【四】俺の人望








 それから俺は、シュトルフと連れ立って、お手洗いを出た。するとダイクが、片頬だけを持ち上げて微苦笑していた。

「二人の今後については、別の場所でゆっくり話したらいいと俺は思うよ?」
「――ダイク第二王子殿下。クラウス殿下は血迷……ちょっと動転しておられるだけだ。卒業パーティでハメを外すべく冗談を述べた結果、おおごとになってしまったせいで」

 シュトルフは険しい顔で断言した。スっと双眸を細めたシュトルフは、ダイクを睨んでいる。

「あくまでも戯言だ。冗談である以上、婚約破棄の話も本決定ではない」
「でも俺は、クラウス兄上が冗談だとしてもクリスティーナを手放すような発言をした瞬間に決意した。クリスティーナは俺が貰う。俺はクリスティーナが好きなんだ。シュトルフ卿が何と言おうとも、俺はクリスティーナと生涯を共にしたいんだ!」

 ダイクの側は平然としている。それを聞いた瞬間、シュトルフが片手で両目を覆った。

「……兎に角、ここは人目につく。会場に戻るぞ」

 シュトルフが吐き捨てるようにそう述べると、歩き始めた。ダイクも頷き足を動かす。俺は複雑な心境で二人のあとを着いていった。卒業パーティの会場に戻ると、俺達へと視線が集中した。ざわざわとしていて、非常に居心地が悪い。

 するとその時、ユアが俺のもとへと走り寄ってきた。周囲は制止を諦めている顔で、辟易とした表情だ。少し前までの俺だったら、そんな周囲を断罪していたのは明らかである。

「クラウス!」
「ユア……」
「恐れ多くも第一王子殿下を呼び捨てにするなど――」

 隣でシュトルフが眉を顰めた。昨日までの俺は、そういうのが鬱陶しいと思っていたわけだが、考えてみると臣下というなら当然の対応である。

「私、貴方が真実の愛と口にするのを聞いて、心が打たれたの。幸せになってね!」

 悪気など一切ない様子で、ユアが述べた。ユアは基本的に無邪気である。
 しかしそれに対し、盛大にシュトルフが咳き込んだ。ダイクは吹き出すのをこらえた顔をしている。取り急ぎ、断罪回避のために俺がすべきことは、ユアとは無関係だというアピールだろう。

「ああ。俺はこの手で幸せを掴む事に決めた。今まで隠れ蓑にしてしまい悪かったな」
「!?」

 俺が王子として身につけてきたスマイルを顔に貼り付けて述べると、シュトルフが絶句したように俺を見た。それから俺とユアを交互に何度も見た。

「隠れ蓑!? クリスティーナへの不当な誹謗中傷を行っていた調べは付いているんだぞ? クラウス殿下とユア嬢は、だから、つまりその――」
「いやぁ、兄上。さすがに策士だな。俺も騙されていた」

 ダイクは満面の笑みだ。ユアは兎に角ニコニコしている。ただ一人、シュトルフだけが目を剥いている。そこへゆっくりとした足取りで、クリスティーナもまたやって来た。

「ユアさんにも事情があったのですね。それもクラウス様直々のご依頼では断る事は困難だったと分かります。私、ユアさんを誤解していたのですね。お詫び申し上げます」
「そんな! 私はクラウスが幸せになってくれたら、それでいいの! 大切な……友達だから!」

 シュトルフ以外の全員が、俺を信じ、支持している。確かに先ほど、シュトルフ本人にも言われたが、ユアの体感していたのだろう乙女ゲーム設定であれば、俺には人望はある。誰も俺を疑わない!

 このままいけば、断罪は回避されるような気がするぞ。もうひと押しだ、俺!

「有難う、みんな。俺は一人の王族である前に、人間だ。シュトルフという存在が、俺にそれを教えてくれたんだ」
「だからもう今日は口を閉じていろとあれほど言っただろうが!」

 シュトルフが俺の腕を引くと、眉を吊り上げた。知ったことか。命あっての物種だ。

「まぁまぁ、シュトルフ卿も、照れ隠しは止めた方が良い。これまでの兄上ほどではないけどな」

 朗らかな声で、ダイクが言い放った。

「ダイク殿下……っ、違う! 誰が、だ、誰が照れ隠しなど! まさか……実は、殿下達兄弟で公爵家を陥れるために手を組んだんじゃ……」

 シュトルフの表情が再び歪む。

「俺とクラウス兄上が手を組む? それこそありえないだろう。クラウス兄上は、シュトルフ卿とは犬猿の仲だったが、俺に対しては無関心だった。だからこそ信ぴょう性がある。なるほど、兄上はシュトルフ卿に執着していたんだな」
「もう良い、ダイク殿下も黙っていろ、それ以上は口を噤め!」

 実際、俺とダイクは過去、今日ほど長時間私的な雑談をした事は一度もない。
 そんな事を考えていると、クリスティーナがそっと俺の腕に触れた。

「クラウス様」
「なんだ?」
「クラウス様が兄をお望みならば、私には、身を引く覚悟は出来ております」
「……その……悪いな、クリスティーナ。俺は決して、君が嫌いなわけじゃないんだ」
「嫌うほどの関心を持たれていないと思っておりました」

 まずい。クリスティーナにも、もうひと押ししておくべきだ!

「そ、そういう事では……ほ、ほら! 高嶺の花と言えば良いのか、クリスティーナは従兄妹の贔屓目を抜きにしても、麗しい。ダイクとは幸せになれそうか?」
「分かりません……私は、過去、王妃教育を受けては参りましたが、まだ恋を知らないのです……ただ今宵、クラウス様の言葉に、私もまた胸を打たれました。私も、愛を探してみたいと感じております」

 いつも表情を変えないクリスティーナが、珍しく口元を綻ばせた。うん、綺麗だよ、本当。そして俺がどうかしていただけで、クリスティーナはやはり素晴らしいご令嬢だ。

 それから少し時が経ち、卒業パーティの終了を知らせる鐘が鳴った。
 多分、断罪は回避されたと思う。思いたい。俺は全力で、それを願っていた。