【二十三】今後
案内されたのは応接間で、俺とシュトルフは並んで長椅子に座った。
紅茶とティスタンドを用意して侍女が下がると、室内に二人きりとなる。
「そうだ。先日は雪が降ったな」
俺が覚えていた天候のネタを披露すると、シュトルフが小さく頷いた。カップを片手に取ったシュトルフは、ゆっくりと傾けるとチラリと俺を見た。
「ああ。ただ積もらなくて良かった。しかし珍しいな」
「もう春なのにな。そろそろ王宮の庭園の花も咲き誇る頃だ」
「――見に行くか?」
「そうだな。シュトルフが見たいなら行くか」
そう返した俺は、静かにカップに手を伸ばす。そして――魔法薬茶だと気がついた。香りでそれを認識した瞬間には、前回の寝室での事を思い出し、体を固くしてしまう。
「別段花は嫌いではないが、俺はクラウスとの思い出を増やしたいという話をしている」
シュトルフがさらりと述べた。
……俺の事を、想ってくれているのだと、今では嫌というほどよく分かる。俺はその気持ちに応えたい。最初は断罪回避のためだったが……シュトルフのそばにいると居心地が良くて、良すぎて、幸せを自然と返したくなる。シュトルフは、俺が知る原作小説では絶対にこんなキャラでは無かった。もっと冷酷だったと思う。だからこそ俺は、卒業パーティの時、シュトルフを恐れて、道連れにする事を決めたのだが……今では杞憂だったような気がしてならない。
「そうか」
俺は照れくさくなりながらも、小さく頷いた。
「ただまずは、ルゼフ卿とヴォルフ殿下が帰国した後、国内外に正式に婚約した事を公開するのが先決だな。書面は交わしたが、急な外遊でまだ各国にも国内の貴族にも、正式な通達はしていない。俺は早く外堀を埋めきりたいんだ」
シュトルフが喉で笑う。ただしそこに焦りは見えなかった。余裕が垣間見える。
「既に各貴族の派閥に根回しは済んでいる。反対派もいるが……潰させてもらう、今後も口煩いようならばな」
「潰すって……」
「今でもクラウスの即位を望む声は決して少数ではないんだ。ただ、元々がそれらは、ツァイアー公爵家の陣営が掲げていた事だからな、比較的根回しは易かった」
俺がのほほんと恋愛について考えている間に、随分とシュトルフは働いているようだ。しかし多忙な姿を俺には見せないのだから、それがまた凄い。
「その次は、正式にツァイアー公爵領地の領民にも報告しなければならない。クラウスには悪いが、領地までついてきて欲しいんだ」
「悪くなんかない。婚約者として挨拶に行くのは当然だ」
同意した俺は、カップを置いて、マカロンに手を伸ばす。甘党というわけではないが、俺は茶菓子が嫌いではない。
「ツァイアー公爵領地は、考えてみると、小さい頃、夏に前国王陛下に連れられて出かけただけだな」
祖父は、俺を連れて行くという名目で視察に出向いた事がある。その実、初孫のシュトルフと遊びたい一心だったようで、珍しくその年は領地にいたシュトルフに、沢山のお土産を馬車に積んで出かけた記憶がある。
当時も何かと比較され、俺は負けず嫌いだったから打倒シュトルフと考えていたような気もするが――俺達二人で遊んだ数少ない思い出が存在する。ツァイアー公爵の城の塔で、肝試しをしたりした。俺は不覚にも泣きそうになった時、シュトルフが俺の手を握ってくれた事がある。あの時ばかりは、頼りになる従兄だと思ったような気がする。すっかり忘れていた。
「今もあの、幽霊が出るという塔はあるのか?」
「改築はしていない。昔のままの城だ」
山と湖に面している美しい城の外観を、俺は漠然と思い出しながら頷いた。
「それとその際に、正式に父上より公爵位を譲り受ける事も領民に伝える」
「そうなのか?」
「ああ。降嫁前には、俺は公爵となる。少しでも、身分が釣り合うようにという配慮だ」
シュトルフの言葉に、俺は小さく頷いた。とはいえ、リュゼル叔父上も健在であるから、名目上なのだろうなとは思う。アクアゲート王国では、若い内に爵位を譲渡し、隠居する貴族が一定数いるし、珍しい事ではない。なお、引退したからといって、影響力が消えるわけでもない。
「その時に、後継としてアスマの名を出す」
俺は静かに頷いた。シュトルフの一人息子だ。俺には子供が産めないし、公爵家の血を継ぐためには、必要な事だ。
「婚姻後は、アスマの母相当の伴侶として、クラウスは王宮の書類に名前が出る。その……構わないか?」
「ん? 構わないぞ。何か問題があるのか?」
「いや……亡くなった妻との子であるから、養子関係になった時、嫌な思いをしないかと思ってな。悪いが、俺は子供が可愛い。クラウスを愛しているが、アスマもまた大切なんだ」
「家族を大切にするのは、良い事だと思うけどな?」
正直、子供を蔑ろにする相手と結婚したくない。道徳的な問題だ。
「――クラウスも、いつか自分の子供が欲しいと思うかも知れない。それに周囲は、お前の血を引く子供の生誕も願っているだろう」
「いいや。ダイクが即位する以上、俺の子供が生まれたら継承問題で揉めるかもしれないから、俺は子供を作る気はないし……何より、国王として即位するならば後宮があったが、普通、結婚した伴侶としか、ええと……しないだろう? 俺にその予定は無いぞ?」
チラリと魔法薬茶を見ながら、俺は言いながら小声になった。
「それは、俺とはする予定があるという意味に取るからな」
「……あ、ああ」
「はっきり伝えておくが、俺はお前が内縁関係の相手を作る事は、男女問わず許容出来ない自信がある。それでも必要ならば我慢はするが、俺だけのものとする事に全力を尽くさせてもらう」
「シュトルフこそ、そんな事を言って、不倫をしたら俺は怒るぞ」
「それはない」
そんな風に、俺達は、今後の予定を話しながら午前中を過ごした。
執事が昼食だと呼びに来たのは、丁度十二時頃の事だった。