【二】弟よ!
怖くなって、俺は目を閉じた。
静寂が本当に恐ろしい。震えを必死に抑えていると――一拍遅れて、盛大に飲み物を吹き出した音が聞こえてきた。そちらを見れば、シュトルフが真っ赤な顔で咽せていた。すると次第に、ざわざわとその場が騒がしくなり始め、吹き出す者、笑い出す者、顔を引きつらせる者など、様々な反応が浮き彫りになり始めた。
俺は改めてクリスティーナを見た。クリスティーナは、笑顔を浮かべていた。淑女らしい作り笑いであるのは、すぐに理解した。その隣にいるダイクは、完全にポカンとしている。腕を組み、奇っ怪なものを見る顔つきで、俺をジーッと見ている。
この国は、同性婚制度が施行されている。だから同性同士の恋愛は珍しくはないのだが……なんなら五分前まで険悪だった相手を、好きだと宣言したわけであるから、ダイクの反応に不思議はない。
「つ、つまり……クラウス兄上は、ええと……ええと……」
ダイクがゆっくりとシュトルフがいる方向を見た。俺もその視線を追いかける。するとやっと咳き込んでいたのが収まった様子のシュトルフは、完全に激高している顔で俺を見ていた。目があった瞬間、これでもかと顔を歪められ、俺の胃がギュッとなった。
シュトルフは暫くの間俺を睨んでから、ワイングラスを置くと、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってきた。背が高いシュトルフは、俺の二歳年上の従兄である。幼少時より兎に角仲が悪かった。というのも、先代の国王であった祖父は、初孫であるシュトルフを死ぬほど可愛がっていて、俺よりもシュトルフを立太子させたいと俺の前ですら言うタイプだった事もある。俺は、シュトルフとの争い、そして一歳年下のダイクとの争いをしながら、生まれ育ってきたと言える。
「クラウス殿下。ツァイアー公爵家の反感を買う事に、何かメリットが?」
俺の隣に立ったシュトルフは、眉間に皺を刻んで俺を見下ろすと、吐き捨てるように言った。
「質の悪い冗談はやめろ。クリスティーナをこれ以上侮辱するな」
あ!
このセリフは、完全に、ざまぁ系小説で見たやつだ!
「していない! 俺は、心底クリスティーナを最高の女性だと思っている! で、でも! 譲れないんだ! 俺は――シュトルフを愛している……」
自分で言っていて泣きたくなってきた。
クリスティーナの作り笑いが壊れかけていて、完全に吹き出すのをこらえる顔で、頬がピクピクと動いているのが、扇越しに見える。ダイクは再び腕を組んで見守る体制に入った。シュトルフは、俺の言葉に再び盛大に咽せた。
「何を企んでいるんだ?」
「何も企んでなどいない! だ、だから、だ。婚約は破棄したいと考えているが、それは決してクリスティーナに問題があったからではないと、これを俺は主張したいんだ! 全面的に俺の問題だ!」
「ああ、殿下は問題発言を繰り返している。クリスティーナに何も問題が無い事など、兄としていつでも確信している!」
シュトルフは紫色の瞳を揺らすと、迫力あるアーモンド型の瞳で俺を睨んだ。端正な顔立ちをしている。若かりし頃の祖父の肖像画にもそっくりだ。
「あー、つまり兄上は、女性としてはクリスティーナ義姉上様が最高だけど、男性としては、シュトルフ卿が最高だと思っているという事で……ええと、つ、つ、つまり……ええと……、……こ、これまでの険悪な仲は、照れ隠しだったと、か?」
ダイクがまとめにかかった。全然違うが、そういう事にしておきたい! さすがは本物のヒーロー! 頭が良い!
「そうだ。今まで素直になる事が出来なくてな……」
「そうか……兄上って、何考えてるか全然分からなかったけど、そ、そうか。そうだったんだな……気づいてやれなくて悪かった」
うんうんとダイクが頷いた。シュトルフは、唇を歪めると、そんなダイクを凝視した。クリスティーナは扇で風を顔に送っている。
その時、シュトルフが声を潜め、その場にいる俺達にだけ聞こえる声音で述べた。
「俺はツァイアー公爵家の跡取りだぞ? 既に公爵位の継承も決定している。父は引退予定だ。いくら同性婚制度があろうとも、望まれようとも、クラウス殿下の後宮に入る事などありえないというか、何を持っても全力で拒否させて頂く!」
「あ、べ、別に! 後宮に入って欲しいとかは無い、無いから!」
「つまり兄上が、シュトルフ卿に降嫁したいって意味だな?」
「「え」」
ダイクのまとめた言葉に対し、俺とシュトルフの声が重なった。
「だって、シュトルフ卿は、去年奥様を亡くされて、御子息のアスマもいるし……結婚に弊害はないよな? 王家は、長子存続ではないから、俺が継げるし、俺はそういう事なら愛しているからクリスティーナと結婚したい。俺とクリスティーナの子供が次代を築いてくれると思うし」
それを聴くと、シュトルフが沈黙した。こちらも腕を組み、俺とダイクの顔を交互に何度も見始めた。内心で何を考えているのか、分からないのが怖い。なお、学園卒業後すぐに許婚と結婚したシュトルフは、産後の肥立ちが悪く、長子のアスマを産んだ後奥さんが亡くなってしまい、現在寡夫だ。
「……ダイク殿下は、本当に私を?」
「ああ、勿論だ。ずっと義姉上と呼ぶのが苦しかった。俺は、クリスティーナだけをずっと見てきたんだ。だから許婚も持たないできた。いつか――貴女を抱きしめるために」
小説で読んだことがあるセリフを、さらりとダイクが述べた。クリスティーナは照れている。もうこの二人は、これで良いだろう。だが問題は俺だ。王位は諦めるとしたとしても、俺が、嫁に行く? え? 確かに追放されるよりはいいかもしれないが……。
「確かに正妃となるという意味合いにおいてクリスティーナは害されず、Wの婚姻により公爵家と王家の仲はより親密になり、磐石には……なる……跡取りも問題は無い……」
ブツブツとシュトルフが呟いた。
「ま、待ってくれ……! 俺の勝手な片思いだ! だ、だから! 王位はダイク達が頑張るとしても、シュトルフを巻き込まないでくれ!」
俺は嫁になど行きたくないので、そう続けた。理想は、立太子は出来なくても良いので、なんとか王族として残り、最終的には、叔父上のように公爵位をもらって国の片隅で暮らす事となっていた。
そんな俺の言葉に、ダイクとクリスティーナが息を呑んだ。直後二人は顔を見合わせる。瞳で何かを語り合っていた。シュトルフを見ると、完全に唖然としていた。
「兄上がこんなに純粋だったなんて……」
「なんという純愛……」
「俺はクラウス兄上を誤解していた」
「私もです。ユアさんの事も照れ隠しだったのですね……」
ダイクとクリスティーナは、同情するように俺を見ている。二人は勘違いしているが、俺的には悪い方向ではない。
「ちょっと来い」
その時、シュトルフが俺の耳元に唇を寄せた。すると声は聞こえていなかったようだが、周囲から黄色い悲鳴があがった。シュトルフは口元を笑顔に変えたものの、完全にガチギレの瞳を俺に向け、そのまま俺を会場から連れ出した。