【三】そこまで迷惑か?







「何を考えている!」

 会場から出てすぐのお手洗いにおいて。
 シュトルフが露骨に俺の胸元をねじり上げた。俺もシュトルフほどではないが、体格はいい方である。それでも息が苦しい。両手でギリギリと俺の首元の服を掴みながら、ギロリとシュトルフは俺を睨んでいる。本当に迫力がある。怖い。

「クラウス殿下が俺を嫌いな事は、誰よりもよく俺が知っている。だからと言って、どんな嫌がらせだ!」
 
 シュトルフの反応も、もっともだろう……。実際、俺達の仲は、ほんの少し前まで、険悪以外で表する事は困難だったと俺も思う。しかし俺は、俺の身が可愛い。死にたくない。このままシュトルフにざまぁをされるわけにはいかない!

「何とか言え!」
「そ、の……そんなに俺の気持ちは迷惑だったか?」
「!?」

 真面目くさった顔で俺が述べると、シュトルフが目を見開いた。それから硬直し、不可解な生き物を見る顔つきに変わった。我ながら、俺自身も信ぴょう性を感じない。シュトルフが疑うのは当然だろう。

「ダイク第二王子殿下に王位を渡す事になるぞ?」
「あ、いや……い、いいんじゃないか?」
「何か弱みでも握られたのか?」
「ダイクは優しい性格をしているし、きっと良い国王になるだろう」

 ざまぁ小説ではそうなっていたしな。

「ふざけるな!」
「本気だ! 俺は王位にこだわりはない」

 叫んだシュトルフに対し、だから断罪をしないでくれと必死に念じながら、俺は即答した。するとシュトルフが、ギリリと奥歯を噛んでから、改めて俺を睨んだ。

「これまでお前の王位継承権を確固たるものにするべく、どれだけ俺が苦労してきたと思っているんだ!」
「え?」

 そうして続いて響いた言葉に、俺は驚いた。シュトルフは、絶対に自分こそが国王に相応しいと思っていると、俺は疑っていなかった。だから最初、何を言われたのか上手く理解出来なかった。

「そんなにクリスティーナを王妃にしたかったのか?」

 考えられる理由はそれしかない。妹をこの国の王妃にしたいという意味だよな?

「……」

 シュトルフは沈黙してしまった。だから俺は不思議に思いつつ、小さく首を捻る。

「でもな、それなら俺は立太子出来ないだろうし、ダイクと結婚したって……」

 結果は同じである。
 だが俺の言葉に、シュトルフは目を極限まで細くすると、指先でこめかみをほぐしながら、やっと俺から手を離した。シュトルフはそれから、深く吐息した。

「眉目秀麗文武両道、人望もある。お前ほど国王に相応しい人間など俺は見た事もない。正直傲慢さが滲む性格が難点だと思っていたが、それも子供だからだと判断していた。公爵家の名に誓って、俺はクラウス殿下の忠実なる臣下であるし、殿下の治世を楽しみにしていたんだぞ」
「え」

 そんな言葉が出てくるとは思わず、俺は呆然とした。シュトルフが俺を褒めた事自体が、人生で初めてである。シュトルフの声音は真剣なものに思えた。

「思いとどまれ、クラウス! いいか? クリスティーナと結婚して、立太子の儀に備えろ! ダイク殿下が悪いと言うつもりは毛頭ないが……自分の立場をわきまえろ」

 シュトルフは、意外と良い奴だったようだ。
 真面目に俺を諌めてくれている。しかし――……もう遅い。俺は婚約破棄をすると言ってしまったし、前世の記憶を思い出してしまったのだから……。

「今ならまだ間に合う」
「いや、無理だろ?」

 何をどうすれば、どれが間に合うというのだろうか?
 思い出したとは言え、俺のここ三年間程度の、クリスティーナに冷たくしていた現実が変わるわけでもなく……。

「冗談だったとすれば良い」
「冗談?」
「出し物の一環だったとしよう! 公爵家と王家の、イトコ同士の戯れといった形でおさめるべきだ。ちょっとした睦言の交換だ。ただの親しさの表れだった事にすれば良い!」

 俺にとって、それは非常に魅力的な提案だった。だが……。

「でも……ダイクはクリスティーナが好きだしな……」
「政略結婚に愛がいるのか? いらないだろう!」
「そんなに俺の気持ちは迷惑か?」

 改めて聞いてみる。正直、シュトルフの事を好きだというのは嘘であるが、ここまで断固拒否されると頭にもくる。それに別の問題もある。クリスティーナとシュトルフが俺にざまぁをしなくても、クリスティーナと相思相愛のダイクが今度は敵になる可能性。あちらにざまぁされた場合、処刑もありうる。

「そもそも、クラウス……クラウス殿下、お前、本当に俺の事が好きなのか? 嫌いだろう? 知っている。誰よりも良く、俺が知っている」
「……」
「俺は生まれた時から、お前をずっと見てきたんだ。この意味が分かるか?」
「これまで王位を争ってきた従兄弟だからな……わ、悪いな。いきなり、こんな」
「違う、そうじゃない。俺の方こそお前の事が――」

 と、シュトルフが言いかけた時だった。

「兄上? シュトルフ卿? トイレの外に、漏れそうだけど緊迫しててトイレの中に入れないって連中が溜まってる! 話なら外でやってくれないか!」

 ダイクの声がした。
 シュトルフが硬直し、顔を背けて舌打ちした。俺は入口の方を見る。

「ええと? なんだって?」
「……」
「とりあえず、外に出て会場に戻るか」
「……ああ」

 シュトルフは頷くと、俺の手の甲に触れた。なんだいきなりと思って顔を上げると、困ったような顔が視界に入ってきた。

「クラウス殿下。とにかく、お前が俺を好きでない事は、俺が誰よりも知っている。何を考えているのかは知らないが、これ以上愚行を犯すな」
「愚行って……」
「具体的に言う。もう今日は黙っていろ。今日のクラウス殿下はどこか変だ」

 そう言われても、攻略対象キャラ補正が取れてしまったら、こんなものだろうと俺は思う。まぁ、仕方がないだろう。