。
 やっぱり、先ほど購入した鎧に似た装備や、斧を持っている。

「似合うね」
「……そうか」

 僕が微笑すると、ウォルフが照れるような顔をした。

「これから、外に出てトルテ村に行こうと思うんだ」
「村、か」

 すると兎の耳が、悲しそうにたれた。

「俺は行かない方が良いだろうな」
「そうかな? よく分からないけど、長閑な村だし、何ならフード付きのマントでも被りなよ」

 僕がそう告げて、黄土よりは白に近い色のフード付きのマントを差し出すと、ウォルフが驚いたような顔をした。

「良いのか?」
「うん。さ、行こう」

 こうして僕らは一緒に初めて、ダンジョンの階段を上がった。
 上がり終えるとそこは暗い洞窟で、外へと出ると、久しぶりに感じる陽光がまぶしい。
 だけどポカポカと優しい温もりを感じた気がして、僕は思わず頬をゆるめた。
 周囲の森からはすがすがしい葉の香りが散っている。

「綺麗だね」
「ああ、そうだな……昔は何気ない光景だったはずなのに……懐かしすぎて辛い」

 その言葉に振り返ると、空を見上げて、ウォルフが潤んだ瞳をしていた。

 僕には、エピソード記憶がないから、何の感慨もなくただ綺麗だと思ったのだけれど――懐かしいと言って、なにかを思い出すウォルフが少しだけ、うらやましくなった。たとえそれがどんなに辛い記憶だとしても。

 時折僕も考えるのだ――僕は元々いた世界(?)で、一体何を考えて、どんな風に生きていたのかなって。だけどそんなことは考えるだけ無駄だと思うんだ。

「行こう。村までどのくらいかかるのか分からないしね」
「ああ。俺が先を歩くから、後を着いてきて欲しいんだ」
「どうして?」
「モンスターが出たら困るから」
「あ、なるほど……だけど、それなら大丈夫。僕が、僕たち二人の

 周囲に結界を張って、何も襲ってこないようにするから」

「――そんなことが出来るのか?」
「ほら、その……魔術師だから」

 そういって杖を振ると、透明な緑味かかった結界が現れた。

「だけどこの範囲から離れちゃうと危ないから、一緒に歩いてね」

 それから暫く二人で歩いた。一々感動するように、木々や草を眺めているウォルフを見ていたら心が和んだ。耳を引っ張ってみたくなる。

 そんなことを考えていたら、こちらを向かれた。

「歩くのが遅いな」
「あ、ごめん」
「別に」

 簡潔にそう言ってから、ウォルフが歩く速度を遅くしてくれたのが分かった。
 ぶっきらぼうで、どちらかといえば無表情で寡黙。
 それが僕のウォルフへの第一印象だったのだが、”優しい”や”気がきく”を追加しても良いかもしれない。

 村までは、モンスターと遭遇しなかったこともあるが、事前にモニターで道を確認していたので、獣道を抜けて、比較的広い押し固められた土の通路に出てからは、すんなりと村へとたどり着いた。昼の11時頃に家を出てから、着いたのは大体2時くらいだった。

 モンスターとの戦闘を加味しても、3時間か遅くても4時間で、ダンジョン入り口までたどり着けるだろう。

 それから気づいた。

 僕は食べなくても平気だったけど、そろそろウォルフはお腹が空いてきたんじゃないかと思う。

「なにか食べようか? 何が良い?」
「折角トルテ村に来たんだから、トルテが良いんじゃないか? 木苺ジャムが有名だし、ジャム入りのトルテ。あまり俺は、お前が甘いものを食べている姿を見ていない。嫌いなのか?」
「ううん。そういえば、最近甘いもの食べてなかったかも。だけどこの村のこと詳しいんだね」
「噂だけで本当かは知らないけど、兎獣人の俺の従兄が、人間に嫁いだって聞いたことがあるんだ。混血でも子供は生まれるしな」

 そうなんだと思いながら、僕はふと思い出した。教会前を走り回っていた子供の内の一人が、やはり兎の耳をつけていたような気がしたのだ。

「ところで……ずっと聞きたかったことがある」

 急に足を止め、ウォルフが真剣な顔をした。
 慌てて僕も立ち止まり首をかしげた。

「何?」
「その、名前……なんていうんだ?」
「へ?」

 予想外の質問に僕はうろたえた。思い出してみれば、確かに名乗った覚えがない。

「ごめん、あのね、僕の名前は、グリムって言うんだ」
「グリム様?」
「グリムで良いよ。さっき、お前とか言ってたんだし」

 クスクスと笑いながら僕が言うと、何故なのかウォルフが赤面した。
 そんなに気候は暑くないのでよく分からない。

 そうこうしながら、僕らはトルテ村の食堂を探した。

 食堂はすぐに見つかり、見つけるまでの間にも、猫耳やら犬耳やら、羊耳やらをつけた獣人を見かけた。年齢もまちまちだったから、本当にこの村は獣人差別がないのかもしれない。長閑だ。馬がだらだらと散歩している。

「いらっしゃいませ――あれ? ウォルフ?」

 声をかけてきた青年の姿に、ウォルフが一歩前へと出た。

「人間と結婚したって本当だったのか?」
「そうだよぉ。みんなにここには差別なんか無いって行ったのに、怖がって誰も結婚式に来てくれなかったんだぁ。何々、冒険者になったとか聞いてたけど、俺に会いに来てくれたの?」

 その言葉に、マントの首もとを押さえ、はずしたフードもまた押さえながら、ウォルフが苦しそうな顔をした。あれを着ている限り、首輪など見えないだろうけど、やっぱり、奴隷になったという事実は彼には苦しいのかもしれない。

