【二十六】準備
その夜は真っ直ぐ王宮の自室へと向かい、寝台に転がった。
昼間眠ってきた事もあったが、どちらかというと行為を思い出して、中々寝付けなかった。月明かりが差し込む部屋で、俺は毛布に包まりながら、ぼんやりとシュトルフについて考える。気づくと自然に顔が浮かんでくる。
「結婚したら、基本的には毎日顔が見られるのか」
以前だったら怖いから見たくないと思っていた気がするが、今はそんな日々が訪れたらとても幸せなような気がする。
考えてみると、俺はあまり『幸せ』というものについて考えてこなかった。国民の平和がひいては幸せなのだと教わってきた。それもあって、王立学園時代に手に入れた束の間の自由には夢中になっていたわけだが……今後は、もっと自由になるのだろうか。
ただ、王立学園においてユアを追いかけていた自分の振る舞いは非常に悔やまれるし、断罪を回避したいという一心だった事も思い起こせば複雑な気持ちになる。
「あああ……黒歴史!」
思わず俺は両腕で体を抱いて、ギュッと目を閉じた。
そんな不甲斐のない俺の事も好いてくれているシュトルフに、なんだか申し訳ない。
「よし。全力でシュトルフに相応しくなるぞ!」
一人そう決意してから、俺は眠りに落ちた。
――翌朝。
朝食を、出立前最後に、ルゼフ叔父上とヴォルフと食べる事になった。国王陛下とダイクの姿もある。見送り時までには、リュゼル叔父上も顔を出すらしい。
「なぁ、推しよ!」
俺の隣に座っているヴォルフが、明るい笑顔で声をかけてきた。
「おはようございます、ヴォルフ殿下」
「硬いな! 語り合った仲だろう? 気さくに、砕けた調子で話してくれ」
そうは言われても、人目がある。
俺が曖昧に笑うと、ダイクが目を据わらせてこちらを見てきた。
国王陛下はルゼフ叔父上と話していて、俺達の方には注目していない。
「シュトルフに愛想を尽かせたり、亡命したくなったら、いつでも俺を頼ってくれ」
「……感謝する。その予定は無いけどな」
俺が述べると、大きくヴォルフが頷いた。それから、パンを齧った後、ヴォルフが続けた。
「しかしシュトルフの、クラウス知識も中々のものだった。好敵手として不足はない!」
「好敵手……」
思わず俺が繰り返すと、ヴォルフが口角を持ち上げた。
「俺は生涯をかけて推しの幸せを見守る所存だ。遠方にいるのが悔しいが――……今後、この国に遊学するのも悪くはないと、ルゼフとも話していたんだ。リュゼル卿やアクアゲート国王陛下もその際は歓迎し、支援してくれると話していた」
それを耳にして、俺は小さく息を呑んだ。
こ、これは……ざまぁ系小説の流れだ。今回ヴォルフとクリスティーナの接触は無かったから、そこは小説とは違うが、俺の記憶が正しければ、恋をしたヴォルフは遊学と称して、暫くしてからこの国の、王立学園付属魔法研究院の学徒になる。
「俺は諦めない!」
ヴォルフは、ニッと笑ったまま、俺を見ている。まるで太陽のようだというか……火のようだ。どこまでも前向きである。だが、原作では、もっと凛々しく格好良い性格だった事を俺は知っている。やはり、転生者が中身であると、内面は変化するのだろうな。
今のところ、俺に関しては『親しみやすくなった』というシュトルフ談以外は、周囲に変化を悟られていないようだが、気を付けよう……。
ただ、俺は決して、ヴォルフが嫌いではない。同じ知識があるという親近感が理由ではなく、快活だから、話していると気が楽になる。
「諦めてくれ、兄上の事は。俺も阻止に回らせて貰いますからね!」
するとダイクが唇を尖らせた。
我に返って俺が視線を向けると、ダイクがヴォルフを険しい顔で見ていた。
「昨日からずっと、兄上兄上兄上とそればかっり……確かに兄上は完璧だ。それは異母弟である俺も思う。けどな、兄上はこの国になくてはならない人なんだ。それに、シュトルフ卿と相思相愛で、今が一番幸せな時期なんです。水を差すな!」
ダイクが断言すると、ヴォルフが息を詰めた。それから目を閉じ、唸る。
「確かに推しの幸せは祈らなければならないな……」
そのようにして、朝食の時は流れていった。
食後は、見送りに来たリュゼル叔父上とも合流し、俺達は正門まで見送りに出た。馬車に乗り込んだルゼフ叔父上とヴォルフと、挨拶を交わす。
「またいつでも来てくれ」
社交辞令八割、本音二割という心境で俺は伝えた。ヴォルフは満面の笑みだった。
こうして二人は帰っていった。
さて。
本日は安息日の二日目であり、ダイクも学園がお休みだ。暫し馬車を見送ってから、俺はダイクに向き直った。
「ダイクは今日もクリスティーナとデートか?」
「ああ。今日は観劇に行く。クラウス兄上は、シュトルフ卿とデートか?」
「いいや、俺は今日は特に予定は無い」
俺が答えると、傍らにいたリュゼル叔父上が、不意に俺を見た。
「クラウス殿下。ご予定が無いとの事だけれど、明日には、正式に各国に婚約の通達と、式の日取りの告知があるから、最終確認をお手伝い頂けますか?」
「あ、ああ……分かりました。リュゼル叔父上」
俺が頷くと、リュゼル叔父上が、僅かに頬を持ちあげた。普段は無表情が多いため、柔和な表情が珍しい。
「義父(ちち)と呼んでくれても良いんだけれどね」
「!」
思わず俺は硬直した。気づくと頬が熱くなっていたから、自分の顔が紅潮しているのが理解出来た。すると吹き出すように笑う気配がして、見れば父である国王陛下が楽しそうな顔をしていた。
「クラウスの父は余だ」
「陛下」
「降嫁してもそれは変わらぬ。リュゼル、今後はクラウスを導く事頼むが」
冗談めかしてそう口にした後、父は踵を返した。近衛騎士に囲まれて、王宮へと戻っていく。リュゼル叔父上は頭を下げて、それを見送ってから、姿勢を正した。
その後俺達も王宮へと戻り、この日の俺は、リュゼル叔父上と宰相閣下と共に、婚約発表の準備をしたのだった。