【十七】努力次第
帰りの馬車の中で、俺は終始俯いていた。思い返せば即座に頬が熱くなってくるから困る。両手で顔を覆った俺は、深々と吐息した。
とりあえず、俺の貞操は守られた。そこは良いだろう。
だが、卑怯すぎる。シュトルフが格好良すぎた。
「……」
あんな風に、俺の事を想っていてくれたなんて、微塵も知らなかった。嬉しさと気恥ずかしさで、俺は顔から火が出そうだ。しかも、紳士だった。俺に無理強いしなかった。全然冷酷なんかじゃなく、優しかった。奴は、宣言通り、優しさを見せてくれた。
「あーもう」
先ほどからずっと、ドキドキドキドキドキと、胸が煩い。心拍数が本当に酷い。
ギュッと目を閉じる。
単純に断罪されるのを回避したかっただけだというのに、まさかこんな展開が待ち受けているとは思ってもいなかった。
「あいつ……」
そんなに俺の事が好きなのか……。そして、そう考えた時、俺は嫌でも気づかされる。
シュトルフに好かれているのが、嫌じゃない。
「……、……」
意識するなという方が無理だ。
脳裏にはシュトルフの顔と言葉ばかりが浮かんでくる。ぐるぐるとそれを思い浮かべている内に、馬車は王宮へと到着した。
すると出迎えた侍従に言われた。
「ダイク第二王子殿下より、晩餐へのお誘いが届いております」
「そうか」
未だ嘗て、俺は(過去興味が無かった)弟と二人で食事をした事は無い。あちらから誘われた事も無い。しかし断る理由もないので、俺は同意した。そのまま促される形で、ダイクの部屋へと案内される。
ダイクの部屋は俺の一つ下の階にある。造り自体はそう変わらないが、明確にこれまでは、立太子するのは俺だという暗黙の了解の元、部屋の位置まで定められてきたのだと思う。
「クラウス兄上」
ノックをして部屋に入ると、ダイクが立ち上がった。既にテーブルには料理が並んでいる。そこにあるトマトのサラダを見ただけで、俺は漠然とシュトルフの事を思い出し、そんな自分を殴りたくなった。
「兄上と二人で食事をするなんて初めてに近いな」
「そうだな。今日はクリスティーナと植物園に行っていたんだろう? 楽しんできたか?」
椅子に促されたので、俺は座りながら尋ねた。ただの世間話のつもりだった。
「ん? ああ。クリスティーナのそばにいたら、俺はいつだって幸せだよ。なんで知ってるんだ?」
「先ほどシュトルフに聞いたんだ」
「ああ、ツァイアー公爵家に出かけていたんだったな。兄上達も正式に婚約したと聞いたぞ? 順調か?」
「う……あ、ま、まぁな……」
俺は俯いた。シュトルフの事を思い出すと、それだけで赤面しそうになる。それに未遂だったが、気持ち良かったのも事実だ。
「兄上達の話がまとまったという事は、俺も正式にクリスティーナと婚約しても構わないんだろうな?」
「それはダイクの自由だ」
「いいんだな? 俺は王位を望むわけではないが、クリスティーナをこの腕で抱きしめるためならば、なんだってする決意だ」
「別段俺はお前の立太子の邪魔などしない。そちらこそ順調なのか?」
王位の事に関しては、俺はもう八割以上どうでも良い。とにかく死にたくなかった。だが今は、別件で、それどころではない。頭の九割以上をシュトルフが占めているのが実情だ。
「……クリスティーナは、少しずつ俺を好きになってくれてはいると思う」
「そうか」
「ただ常に不安だ。俺はずっと、クリスティーナは兄上を好きだと思っていたからな」
「それは無い。安心して良い。俺と彼女は、確かに許婚だったが、それらしい事は何一つしていない。互の誕生日に儀礼として使用人にプレゼントを手配させたくらいのものだ」
今思えば、クリスティーナには本当に悪い事をしていたと思う。ちなみに誕生日のプレゼントの手配は、従兄であるからシュトルフにもしていたし、異母兄弟であるから当然ダイクにもしていた。俺が自分で選んだ事は、ちなみに一度も無い。
「兄上側がそうでも、クリスティーナは分からないだろう?」
「でもシュトルフの話だと、お前が連れ出すようになってから、彼女には笑顔が増えたらしいぞ?」
「! ほ、本当か? シュトルフ卿がそう言ったのか?」
「ああ」
俺が頷いた時、料理が続いて運ばれてきた。ツァイアー公爵家での昼食の方が格式高かった形で、こちらには次々と料理が運ばれてくる。目上の相手にはコース料理を用意する事がこの国では多いが、王族同士であっても日常的には全て並んで出される事は珍しくない。
「シュトルフ卿も、俺を義弟と思ってくれるだろうか……」
「大丈夫じゃないか? シュトルフは身内に甘いから、クリスティーナがお前を好いているならば、お前にも甘くなると思うぞ」
「……クリスティーナは、俺を好きになってくれるかな?」
「それはお前の努力次第だろう」
そんな雑談をしつつ、俺は白身魚のムニエルを切り分ける。するとダイクが唸った。
「兄上は、シュトルフ卿のどこに惚れたんだ?」
「え……?」
「卒業パーティであんなにも熱烈に告白したんだ。相当の覚悟だろう? 王位継承権まで放棄して……」
「そ、その……」
そうだった。シュトルフ以外は、俺側がシュトルフに惚れていると信じているのだった。しかし――ちょっと考えてみたが、シュトルフの良い所を挙げろと言われたら、以前と違って俺は言葉に詰まらない。一つ、明確な事があるからだ。
「シュトルフは、優しいだろう?」
「それが信じられない。今までのあの険悪な仲は、完全に演技だったのか?」
「俺は少々負けず嫌いのきらいがあるから、言い返してしまう事はあるが」
「あー、それは分かる。ただ、シュトルフ卿は確かに身内には優しいけどな、敵対陣営だった俺には鬼だったけどな。今からでも親しくなれると思うか?」
「それもまたお前の努力次第だろう」
俺はそう伝えながら、フォークを口に運んだ。するとダイクが顔を上げた。
「所で、公爵家に行ってきたって事は、ヤったのか?」