「そうなんだ。僕が今、一緒にパーティ組んでる魔術師の、グリムです」

 僕がそういうと、ウォルフが驚いたような顔をした。

「へぇ。昔っから、ウォルフは腕っ節が強かったからね、前衛と後衛なら丁度良いね。俺は従兄のビオラです。よろしくお願いします」

 そういって、ビオラさんが深々と腰を折った。

「こちらこそよろしくしてもらってます」

 僕が笑うとビオラさんがクスクスと笑った。あんまりウォルフとは似ていなくて、ずっとずっと痩身で色白だったが、兎の耳と笑顔だけは似ている。

 それから僕らは、窓際の席に案内された。
 カウンターの置くにビオラさんが戻ったのを見てから、小声でウォルフが言った。

「どうして奴隷だって言わなかった?」
「別に奴隷だと思ってないし」
「……それが本心なら、隷属の首輪に指示を出す指輪を俺にくれ」
「あ、良いよ」

 僕は指輪を抜き取り、ウォルフに渡した。すると今度こそウォルフが困惑した顔になった。

「――このまま俺が逃げても良いのか?」
「逃げるのは仕方ないかもしれないけど、また一人で家にいるのはちょっと寂しいかも」
「また俺に発情期がくるかもしれなくても?」
「え、あ、う、うん」

 その言葉に昨夜の行為を思い出して、僕は気恥ずかしくなった。
 頬が熱くなってくる。

「やっぱり良い――持っていて欲しい。その方が、俺が側にいる理由にもなるから」
「?」

 よく意味が分からないと思っていると、ウォルフが再び指輪を填めてくれた。
 左手の人差し指にぴったりのサイズの指輪だ。
 そこへビオラさんがやってきた。

「ご注文はどうします?」
「木苺ジャムのトルテ二人分」
「了解。ここのは村で一番美味しいって評判なんだから」

 そう告げ、ビオラさんが戻っていった。

「ウォルフは、甘いものが好きなの?」
「まぁまぁ」
「僕、兎っててっきり野菜を食べると思ってたから、なんかゴメンね」
「いや。グ……グリムが用意してくれる料理は、みんな美味しい」

 そりゃ勝手に冷蔵庫から出てくるのだから美味しいと思う。ただ仮に美味しくなくても、僕には自炊なんてできない気がする。

 そうしていたら、良い匂いが周囲に漂ってきた。多分オーブン(?)で焼いているのだろう。その作業が一段落したのか、一人の無精ひげの青年が歩いてきた。隣にはビオラさんがいる。

「はじめまして、夫のフラットです。従弟さんと、同じパーティのグリムさんですか」
「あ、はい」

 反射的に頷いてから、ウォルフが僕を一瞥した。
 僕は微笑を浮かべて、人間のフラットさんに会釈する。

「冒険者、いいなぁ。俺も昔は、冒険者だったんですよ。っていっても、基本的にキノコ取りの依頼を引き受けて、そのころは閑古鳥が鳴いていたこの店を、冒険者の収入でなんとかまわしていたんですけどね。その時にビオラに出会ったんです。このビオラがまた料理上手で、一気にこの店は大繁盛。俺は胃袋をつかまれちまって、まぁこうして今でも一緒にいます。ビオラが店しめるって言ったら、それはそれで良いけど、俺はどこまでもビオラを追いかけて一緒にいる自信があるなぁ」
「ちょっとフラット。惚気ないでってば」

 ほがらかなフラットさんの言葉にビオラさんが赤くなっていた。
 幸せそうな夫婦(?)だと思う。

 ――だが、僕には一つの役目があったのを思い出した。

「幸せそうで何よりですが、暫く常闇の森には近づかない方が良いですよ」
「「「!」」」

 僕の言葉にウォルフも含めて三人が、驚いたようにこちらを見た。

「なんでも地下へと続く迷宮があるらしくて、モンスターが闊歩しているらしいんです」

 悲しげな顔で頬に手を当ててみたが、ちょっとわざとらしかっただろうか。

「まさか、その攻略に?」

 ビオラさんの言葉に、僕は首を振った。

「しばらくは森の調査をしたいと思って」

 そんな話をしているうちにトルテが出来たらしく、僕とウォルフの前には鼻を擽る甘い匂いが広がった。パリッとしていて美味しかった。

 それから帰り際も僕らは森を歩いていた。
 一人の青年を見つけたのは、その時だった。他のパーティメンバーはみんな死んでしまったのか、巨大な狼に、一人で襲われて剣を振るっている。

 水色の髪と目をしていた。
 まるで今日の雲一つ無い青空みたいだった。

「≪嘲笑するシンデレラ≫」

 僕が気まぐれでスキルを放つと、雷で打たれたように闇狼の巨大な体が痺れるように痙攣し、そのまま破裂して血が飛び散った。

 側で息をのんでいるウォルフを見る。
 それから、青年へと僕は近寄った。

「大丈夫ですか?」
「有り難うございます。その、貴方は?」
「しがない魔術師です……ぼ、冒険者です」

 慌てて僕が濁すと青年が、剣をさやに締まってから、僕を改めてみた。
 ウォルフにしてもそうだけど、この世界はやたらと背が高い人が多い。
 僕はそんなに小さいつもりはないんだけどな……。

「名前は?」
「グリム」
「俺は、シルフ。剣士だ。助けてくれて有難う」
「ううん。これからは気をつけて。置くにはダンジョンがあるらしいからね」

 僕はそれだけ言うと、ウォルフと共にその場を離れた。村まで送ってとか言われたら面倒だったからだ。

 まぁ、こんな風にして、僕のトルテ村の日々は終わりを告げたのだった。